海原の人魚

 

 沖縄で、風俗業界で仕事をする女性たちの調査をはじめようと思ったのは2011年だった。

 沖縄の風俗業界には、未成年のときから働き出した女性たちがいると伝え聞いていた。年若くして夜の街に押し出された彼女たちがどのような家族のもとで育ち、どのように生活をしているかがわかれば、暴力の被害者になってしまう子どもたちの生活について話し、それを支援する方法について考えることができるのではないだろうか。……

 話を聞かせてもらったのは10代から20代のキャバクラや風俗店で働いている女性たちで、子どもももっているひとがほどんどだった。彼女たちは10代で子どもを産み、パートナーと別れたあと、ひとりで子どもを育てるために夜の業界で仕事をしていた。

 そうやって夜の街を歩くようになってから、私は昔の出来事を思い出すようになった。最初は友だちの手のひらを思い出した。その次は隣でさらさらと揺れていた髪の毛を思い出した。どれも中学生のころ、私の近くにあったものだ。

 話を聞いた女性たちはみんな、私の中学時代の友だちの面影を宿していた。……

 15歳のときに、捨てようと思った街に私は帰ってきた。今度こそここに立って、女の子たちのことを書き記したい。

 これは、私の街の女の子たちが、家族や恋人や知らない男たちから暴行を受けながら育ち、そこからひとりで逃げて、自分の居場所をつくりあげていくまでの物語だ。

 2012年の夏から2016年の夏までの、4年間の調査の記録である。

 

 100人いれば100通りの人生がある、なんて大嘘で、事実は1通りの人生しかない、つまり、AIによって計算可能、記述可能という意味で。

 

 筆者がかつてのクラスメイトの記憶を重ね合わせずにはいられないように、このテキストに登場する女性たちの姿は皆、驚くほどに似通っている。ある面では当然のことなのだ。男女の非対称な構造の中で日常化する暴力と搾取という鋳型を通じて切り出されたのが、この沖縄の彼女たちなのだから。

「ああそうか、これはデジャブだ、と思う。ずっとここで、繰り返されてきたことだったのだと思う」。

 このシステムをリフォームしない限り、これまでもこれからも、こうした「デジャブ」をまとう女性たちは、再生産され続ける。それは同時に、専ら加害し搾取する側の、ただひたすらに短視的で衝動的な男性たちを再生産する営みを兼ねてもいる。

 と、読み終わって数週間、途方に暮れる。

 このインタヴューから彼女たち6人の共通項を抽出して、レヴューすることくらい、訳もなくできる。それは少なからず、沖縄の「夜の街」に立つ女性像の、最大公約数的なフィギュアにもなるだろう。そもそもからして、こうした再生産構造の抑止のために、ひとつのモデルを描くべく立ち上げられたはずのフィールド・ワークでもある。

 そんなことは分かった上で、途方に暮れる。

 書かれていることからサマリーを抜き出す、その作業そのものがどうとも形容しがたく、テキストの性質そのものになじまないような気がしてならないのである。それはひとつには、類型化が搾取構造を少なからずリピートしてしまうから、という点もある。キャバ嬢、デリヘル嬢、JCJK――そうして対象を次から次へと記号消費する男たちの営みと、切り抜きというプロセスが少なからず相通じることはどうにも否めない。しかし、この違和感はその一点にのみ起因するものではない。

 引っかかり続けてはいる、何かしら言語化をしてすっきりはしたい、しかし要約化という行為に移すその仕方がなじまない、ような気がする、そうして一読者は途方に暮れる。

 

