オデュッセイア

 

 私は17年前、「幻の特攻艇震洋の足跡」をテーマに、テレビドキュメンタリーを制作した。敬愛する作家の島尾敏雄が、太平洋戦争の時、震洋特攻隊の隊長だった体験をもとに名作を残していたからだ。以来、「震洋」の二文字が心の底に沈み、そのままになっていた。(中略)

 導かれるように、「震洋会」の元副会長で「写真集人間兵器震洋特攻隊」をまとめ上げた荒井志朗氏の連絡先が見つかった。(中略)

 お宅を訪ねてみると、あの時の荒井氏が背筋をしゃんと伸ばした姿で出迎えてくださった。感激だった。「『震洋』のことを書きたい」と話すと、「私が17歳で兵隊になったんですから、震洋隊の中では一番若いと思いますよ。その私が92歳なんですから、他の人たちは生きていても100歳以上ですよ、亡くなっていますよ」と、「92歳なんですから」を、何度も繰り返された。そうして、「もう『特攻隊』なんていう話はわかんない、誰も知りませんよ、まして『震洋』なんて、若い人は、『戦争』だって知らないんですから」。(中略)

「もう誰も知りませんよ」の言葉に私は奮起した。今、記録に残さなければ、本当に「誰も知らなく」なってしまう。それは、いやだ。

 そう思って、島尾敏雄の作品を幾度も読み返し、遺作となった『震洋発進』が、極めて記録性の高い第一級のルポルタージュであることに気づかされた。

 そこで、『震洋発進』に書かれた島尾敏雄の言葉を手がかりに、改めて「幻の特攻艇震洋の足跡」をたどってみようと思う。

 

 そのときの島尾の落胆ぶりたるや、いかばかりだっただろうか。

 それは「画期的な新兵器」だと聞かされていた。マルヨンと通称されるその「快速特攻艇」をもってすれば必ずや戦局の捲土重来が図られる、そんな海軍肝煎りの機密プロジェクトである、そう聞かされていた。特攻に「志願致シマス」との意を既に伝えていた島尾はその夢のウェポンに、自らの、いや国家の命運を委ねていた。そうして彼は横須賀にてついに己が未来の「震洋」とまみえる。

「私が見たのは、薄汚れたベニヤ板張りの小さなただのモーターボートでしかなかった。緑色のペンキも褪せ、甲板の薄い板は夏の日照りですでに反りかかった部分も出ていた。その貧弱な小舟艇の数隻がもやい綱につながれ、岸壁の石段のあたりで、湾内を航行する内火艇などの船尾の余波に押し寄せられ、不斉一に揺れ動いていた。私は何だかひどく落胆した。これが私の終の命を託する兵器なのか。思わず何かに裏切られた思いになったのがおかしかった。自分の命が甚だ安く見積もられたと思った。というよりも、果してこのように貧相な兵器で敵艦を攻撃し相応の効果を挙げ得るのだろうかという疑惑に覆われた……何だか精一杯力んでいた力が抜けていくふうであった。それもしかし今さら詮のない話だ。私の運命がしっかり固縛されたも同然であった」。

「貧相」だったのは、当の「震洋」だけではなかった。各地へと運び込まれたこの最終兵器が、どのようにして姿を敵軍から隠蔽されたといって、まさか重厚なドックなど構えていようはずもない、人力で掘られた急ごしらえの「横穴」に格納されたのである。いざ出撃の命令が下ったとある部隊の場合、6隻で向かうプランが組まれていたものの1隻は故障で海に出ることすらできず、さらに敵の輸送船団にたどり着く前に急襲を受けたわけでもないのに2隻も相次いで落伍、何もかもが「貧相」だった。

「貧相」であればあるほどに、前線の隊員たちが抱く死の恐怖は、ひしひしとそのリアリティを強めていたに違いない。

 

 DVと乱倫の果てに、かつて大恋愛をもって結ばれた妻がついに精神を壊す。言うまでもない、島尾敏雄『死の棘』の一節である。この日本文学不滅の金字塔が、しかし、今日においてはもはや単に作家個人のモラルの頽廃をもって片づけることができないことを私たちは知っている。

