行き止まりの世界に生まれて

 

 人間の存在にかかわる根源的な要素――セックス、食べ物、生殖、そして死――の意味をテクノロジーが大きく変える、そんな時代が目の前に迫っている。これまで人間の一生といえば、母親の体から生まれ、動物の肉を食べ、他者と性的な関係を結び、避けることも自らコントロールすることもできない死によって終わりを迎えるものだったが、そこに変化が起きつつあるのだ。……

 私たちは人生をどこまでテクノロジーに委ねようとしているだろう? テクノロジーはどのように私たちを変えていくのだろうか? その答えを探るべく、これから4つの大陸を旅しながら、インターネットの暗部にも足を踏み入れていこう。ご案内するのは、法外な値段のチキンナゲットが作られているキッチン、自殺の方法を学ぶ会員限定のミーティング、胎児が袋の中で育つ研究室、大生が女性との全面戦争を計画する掲示板などの場所だ。そこでみなさんは、科学者、人型ロボット、デザイナー、倫理学者、起業家、扇動者、クライアントを満足させるためならなんでもすると公言する不妊治療の専門家、セックスドールと結婚した男性、親友の死に手を貸したケーキ・デコレーター、生き物の肉を表現手段にしたアーティストといった人々に出会う。

 

「女性は所有物だ、女性は完全な人間ではない、男性より劣る存在であり、男性の所有物とみなしていい」、この考え方を突き詰めれば、デザイン可能なセックスドールに行き着くだろう。ある者に言わせれば、「肉を食べることの魅力のひとつは、そのために現実に動物を殺さなければならないこと」(強調すべて原文)で、この行為を通じて「ほかの種に対する優位性」が象徴される。一度受胎した瞬間から、女性は「外付け妊娠装置」として遇される羽目に遭う。「あなたの体はあなたひとりのものではなくなるんだから」を錦の御旗に、あれをしろ、これをしてはならない、と医師を筆頭に数多の介入は正当化され、妊婦からは何の躊躇もなくプライヴァシーは剥奪される。不治の病の苦しみや将来への悲観に苛まれ自身の死を欲してはみるも、そこでもまた往々にして医師や立法がその願望に立ちふさがる。「なんでもネットに書いてるこの時代に、なんで先生と呼ばれる連中の言う通りにしなければならないんだ?」

 このテキストの問い立ては、ある面では非常に一貫している。つまり、誕生から死に至るまで向き合わされ続けるパターナリズムとの戦いをめぐって著されている。

 もっとも、これまでだってある程度の自己決定権は与えられていた。外食、中食さえしなければヴィーガン、ヴェジタリアン・ライフなんて今でも送れないことはない、性玩具やポルノ・コンテンツの隆盛もご覧の通り、代理母も国によっては既にビジネスとしてそれなりの規模を獲得している、自殺の抑止策に社会がこれといった関心を寄せている様子もない、フリーハンドどころか促されてすらいる。

 これら主題だけを取れば、さほど目新しい話ではない。旧来との違いがあるとすれば、つまりはテクノロジーである。もっと踏み込んで筆者の問題意識を言えば、テクノロジーがいかにして社会を変えるかではなく、テクノロジーによっていかにして人間が変えられてしまうか、である。邦訳副題はいかにも正鵠を射る、“征服”の主体、パターナリズムの主体としての人間が、これから先はテクノロジーによって“征服”される側に回る、この交代劇、後退劇にこそ本書の真髄はある。

 

 それを象徴するような、ひどくユーモラスなシーンが書き込まれる。

 AI彼女との会話のためには、「無駄なことばを省いたほうがいい」し、「言いたいことをうまく伝えるためには、脳のいくつかの部分をスイッチオフしないといけない」。ロボットが人間に寄せるよりも、人間がロボットに寄せる方がはるかに早い。それゆえに、「ずっと夢見てきた本物の関係を人形と築きたければ、彼はありのままの自分を抑えなければならないのだ」。シリーやアレクサにアジャストすべく「方言や豊かな言語表現を使わなくなり、個性が消え、面白みが」人間から削ぎ落されて、結果として現状レベルのラーニングですらもフォークト・カンプフ検査を訳もなくパスできてしまう、ニュースピークそのままのこの未来、いかにもありうる。

