夏への扉

 

 小学校教諭の座をとある理由により追われた「ぼく」こと木島淳平が降り立ったのは、ハワイ島のヒロ空港。訪れたきっかけは海外を放浪する知人のことば、彼が勧めるホテル・ピーベリーの「妙なルール」に惹きつけられてのことだった。曰く、

「そのホテルに客が泊まれるのはたった一回だけ。リピーターはなしだ。/……もともとオーナーもバックパッカーだったらしい。世界を放浪して『長すぎる夏休みは人の心を蝕む』という結論に達したと言っていた。/……だから、その宿ははじめての客しか泊めない。いちばん長くて三ヶ月。アメリカにビザなしで滞在できるのは三ヶ月が最長だからな」。

 どうせ日本でやさぐれていても何が変わることもないと意を決し、さりとて大した下調べもなく訪れた「ぼく」にとって、ハワイ島の朝は思いのほか寒かった。岐阜県とほぼ面積が変わらないその島には、寒帯から熱帯、砂漠気候に至るまで、気候をめぐる全13区分のうちの実に11もが揃う。

「いろんな顔を抱えているらし」いその島のホテルには、「いろんな顔を抱えているらし」い面々が集う。そのホテル名の由来はコーヒー豆の品種、特色は「普通なら二粒採れるところが、一粒しか採れない」、各人がそれぞれに孤独な影を内包し、「みんな、嘘をついてる」。

 折しも「ぼく」が二泊三日でホノルルを訪れていたその最中、事件は起きる。

 皆が外出でホテルを空けていたその数時間のうちに、ただひとり残っていた宿泊客のひとりがプールで溺死した。宿帳に記載されていた連絡先にあたってはみるも、それらはまったくのでたらめで、パスポートも一向に見当たらない。

 事故なのか、自殺なのか、はたまた殺人なのか。

 そして三日後、「楽しみにしてろよ。きっとおもしろいものが見られる」と言い残して宿を替えた別の客が、深夜のバイク走行中にまたしても亡くなる。

 

 なんだかな、と言うべきか。

 滞在から数日、同宿の男が「ぼく」の部屋を訪れる。活字に飢えて、持ってきた本を互いに交換しないか、との申し出だった。男が差し出したのは、そのほとんどがSFの名作古典。「ぼく」はついそのうちの一冊に手が伸びる。

 ロバート・Aハインライン夏への扉』。「ぼく」が「この世でいちばん好きな小説」。SF設定云々を外してあらすじをさらってみれば、壮年期の男性が年端もゆかぬ少女を執拗に追い回す話。

 リアルでならば、フィクション・コンテンツと性的嗜好が一致する方がむしろ稀なのかもしれない。NTRにはまる男がパートナーを他人に喜んで差し出そうとは必ずしも思ってはいないだろうし、近親相姦AVを消費する輩が実母との肉体関係を欲しているとも信じがたい。

 しかし、「ぼく」はあくまで作品箱庭に産み落とされた作り物でしかない。ご丁寧にねじ込まれた「ぼく」のキャラクター・デザインを「この世でいちばん好きな小説」に仮託せずにいられる方がむしろ深読みというものだろう。

 かくなる動機づけに基づいて教員を志しただろう「ぼく」が、その自己実現とやらに近づいた末に職を追われて、別の目標を立てることもできず不貞腐れているらしい。いくらプラトニック・ラヴの匂いをあおられたところで、こんな人物造形を読まされて、どうぞご自由に、という以上のコメントができるだろうか。

 

 この小説、読んでいて正直しんどい。

 というのも、表現がいちいちあまりに野暮ったいから。それはまるでおいしいを連呼するグルメリポートに似て。

「ここにきて、自分がこれまでどんなに非人間的な空間で生きていたのか知った。

 緑など、街路樹と鉢植えくらいしか見ることはなく、夜になっても町中がびかびかとむやみに明るい。分刻みのスケジュールで動いて、しょっちゅう携帯電話にはメールが届く。

 当たり前だったあの日常が、ひどく不自然に感じられて仕方がない」。

「緑など」に続くパラグラフさえあれば、その「非人間」性などわざわざ露骨にことばにせずとも、受け手は読み解いてくるだろうし、教員という職種に固有のブラック性のひとつでも織り交ぜた方がよほど深い実感が刻まれるに違いない。

 

 めくるほどに安っぽい文体と比例するように、ミステリーとしてもはなはだ粗雑。

犬神家の一族』や『砂の器』の時代ならまだしも、本書のコアとなるだろうトリックらしき何かなど、捜査当局がまじめに取り組みさえすれば、早晩暴かれるような代物でしかない。

 にもかかわらず、素人探偵ですらない「ぼく」の謎解きを待たねばならなかったのはなぜか。

 彼らや報道関係者が事件性を認めなかったから。

 なのに、「ぼく」は辿り着いたその真相をとある人物にぶつけずにはいられない。なお、「ぼく」がその行動に至るべき動機などそこにはない。対してためらうべき理由づけならば、星の数ほどある。少なくとも作品内論理として、真相とやらを周囲からでっち上げられた挙げ句にすべてを失った「ぼく」がそれでもなお、その真相とやらに奉仕する必要がどこにあるというのか。

 真相を掘り起こしたところで誰が得をすることもない、しかしそれでもなお、真相はあくまで真相であって、黙殺を決め込むことは許されない。損得や利害を超えたそんな葛藤を描き込みでもしていさえすれば、ワンチャンス、本書も名作であれたかもしれない。

 

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