 戦闘ストレス反応、戦争後遺症、戦争神経症……その呼び名はさまざまあれど、ミホという鏡を通じて綴られる筆者の内面の独白が、戦争に由来するPTSD症例の典型を呈していたことを読み解くための言語を世間はようやくながらに習得しつつある。確かに、島尾はついぞ特攻のその日を持つことはなかった。しかし彼にとって「即時待機の精神状態を持続することは苦痛であった。今がチャンスだ。今がちょうどいい。今なら平気で出ていかれる――」。待たされる時間とはすなわち、内攻の時間だった。本来ならば攻めるべきは己ではなく敵軍のはずだった。いっそ潔く「震洋」とともに散れた方が、いつ終わるとも知れぬこの「死を含んだ夜」に浸り続けるよりも、どれほどの解放感があったことだろう。島尾にとっては、「発進がはぐらかされたあとの日常の重さこそ、受けきれない」ものだった。

「生き残ったのが誤りのもと」という他の経験者による悔恨のこのフレーズは、とりわけ島尾の生涯を回顧するとき、単に命を落とした同志たちへの鎮魂という以上の響きをそこにまとわずにはいない。生き残りさえしなければ、あるいは妻が狂うひとにならずとも済んだかもしれない、「シミタクナイ」とかつて線路際でつぶやいた娘がそののち失語症を患うこともなかっただろう、そして何よりも自身が永遠の「死を含んだ夜」を生きることもなかった。

 

 あの苛烈な家庭の地獄を描き出した島尾をもってすら、「自らの体験と直に向き合ったのは、戦後20年近くを経てからのことであり、対談を行うまでには30年以上の時間がおかれている」。

 同様の「死を含んだ夜」を生きただろう元隊員たちにとっても、「何らかの形で、自ら直に戦争と向き合い、『沈黙の答』を出したのは、戦後40年近くたってからのこと」だった。島尾もまた、40年を経て他の部隊長との面談を通じてようやく「一種の落ち着きを得た」という。

 どうしようもない世界の、どうしようもないニュースの中で、私たちは日々同様の話に触れる。例えば性搾取の被害者たちが、3040年と時間を重ねて自身が被害者であったことにはじめて気づく。そして彼らはしばしば、類似のPTSDを抱えた者が集うアノニマスな空間における告白の中で、「一種の落ち着きを得」る。例えば薬物依存症やギャンブル中毒者も、同じような空間の中で「一種の落ち着き」を獲得する、という。

 ここにはふたつの解釈がある。当事者同士にしか通じようもない言語が確かにある、だからこそ、そこでしか「一種の落ち着き」を見出すことができない。あるいは、同じ傷を持つ者以外に一切の信用を置けないから、他では「一種の落ち着き」に至ることができない。

 

 島尾におけるこの通約不可能性の象徴が「横穴」だった。彼は戦後に加計呂麻の「横穴」を10度近くも訪れたという。「海辺に面した横穴の姿を見つめると、たとえ瞬時に過ぎぬとは言え私は若さを取り戻せた自分を感ずることができた。それは時の流れがふととどめられる如きあやしげな体験である。逆行するめくらめきさえ伴われるが、勿論すぐに私は又普段の時の流れに立ち戻り、さらに疲労が重なるのをおぼえなければならない」。

 彼は終生、「普段の時の流れ」ならざる時間のはざまに縛られ続けた。「横穴」に束の間味わう「逆行」の時間に留まり続けた。「普段の時の流れ」に従えば、その「横穴」はもはや「戦跡としての評価も無い無用の長物」でしかない。島尾がそこに見るだろう、「震洋」の影はそこにはない。

 時間を共にせぬ者が、場所を共にせぬ者が、どうしてことばを共にすることできるだろう。「震洋」ののち、島尾はひたすら孤独を生きた、「死を含んだ夜」を生きた。戦争とはすなわち、孤独の別言に他ならない。

 

 ぼくの気持の中では、後生大事にそれしかないというんじゃなくて、戦争はその後もずっと起こっているわけなんです。自分にも周囲にも。ただ表面の形が、戦争状態でなければ戦争状態でないような状況を現していますけれど、もう本質のところは、似たようなことなんじゃないですか。(中略)だから引きずってきているんじゃなくて、そういう状態はいつも周囲にあるし、自分も持っているということですね。

 

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これからのスナックの話をしよう

 

 本書は、202110月末の札幌市すすきの取材から202212月半ばの東京銀座での取材まで、コロナ禍のなか、1年余りにわたって日本全国の夜の街をめぐり歩き、そこで営まれる水商売の姿を描き出したものである。……