 というか、SFの想像ごときをはるかに超えたディストピアは既に訪れている。テクノロジーがアシストしたのはDo It Yourselfどころか、Yourselfそのものの喪失だった。もはや自分の舌を当てにすることを一切やめたサルに言わせれば、食べログ3.5点の店では3.5点の味がして、対して3.0点の店では3.0点の味しかしないし、論理の導出過程を問う能すらもたないサルにとってはChatGPTこそがすべて常識を授けてくれる。既存の権威を共にあざ笑って憂さを晴らしてくれる反知性主義者が、サル山の喝采をもって権威化の階段を駆け上がっていくさまに気づく脳すらもはや手放した。タッチパネルで置換可能、置換不要なこんなサルどもとどうして対話が成り立つだろう。

 皮肉にも、唯一の救いはおそらくテクノロジーの中にある。説得――いったい誰がそんな罰ゲームを引き受けてやらなければならないのだろう――を通じてミソジニーが改心する未来と、空気人形との愛に溺れて幼児性丸出しの願望をもはや生身の他人に漏らす必要など持たない未来、さてどちらの未来に実現可能性を見出すことができるだろう。“征服”のとうに完了したサルをスマホという名の檻の外へと出さないためにテクノロジーのコントロールがあるのだとすれば、これほどに喜ばしき福音はない。

 

 そして筆者は、テクノロジーの最前線を旅して回る。

 シリコンバレーのスタートアップで、培養肉ビジネスの創業者がご自慢の研究施設を披露する。「ほとんどの機械は24時間、365日で稼働しています」と謳ってはいるが、目の前の装置が稼働している様子はない。完成品を市場に提供できる準備はできている、と豪語する割に生産ラインはあまりに貧弱。スティーヴ・ジョブズワナビーの彼らにとって「製品発表は世間の注目を集める派手な宣伝活動、すなわち『世界初』のタイトルを手に入れ、ベンチャーキャピタルをさらに呼び込むための手段でしかない」。カリスマが大風呂敷を広げてゴール地点を指差しさえすれば、あとは自分にとってのスティーヴ・ウォズニアックが何とかしてくれる。もし技術的な裏づけも何もないプレゼンの絵空事を実現できなかったとしても――すべて部下が悪い。

 代理母の斡旋ビジネスを手がける人物とのインタビューの最中、思わぬ一言を筆者は耳にする。「需要と供給がひどく混乱している商品の商業化には賛成しません」。そう、彼らにとっては女性の子宮すらも「商品」でしかなかった。「顧客がその商品に大きな価値を見出した場合、たとえどんなに高い報酬をもらったとしても女性として耐えがたいような、ばかばかしいほどの行動制限を契約に盛り込むことになる」。

 ある安楽死ビジネスのパイオニアが目的遂行のために提供する窒素ボンベは1465ポンド、ところが全く同じ製品が市場では43ポンドで取引されていた。ただステッカーを貼りつけて、多少の輸送コストを上乗せしただけで、価格は10倍以上に跳ね上がる。

 こんな粗末な戯言がベンチャーとして大手を振って闊歩する、テクノロジーによる“征服”を恐れる以前に、こんなサルどもにとうに“征服”された世界を本書は訪ねて歩く。バブルがバブルでしかないことくらい分かり切った上で、投資家とやらはこの空虚なチキンレースの売り抜けに血道をあげて、その一方で、この空前の低成長社会の中で、つまりは代わり映えのない生活の中で、ナイーヴな大衆は日進月歩のブレイクスルーが起きるなんてことを本気で信じてカモにされ、そうして未来は作られる。

商品」として種付けされて、生まれて、食べて、死んでいく、この一切に既定のスクリプトを逸脱する動作などただのひとつも存在しない。

 テクノロジーをもってしても、この事実を変えることなどできない。

 

 

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