松樹千年翠

 

 松は、わが国の樹木のなかでもっとも普通にみられる樹木で、北海道と高山帯を除けば国内の到るところに生育している。古代から、日本人の生活範囲の拡大とともにその生育地域を拡げてきた樹木の一つで、日本人はこの松を建築材、採暖用や食物を調理する燃料、あるいは土木用資材などに活用してきた。そして、一年中緑の葉を茂らせていることから縁起のよい樹木、神の宿る神聖な樹木と考えるなど、精神面でも松は日本人の心の中に大きな位置を占めていた。

 ところが、昭和30年代あたりからはじまった家庭燃料革命とよばれる家庭での炊事、採暖用燃料のガス化、電化に伴って、松はほとんどといってよいほど考慮されなくなった。松くい虫による大量の森林枯損の際も、「価値の低い二次林だから、枯れても格別のことはない」と見捨てられ、かつての名所旧跡の風景ばかりでなく、日本全体の風景が大きく変化した。

 私は、日本人が日本の文化及び文明を構築する際に松が大変大きな役割りをはたしてきたと考えており、そのことを確認するため、古代からその足跡をたどる作業をはじめた。

 

 松の明かりと書いてたいまつと読む。文字通り、古来より日本では松に火をともして灯りを取っていた。松はとりわけその根に樹脂を豊富に蓄えており、その性質が重宝された。

 ことほどさように燃焼性の高いこの松は、火というものとの相性にとことん恵まれているらしい。野火によって雑草が焼き払われる傍らでも硬い表皮に守られてそうそう燃え朽ちることなく、どころかその生命力をもって瞬く間にその地を独擅場へと変えてみせ、結果として見事に整然とした松林を形成する。

 防火などままならぬ時代のこと、放火、失火、災害でしばしば木造建築は灰燼に帰した。しかし木々はそれごときでは屈しない。「樹木の生育に適した気候帯と、土壌に恵まれたわが国では、不死鳥のように、ふたたび木造の建造物をよみがえらせてきているのである」。

 

 輪廻転生のその性質に仮託してか、しばしば墓標として松は用いられた。

 かつて福島県双葉郡にて「奥州日の出の松」と謳われたその由来は、「安寿と厨子王」に遡る、という。その「昔、岩代国住吉の城主岩城陸介正道が謀反人のために殺され、その夫人は遺児一男一女を連れ、諸国をめぐって辛酸をつぶさになめたが、ある日海賊に二子を奪われ、泣き崩れ、ついにこの地で死んだ。郷士の木幡権右衛門は、これを哀れんで、遺骸を埋め、墓標として一本の松を植えた」。

 これを果たして墓標と呼ぶべきか、いささかの逡巡を覚えつつも、岩手は陸前高田の通称「奇跡の一本松」もまた、後世において必ずやこうした記憶に連ねられ、語り継がれるに違いない。周知の通り、たとえそれが津波の襲撃をもって既に事実上の枯死を余儀なくされていたコンクリート充填のモニュメントに過ぎぬとしても、大津波で他の木々がなぎ倒された中で、孤高にも聳え残ったこの一本に人々は復興の希望を重ねずにはいられなかった。

 

 常磐の緑、松を素材に用いれば日本語でも『変身物語』は書ける、あまりに見事なくだりに出会う。

 それは『常陸国風土記』の一節。かつてカミノオトコ、カミノオトメと謳われた絶世の美男美女があったという。歌垣で出会ってしまった彼らは「お互いに、人目をさけ、松の木の下で、手を取り合い、胸の内に燃えたぎる想いのありったけを、話し合った。いままでに、こんなに甘く、楽しいことはなかった。時間をすっかり忘れてしまっていた。気がついたときは、夜も明けてしまって、太陽がかがやいていた。ふたりはどうすることもできないで、人に見られるのを恥じ、とうとう松の木になったという悲恋の物語である」。

 そして聖徳太子の非業の死に際しても、この松をめぐる生まれ変わりのモチーフが捧げられた。

 1988年のこと、法隆寺薬師如来坐像の修理中にその台座から「二対の松をもつ飛仙図が発見された。/……墨絵で、縦43センチ、横25センチほどのスペースに、地面から伸びる樹木を画面右側に、左側には冠をかぶり羽衣をなびかせ、ひるがえるように飛ぶ仙人が描かれている」。 

 仙人とは道教において「生きたまま人間という境界を越えた人を尊称する」もので、筆者の読み解きの通り仮にそれが聖徳太子であったとして、さて併せて描かれた松は何を示唆するだろう。

「松は人の垢に汚れることのない清浄なもので、さらに不浄をも払う霊力をもつとの信仰があった。そこで、……松を山頂に描いて、地上のもろもろの不浄はすべて払いおとして、清浄なけがれのないものになったとの象徴性を絵師は持たせたのであろう。

 山頂に描かれた二対の松の象徴性によって、もはや地上の俗世間から離れることのできた聖徳太子は、地上の垢・汚れにわずらわされることなく、はるかな点を目指し、麓も描けないくらい高い山の絶天の山端近くを、ゆったりと飛翔していった」。

 

 ループするのか、しないのか、輪廻なのか、解脱なのか、すべてこの世の神話なんてそんなもの。人は各々自分の見たいものだけを見る、書きたいことだけを書く。どこをどう探しても、集合的無意識云々なんてものなど掘り起こされやしない。心象風景を誰と分かち合うこともない。

 とりあえず言えることがあるとすれば、何かしらの仕方で人は松をしばしば描き語らずにはいられなかった、それほどまでに松は列島の津々浦々に根差していたし、巌からすらも生え出るその強靭さをもって、たとえ日本人が死に失せようとも、これからも千代に八千代にこの世の春を謳歌する。

 

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