 コロナ禍の発生という未曽有の状況のなか、スナックを始めとする夜の街はきわめて大きな影響を蒙ってきたが、「自粛」や「営業の規制」など本業の法哲学者として専門的考究の対象ともなりうる諸事象と「夜の街」とがクロスオーバーしたのが、このコロナ禍の日々でもあった。

 

 フリードリヒ・ハイエクマイケル・サンデルから長谷部恭男と四角四面の言説こそ一見飛び交っているかにも思われるが、本書の基本的な骨子となるメッセージは、ある面ではとあるスナックの店主自身による極めてシンプルな一言に凝縮されている。

「とにかく、みんなでお喋りしてほしいのです」。

 今となっては、サード・プレイスという非常に便利な用語ひとつをもって要約できてしまう、単にスナック論、コミュニティ論として見ればもはやその見立ては陳腐とすら呼ばれるべきようなお話なのかもしれない。これがサンデル教授の手にかかると、「多様な職業や地位の市民が共通の空間や公共の場で出会うことは必要だ。なぜなら、それが互いについて折り合いをつけ、差異を受容することを学ぶ方法だからだ」という、盛り場で誰がこんなごたくに耳を傾けてくれるんだ、なゴリゴリの言い回しに変貌してしまうわけだが、おそらくは古代のシュムポジオンにすら遡って、手を変え品を変え語り尽くされてきたテーマを、良くも悪くも、今さらながらに踏襲しているに過ぎない。

 

 しかし、そんなスナックに――というよりも日本社会に――試金石が訪れる。

 コロナ禍である。

 例えばすすきのは、あのまん延防止等重点措置のメイン・ターゲットとして狙われた。もちろん、昔日のロンドンにてコレラを招いた井戸でもあるまいに、そんな恣意的なゾーニングをかけたところで、「すすきので呑めなくなれば、人びとは狸小路や北24条へと流れ」ていくことを促したにすぎない。筆者の目にはどうにも、「すべてが確とした根拠に乏しく、何もしないで手をこまねいているわけにはゆかないので、とにかくも『えいやぁ』と何か決めてしまい、それに従わせておけば良いのだ、というような気分が透けて見えてしまう」。

 青森では、PCR検査を訴えても保健所に散々黙殺され続けたスナックが、実は200人弱の大規模クラスターとなってしまったことが判明するや否や、掌を返すようにその店名を公開された。その報道を受けて、ネット上では店へのバッシングやデマゴーグが飛び交った。ここでもまた、筆者は思う、この自粛警察的な過剰反応は、偏に吊るし上げたネット民たちにのみ帰責するのだろうか、と。「このような『事後的』な検証の責を負うべきなのは、何も『公表』の主体たる行政だけではない。むしろ、クラスター狂騒のなか、卑しく視聴率を稼ごうと、これでもかと煽情的に……報道してきたマスコミこそが、率先してこの任を果たすべきなのではないのか」。

 

 何はともあれ、夜の街の「飲食店」が事実として標的とされた。「自粛」の名のもとに、助成金交付の条件すらも定かならぬまま、筆者の調べによる限り2020年からのわずか1年の間だけでも、全体の1割強となる8000軒余りが閉業を余儀なくされた、という。

 このサード・プレイスの喪失が何を呼ぶか、「みんなでお喋り」することをやめた――この場合はやめさせられた、が適当か――ときに何が起きるか。

 筆者の知己のことばを借りれば、「マジでトランプ5秒前」が起きる。

 計画経済よりも自由経済がたいがいにしてリソースを効率よく分配してしまう、この経験主義的原則はソーシャル・キャピタルという公共財のシェアリングにおいてもおそらく変わるところはない。決して安いとは言えない価格をそれでも支払うに値すると顧客たちが思えるような、居心地のよいコミュニティの形成に成功したスナックだけが生き残る。逆に失敗すれば消えていく。ある種の「営業の自由」に基づくこの淘汰と選別が、突然に政治の恣意や集団ヒステリーによって歪められる。その結果、孤独に陥る、陰謀論的妄想に憑かれる、言い知れぬ怒りと不安に蝕まれて、トランピスト的心性に近づく。

