限りなき前進

 

 監督や俳優の生涯は華やかに書き残されるが、編集者に限らず映画技術者の一生は記録に残されない。だからこそ、岸の、そのあまりにも稀有な体験も、(映画界の一部の人を除いて)、人に知られることがなかったのであると私は後々、思うことになる。

 岸は奇しくも、昭和を代表する大女優とされる原節子李香蘭と同年の大正91920)年の生まれである。戦争の時代に少女から大人へと成長した世代であり、戦争によって青春を奪われた世代である。それだけでなく映画界において、原と李香蘭というふたりの女優がとりわけ国策に利用され、苦悩を背負わされたように、岸もまた、戦争や、民族間の争いに巻き込まれ、その人生を激しく翻弄されたのだった。

 昭和201945)年8月、日本が戦争に負けた時、岸は満洲国にいた。いや、戦争に負けた時、すでにそこは満洲国ではなかったのだ。岸はその時、25歳になったばかり。敗戦国民として中国の大地に取り残されたのだった。

 

 内田吐夢木村荘十二、マキノ光雄……

 そこに並ぶのは映画界を飾る錚々たる面々、しかし発言の機会はさまざま与えられていただろう彼らは、こと満洲映画協会についてはさして何を証言することもなく鬼籍に入った。李香蘭甘粕正彦をめぐる切り口にしても判で押したようなもの。

 このテキストの何が難しいといって、秘史との表題がすべてを表している。本来ならば、記載の時系列や事実関係をめぐって吟味が重ねられなければならないところ、まるで何事もなかったかのように黙殺されているがために、整合性の取りようさえもないのである。

 

 満洲の岸たちの戦争はポツダム宣言の受諾をもってさえも終止符が打たれることはなかった。映画に再び携われるかもしれない、との微かな希望にすがりついて中国北部を転々とさまよう彼らは、帝国日本の傷跡によって、そして何より国共内戦によって、どこまでも翻弄され続けた。

 それ自体がまるで戦争映画のように、選択のことごとくが彼らを泥沼へと誘ってやまない。ありうる限り最悪のルートをあえてチョイスしているかのようにすら見えてくるこのエクソダスも、おそらくはそもそもにおいてベターと呼べる選択肢すら与えられていなかったというのが、真相なのだろう。

 

 この手記は事実上、1953年の帰朝をもって終焉を迎える。

 岸は石井に打ち明ける。

「あの8年間がすべてですよ。私の長い人生の中で」

 ようやっと帰り着いた母国で待ち受けていたのは、日本版マッカーシズムだった。アカ、スパイ、そんな汚名を着せられた彼女は大会社のことごとくから門前払いを食らう。編集技術を活かせた場といえば辛うじてのフリーランス。冷や飯の日々に記すべきことなど見出しようもなかった。

 対照的に、中国は後年、岸その他日本映画人の功績を報いた。

 中華人民共和国建国記念映画『橋』や国民的メガヒット『白毛女』に参加する。国情への配慮から、当時のクレジットでは仮名が割り振られていたものの、後に彼ら日本人の貢献の事実は明らかにされた。内田吐夢らとともにいろはを叩き込んだ教え子たちが中国映画の草創期を支え、その恩に報うべく彼らはロビイングに動き、結果、中国電影博物館の一角に師の功績を讃える展示コーナーを作らしめるに至った。

 

 その頃、日本では満洲の記憶も記録もそのことごとくが封殺されていた。見たくないものは見ない、その体現者どもが視覚産業に従事する、これ以上の皮肉があり得るだろうか。

 本書が暴露する暗黒の過去、例えば「精簡」、すなわちリストラ。

「『精簡』の対象者は家族を連れて、ここ[鶴崗]から別の場所に移り、別の任務に就くことになるという」。撮影所から外されて炭鉱送りを命じるそのリストの中には、なんと内田吐夢木村荘十二の名前も含まれていた。岸の夫もまた、そうして首を切られたひとりだった。

 当時においてそれは黒竜江省による命令とアナウンスされていた岸は、中国共産党による使い捨てを恨んでいた岸は、しかしやがてその真相を知ることになる。

「精簡」はその一切が日本人によって決められていた。「精簡」は中国サイドの要請でも何でもなく、単に「個人的な感情の対立、思い込みや恨み、妬み」に従ったものでしかなかった。

 必ずやある種の者は、本書にいきり立つことだろう。いやむしろ、底知れぬ歓喜で満たされるのかもしれない。「精簡は日本人によってなされたという事実だけは、明らかにしておきたい。そして、中国共産党の人々と違って、彼らは一度もそれを告白し、私たちに詫びていないということも」。それ見たことか、とアカがついに尻尾を出したぞ、と。

 少しでも自らの頭を使って考えてみれば分かるだろう、人間的なホスピタリティを示してくれる中国映画界と冷遇の限りを尽くす日本映画界のいずれに岸が親和性を見出すことができるだろう、と。果たしてどちらの経験について人に伝えたくなるだろう、と。まともかクズか、そんなものはイデオロギー統治機構の問題ですらない。原著の出版は2015年、齢95にしてのこと、まさか老境の岸が全くのでっち上げに基づく、今さらの中国上げ日本下げのプロパガンダ・キャンペーンに打って出たとでも言い張るのだろうか。

 

 かたやミームの伝承を志向し、かたや史実のもみ消しを図る、いずれに未来が開かれているかなど火を見るまでもない。

 記録さえ取らなければ検証にさらされることもない、岸信介の正統後継者がここにもいた。

 

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