 もっとも私は、筆者が言うほどのユートピアが本当にスナックで展開されているとも信じてはいない。行きたいから行く、嫌ならば行かなければいい、という選好がしがらみの雁字搦めの中でどれほど作動するのかも明らかではない。広く世間で催される飲み会が、実のところはその場にいない人間の悪口をもって専ら消費されているように、そしてそれゆえ今やアルハラという恰好の口実をもって敬遠されるように、スナックにおける飲みニケーションだけがその幸福な例外たりえているとは到底思えない。筆者による全国各地の訪問記録がその反証になっているとすべきところなのだろうが、そんなものは書きたくないものを書かない自由を行使すればいいだけの話にすぎない。どれだけ美辞麗句で粉飾してみたところで所詮、絆なんて互いを締め付ける拘束具という以上の意味など持たない。隣組に限りなく似て、むしろスナックこそがアルコールを介さなければまともに他人と喋れないような同質性の高い、量産性の高いイナゴどもにとっての「マジでトランプ5秒前」の温床、ヘイト・スピーチ醸成の場として作用するのではなかろうか、との疑念は拭えない。

 

 一般に語り継がれるところでは、カフェのカウンターから近代市民革命は生まれた。翻って、ミュンヘンのビア・ホールの片隅からナチスは生まれた。

 何が両者を隔てたのかは分からない。あるいはそもそも、勝てば官軍、負ければ賊軍で、隔てるべき論拠など何もないのかもしれない。いずれにせよ、貧すれば鈍するのか、鈍すれば貧するのか、見たくない現実を先送りし続けるだけの衰退国の中にあっては、「営業の自由」を買い支えるような所得が生まれてきようがない以上、必然的にスナックの灯もまた消えていく。

 しかし確かなこととして、サード・プレイスを持たなければ、人間はやがて自壊する。ひとり酒でも、人類最悪のドラッグであるアルコールの作用をもって、遅かれ早かれ自壊する。だからこそ、源氏名という無知のヴェールが象徴する、SNSの地獄とは対照的な、素性さえも紐づけようのない淡い関係性の中で、何はともあれ「とにかく、みんなでお喋りしてほしいのです」。

 

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さよーならまたいつか!

 

 古典的な少女小説は、現代もなお読みつがれ、広く普及し続けている。これらの物語には、若い読者の心に希望を吹き込み、生きていくための底力を築き上げ、その人生までも変えてしまうような何かがある。

 私の場合、もし子ども時代に、『赤毛のアン』や『リンバロストの乙女』、『若草物語』などに出会っていなければ、いまの自分はなかっただろうと思っている。少なくとも、文学の世界の片隅に生きる縁を得ることなどは、ありえなかっただろう。……

 では、これらの物語はなぜ生まれてきたのだろうか? 偶然の現象ではなく、何か発端があったのではないだろうか? そこで、その源流を求めて英語圏文学史を遡っていくと、19世紀半ばのイギリス人作家シャーロット・ブロンテの小説『ジェイン・エア』(1847年)にたどり着くことを、筆者は発見した。この小説は、女主人公は美人に設定すべしという従来の文学の約束事を打ち破った点でも、女主人公自身が語り手として激しい感情を吐露するという点でも、それまでになかった独創的な小説として、英文学史のなかで重要な位置づけをされている。

 しかし、『ジェイン・エア』は、イギリスでは、シンドロームを形成するほどすぐには根づかなかった。この作品はとりわけ、海を渡って新大陸に入植した英語圏の人々の子孫を中心に、アメリカやカナダの女性作家たちに、大きな影響を与えたのではないか。そして、少女を主人公とするそれらの物語には、女性作家たち自身の生き方が投影されているのではないだろうか。

 以上のような仮説に基づいて、このような形のストーリーが生みだすさような現象――すなわち、『ジェイン・エア』の影響を受けた女性作家たちが、シンデレラ・コンプレックスを脱却した新しい少女小説の世界を開拓していった現象、およびそうした作品の特色の表れ――を、「ジェイン・エア・シンドローム」と名づけることを、ここに提唱したい。

 

 本書の中で、読者はあまたの有名作品のあらすじに遭遇することになる。

ジェイン・エア』においては、主人公は義理の伯母にいじめ抜かれる。『若草物語』の四姉妹の母は、娘たちに妻としての幸福を諭し、そしてジョーからの反発を買う。『リンバロストの乙女』では、主人公の母は「夫を失った悲しみのはけ口を、ひたすら娘への恨みに集中させ」ずにはいられない。『赤毛のアン』は、孤児として「ひもじく、愛されない生活を送り、働かされ、ネグレクトを受けてきた」。

 たぶんそれは筆者の意図するところではなかろう、しかし、一読者である私の意識は、これらの文学群のことごとくの中に、やがて自ら身を立てていくヒロインたちとは別なる存在へとどうにも吸い寄せらずにはいられない。つまりは、毒親たちである、彼女たちの影、もうひとりの自分としての。

 そもそもにおいて、本書における対偶概念としての『シンデレラ』からしてそうだった。ヴァージョンに基づく多少の差異こそあれ、灰かぶりは継母たちからの仕打ちによって砂を噛むような日々を送る。彼女たちは、自力でこの境遇を抜け出す術を知らない。ガラスの靴を履かされる存在であることがあまりに暗喩的で、彼女たちシンデレラ・コンプレックスの住人は、ついぞ自らの足で大地を踏みしめることを知らない。彼女たちは終始、あくまで救われる存在として規定される。

 本書の中のジェイン・エアの娘たちが、メンターらに導かれつつも教育を通じて自身の内なる能力を開花させていくその姿から逆説的に気づく。彼女たちは自らを救う。反してシンデレラは王子によって救われる、王子がシンデレラを救う。

 なまじシンデレラという対象物の側にフォーカスされているがゆえに私はこれまで気づかなかった、『シンデレラ』の真の主人公とは紛れもなく王子なのである。親世代のかけた呪いをふりほどくべく葛藤し、そしてついに克服する息子オイディプスの物語の、完全なる焼き直しなのである。シンデレラが受動性の代名詞として今日にコンプレックスの汚名をかぶせられるのもある面では当然で、なぜならはじめから主客が転倒しているのだから。「後にいる者が先になり、先にいる者が後になる」(マタイ福音書 20:16)。あくまでそれは貴種流離譚のように神の定めし運命に導かれて世界の秩序を塗り替える新たなる王の誕生劇であり、ヒロインはどこまでもその成就の記号以上の意味を持つ必要がない。男の果たした政権交代の功績がいかに大きなものであったかというシンボルとして、機能性は宝石やトロフィーと完全に同じ、女は眉目秀麗な容姿の他に何を求められることもない。

 

 だとすれば、19世紀半ば、近代革命の果てに『ジェイン・エア』がその息を吹き込まれたのもまた、必然だった。世襲のプリンスがその高貴なる約束の血をもって世界を救済する、そんな幸福な=稚拙な妄想の時代は終わりを告げた。新大陸を目指す旅とはすなわち、君主政、寡頭制との決別であり、共和政、民主政との結婚だった。ゆえにこそ、シャーロット・ブロンテの末裔がその大輪の花を咲かせた地が、表向き君臨すれども統治せずを掲げこそすれ王室貴族の陋習はびこる英国ではなく、海の向こうのアメリカであったこともまた、ひとつのマニフェスト・ディステニーだった。

 旧世界において、統治のパラダイム・シフトはすべて天与の血――それも専ら父系のブラッドライン――に従って行われた。対して新世界において、その手続きはすべて理性に基づいて遂行される。だからこそ、本書の女性たちはことごとくが、教育という仕方を通じて授かった翼、すなわち知性の作用に則って、毒親たちによってかけられた呪縛を自ら振りほどいていく。オイディプスジェイン・エアを隔てる差異といえば、権威から理性へ、その近代の経験の有無に他ならない。

 すべて失敗は人間性に由来する。すべて成功は合理性に由来する。

 一連の小説群が、その源流として『ジェイン・エア』を持つのもまた必然だった。なぜならば、その書き手たち自身がテキストという教育媒体を通じて何者かになった存在なのだから、彼女たち自身が近代の体現者なのだから。筆者がフィクションの中に自叙伝性を見てしまうのは牽強付会などではない。ペンは剣よりも強し、この経験は私的であって私的でない、それこそが作品が生きた時代を捉えていたことの無二の証明なのである。

 

 救う男‐救われる女、そんな図式を誰が決めた? パターナリズムの伝統が決めた。気に食わなければ? 理性に基づいてぶっ壊してしまえばいい。そのための同志として、互いが互いを救うために、時に人は互いを求め合う。

 殺してしまえばいい、かつてオイディプスがそうしたように。すべて人命は入替可能、入替不要、王の首はただ刎ねられるためにある。

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ストレンジ・ワールド

 

 精神の変容形態には種類がいくつかあり、地球上に存在するどんな文化でも、それを引き起こす植物やキノコをたいていはひと通りの種類、そうでもなくても一種類は地元で発見しているのが普通だ。……どうやら、普段の日常的な意識だけでは、われわれ人間は満足できないらしい。意識を変容させ、深め、ときには飛び越えようとし、それを可能にしてくれる自然界にあるあらゆる物質を識別してきたのだ。

 本書『意識をゆさぶる植物――アヘン・カフェイン・メスカリンの可能性』は、そうした効果を持つ三種類の物質とそれを生成する驚くべき植物について、私がみずから調べた記録である。アヘンケシから作られるモルヒネ、コーヒーや茶に含まれるカフェイン、ペヨーテやサンペドロ〔多聞柱〕のようなサボテンで生成されるメスカリン。……

 これら三種類の植物由来の薬物で、精神活性物質から人間が得られる体験の種類の大部分が網羅できる。日常的に使われるカフェインは、世界で最も一般的な精神活性薬物であり、メスカリンは先住民たちに儀式で利用され、アヘンから抽出されるモルヒネ由来の薬剤は大昔から鎮痛目的で使われている。……

 私は本書の中で、麻薬戦争が、「ドラッグ漬けの脳みその恐怖」という暴力的なほど単純化された図式と一緒に終焉に向かえば、自然が恵んでくれた精神活性性の植物やキノコと人間が太古からどんなふうに関わってきたか、はるかに興味深い話ができるということを証明しようと思う。

 

「人間がカフェインと遭遇したのは、びっくりするほど最近のこと……だ。想像しづらいが、西欧文明は17世紀までコーヒーも茶も知らなかった」。

 本書の記述を真に受ければ、西洋史はもはやカフェイン以前と以後で分かたれねばならない。この場合、さしずめBCBefore Caffeineの略語とでも理解される必要がありそうだ。

 一度、カフェインが持ち込まれたイギリスでは、雨後の筍のごとくにコーヒーハウスが乱立した。ユーザーたちはカップ片手に単にエナジーをチャージしただけではなかった。彼らの口は単に飲むためだけではない、喋るためにある、コーヒーを媒介とするその聖地は、瞬く間に最新のニュースを交換するためのメディアとなり、かくして街中に「ほかに類を見ない民主的な公共スペース」が誕生した。

 11ペニーを支払うことさえできれば誰だって出入りができる、その中にあっても、常連たちがいつしかそれぞれの店にカラーをつけていくことで、ある種の棲み分けが成立していく。例えば貿易や海運の情報を求める顧客の集ったロイズ・コーヒーハウスは、現代のロイズ・オブ・ロンドンの母体となったし、ロンドン証券取引所すらもその原点はやはりジョナサンズ・コーヒーハウスだった。アイザック・ニュートンが入り浸ったというグレシアンは、ロイヤル・アカデミーも真っ青の自然科学の最先端の議論を提供した。ある批評家の説によれば、イギリス流のいわば言文一致体はコヴェント・ガーデンのコーヒーハウスから生まれた。そこで日々交わされる丁々発止のその生きたことばが、「かつての散文体の堅苦しさに劇的な変化をもたらして」、ジョナサン・スウィフトダニエル・デフォーの文体を形づくった。

 かくしてイギリス近代革命の精神は、コーヒーハウスのイニシエーションを通じて涵養された。しかしそればかりではない、筆者の見立てでは産業革命を牽引したのもまた、カフェインだった。「飲むと目が覚め、集中力が高まり、あらゆる面で頭が冴える」この物質によって、労働者たちは「夜も目を覚ましていられるだけでなく、当然押し寄せてくる疲労感を食い止められるようにな」った。その充填なくしては労働がもはや成り立たない以上、コーヒー・ブレイク、ティー・ブレイクは息抜きの余暇の時間ではない、この時間こそが今や労働の要となった。人がカフェインを使うのではない、人がカフェインに使われるのだ。かつて太陽によって司られていたバイオリズムは、中国やインドから輸入される茶と砂糖によって更新された。一度この禁断の果実のスピード感を知ってしまった人類は、もう牧歌的なエデンの園には戻れない。

 

 カフェインによって失われたこの約束の地への郷愁を媒介してくれるのが、もしかしたらメスカリンなのかもしれない。

 それが果たしてカフェインの寄与であるかはひとまず保留しておくが、「私たちの普段の世界の見え方は『生物としても社会的にも役に立つよう制限されて』いるのである。私たちの脳は、人が地球上で生存するのに役立つ『ほんの一滴』の情報のみを意識し、ほかは無視できるように進化した。しかし現実はじつはもっと広大で、400ミリグラムの硫酸メスカリンさえ摂取すれば、〔オルダス・〕ハクスリーの言う意識の『減量バルブ』を、言い換えれば知覚の扉を開けられるのだ」。

 そうして筆者は、パートナーとともに原住民の儀式に参加することで、メスカリンを実際に自ら試してみる。興ざめするような結論を先に引いてしまえば、この「幻覚剤の王様」は、「誰でも知っていることを今さらながら教えてくれる思慮深い師」でしかなかった。

 彼はメンターに促されるまま、自らの積み重ねてきた過ちを赦す、そして他者を赦し、最終的に自分自身を赦す。続いて湧き出してきたのは、感謝の涙だった。「贈り物のような大切な人々と人生の中で出会えたことへの感謝、終わるのはまだ先だとはいえこの人生をあたえられたことへの感謝、こんな殺伐とした希望のない時節にあっても、こんな温かい涙を流させ、大事なことを知らせるパワーを持った植物と関われたことへの感謝。本当に、感謝してもしきれないほどだった」。

「幻覚剤を使うと」、いや使ったところで、「凡庸さは避けられない関門なのだ」、なぜならば、人間なんてその程度の代物でしかないから。

 しかしもし仮に筆者がこうした邂逅を経験していなければ、こうした「甘ったるい言葉」が漏れ出ることすらなかったに違いない。赦すべき誰かも感謝すべき誰かもいないその世界線に住まう彼は、薬物のほかに向かう先も持たない、「凡庸」でさえあれない依存症患者の誕生をテキストに刻むことしかできなかっただろう。ケシから抽出されるオピオイドで孤独の痛みを束の間紛らわせるよりも、春の庭先を美しく彩るその花を一緒に見てくれるような誰かを探す、それしきの「凡庸」なことを教えてくれる「思慮深い師」として幻覚剤が現れることもおそらくはなかっただろう。これまでもこれからも、コーヒーハウスという場で交わされる何気ない会話ほどに、ドラッグは世界を変えてなどくれない。

 

 だから、知覚の扉を叩く前に、近くの扉をノックしよう。

 

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デカフェ

 

 本書は、2017年から2019年にかけて、みすず書房より刊行された『中井久夫集』全11巻の解説をもとに、大幅に加筆修正をおこなったものである。中井の逝去にあたり、長年の担当編集者であった守山省吾氏より、通読することで中井久夫の生涯を浮かび上がらせることができるとして、一冊にまとめることを勧められた。

 

 と、あとがきにおいて本書の編まれた経緯を知ってなお、どこかしらモヤモヤとしたものが残る。

 一見して、なんとも捉えどころのないテキストなのである。巻末に30ページにもなる年表が付されているにしては、系統的なクロニクルをめざして書かれた形跡はない。テーマ史として成り立っているようにも見えない。全集に添えられた解説がベースなのだから、そちらに当たらないことには意味内容がつながりようがないといえばそれまでなのだが、それでもなお、このライティングが各々への詳らかなアンサーを構成しているわけでないことくらいは読んでみれば一目瞭然なのである。

 ものすごく雑な言い方をすれば、目的意識がない、あるいは本書に即せば、「因果律」がない。

 

 だがしかし、もしかしたらこのアプローチこそが筆者から中井への至上のメッセージを形成しているのではないか。

 あるいは全き誤読に過ぎぬのかもしれないその気づきのきっかけは、たまたま同時期にローテーションで読んでいた別のテキストだった。それは、マイケル・ポーラン『意識をゆさぶる植物』、カフェインをめぐるくだり。

 カフェインこそが近代を作った。それは巷間しばしば語られるように、単にコーヒーショップというサードプレイスが近代市民革命をセットアップするための情報交換の場を提供していたというにとどまらない。カフェインがもたらす没入性こそが、近代的な生産性を可能にした、そうポーランは展開する。

「合理主義者にとってこのうえない理想の薬となったコーヒーは、ヨーロッパにかかっていたアルコールの霧を晴らし、人の集中力を高め、細部に目を配らせ、そしてまもなく雇用主も、それが生産性をめざましく向上させることに気づく」。

 コーヒー・ブレイク、ティー・ブレイクは労働者たちが憩いの時間を得るために必要としているのではない。むしろ、使用者が彼らの生産性にブーストをかけるためにこそ不可欠なのだ。

 カフェインを使うのではない、カフェインに使われる。こうしてできあがった近代という名の生産性至上主義社会、カフェイン・ブースト型社会へのアンチテーゼこそが、中井久夫という人を、いや『中井久夫 人と仕事』というカフェインのカの字も出てこないこのテキストをさりげなく貫いているテーマなのかもしれない。

 

 本書の折々に登場するキーワードのひとつが、「継ぎ穂」である。この語は「『あのー』や『えー』といった間投詞や、『ね』や『さ』『よ』といった文末の結び方を指し、これによって会話はスムーズに進行する」。単に意味内容の作用のみを突き詰めるならば、これらフィラーはあってもなくてもよいはずの、むしろノイズの類のものである。

 ところが中井の観察によれば、統合失調症の患者において、この「継ぎ穂は虚空にひるがえるばかりである」。この「継ぎ穂」は、「連歌のよう」に相手方の次なることばを引き出そうとはしない。向かい合う対話の相手に対して「継ぎ穂」が「継ぎ穂」として機能しない。一見自己完結しているかに見えることばを放つ「彼らが自閉的であるといわれるのは、強固な壁を内面の周囲に廻らしているからではない。彼らは、実は風の吹きすさぶ荒野に裸身で立ちつくしているのである」。彼らは寄り道を知らない。彼らは己の中に純化され切ったことばを持つ。彼らのことばは他者によるブラッシュ・アップを必要としない、彼らは他者を必要としない。彼らはless is moreな近代を体現する、カフェインによって目的へとまっしぐらに駆り立てられるあの近代を。

 

 奇しくも中井にとって、「書くことは明確化であり、単純化」であった。そう自ら「書く」その瞬間に中井は必ずや己を統合失調症患者に重ねていたことだろう。その自縄自縛からの解放の隘路を彼は絵画に見た。

「言葉はどうしても建前に傾きやすいですよね。善悪とか、正誤とか、因果関係の是非を問おうとする。絵は、因果から解放してくれます」。

 カフェインと並ぶ、あるいはカフェイン以上の、近代の創始者とはすなわち活版印刷だった。音声によるあやふやな伝言ゲームの曖昧を排した、「明確化であり、単純化」の粋であるこのコピーという技術に「継ぎ穂」はいらない、対話はいらない。一方通行のメディアがもたらしたグーテンベルクの銀河系は、その副産物として例えば精神医学の助けを必要とする患者たちを量産した。

 そこに中井は絵画療法を差し出した。「言語は因果律を秘めているでしょう。絵にはそれがないんです。だから治療に威圧感がない。絵が治療しているというよりも、因果律のないものを語ることがかなりいいと私は思っています」。その企図は、逆説的に「因果律」の塊だった。

因果律」によって研ぎ澄まされた近代にあえて「因果律のないもの」を投げ入れる、かなり強引に言い換えれば、それはカフェインを抜く作業に限りなく似る、さらにそれを別の詩人のことばをもって言い換えれば、「ただあることを以てある手を」差し出すことを意味する。

 

 そして中井にとって「因果律」を解き放つ術もまた、まさに「言語」の中にこそあった、それはつまり詩の「言語」の中に。

 彼の定義によれば、「詩とは言語の徴候的使用であり、散文とは図式的使用である」。「詩」の言語の選択には、韻律や音節による文法的な必然はあっても、「因果律」に基づく意味的な必然はない。そこにはただことばのためのことば、〇〇のために奉仕することのない、自己目的化した「言語」だけがある。

 最相葉月の手による、紛れもなき「散文」であるはずのこのテキストは、どこかこの「詩」の定義に似ていやしないだろうか。

 

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