 そんなある日のこと、本書に対して抱き続けるこのぎこちなさに、関連書籍とも思わずに手に取った一冊のテキストが、唐突にその糸口を教えてくれた。

 湯澤規子『焼き芋とドーナツ』。

 この本のプロローグにおいて主に言及されているのは、高井としを『わたしの「女工哀史」』。「わたしの」というフレーズがはさまるのには訳がある。あの『女工哀史』を著した細井和喜蔵の内縁の妻だったという高井は、歴史的ルポルタージュに描かれた対象のひとりで、「細井の執筆や取材にも深く関与していたことから、実質的には『女工哀史』のもう一人の執筆者ともいえる。しかし、籍を入れていなかったという理由で『女工哀史』との関わりはなきものにされたばかりか、莫大な印税も彼女の手には届かなかった」。そんな彼女が、半世紀余を経て、自らテキストを上梓する。

「わたしの」と明記しているところを見れば、同書が言わんとしていることは推察できる。社会に広く知られた『女工哀史』には「自分自身」が描かれていない。だから、あらためて、「わたし」という主語で自らの物語を描き残したい。その意志が書名から伝わってくるのである。

 もちろん、大正昭和の高井と『裸足で逃げる』を紐づけて、今さらながらに前近代型封建制に共通の「デジャブ」を引き出そうなどという話ではない。

「わたし」である。

 レヴューを試みれば試みるほどに、その文章から「わたし」の痕跡が漂白されていく、「わたし」が抽象的な彼女たちへと還元されていく、たぶん、それが一連の躊躇の原因だった。

 上間陽子によるこのインタヴューとは、聞き手を持つことを通じて、語る「わたし」を彼女たち自身が発見していく試みに他ならない。結果ではない、その過程こそが、本書を本書たらしめる。

 彼女は、彼女たちは、「だれかに見つけてもらって、おうちに帰りたかったのだろうと思う」。「だれか」に見つかること、それはすなわち安全基地としての帰るべき「おうち」が見つかることであり、つまるところは、「わたし」自身が「わたし」を見つけることに他ならない、「わたし」を「わたし」たらしめるナラティヴを見つけることに他ならない。

 まるでウィリアム・フォークナーのように荒涼とした世界の中で、彼女たちはまさに判で押したかのようにかりそめの「おうち」を見つける。つまり、ヒモそのもののクズ男どもである。経済的な理由からすがるのではない、むしろ彼女たちは身を売って食わせている側なのだから。しかし彼女たちは、苛烈な暴力にさらされようとも、彼らから離れることができない。なぜならば、彼女たちを見つけてくれる「だれか」が他にはいないのだから。「だれか」を失えば何者でもなくなってしまう、その孤絶の方がたぶんDVよりも辛いのだから。

 

 その中で、「夜の街」から、男たちから、ようやく離れることをひとりの「わたし」は達成する。

 そのきっかけは、彼女が「DVを受けていることに気づき、声をかけてくれた看護師たち」だった。必死に駆け込んだ警察――文春よりも役に立たない公金チューチューでおなじみの――が「籍が入ってないから」とやらを口実に被害に見て見ぬふりを決め込む傍ら、そうしてようやく「だれかに見つけてもら」ったことで、彼女ははじめて「わたし」になる。その出会いを契機に、「わたし」は「自分が助けてもらったことを、今度はほかのひとたちに返してあげたい」と看護師を志し、その思いを実現させる。ロールモデルの先に生まれた「わたし」の次なる望みは訪問看護師だという。「病気や障がいをもちながら、ほんとうは家で暮らしたいと思っているひとたちが世の中にはいる。だから自分は、そういったひとたちのそばにいて、一緒に暮らしをつくっていく看護師になりたい」と「わたし」は思う。

 

 本書は、そんな「わたし」と、まだ「わたし」になり切れない「わたし」によって構成される。テキスト越しにそのストーリーに耳を傾ける、そのことがあるいは次なる「わたし」を誕生させる。

 

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「  」

 

 5年生になった頃、塾の先生が家に電話をかけてきた。

「お母さん、潤君のノートをご覧になったことはありますか?」

 なんのことだか理解できなかった母さんは、ぼくのノートを見て絶句した。

「えっ……」

 ぼくのノートは、最初の見開き、つまり2ページ目と3ページ目が真っ黒だった。

 黒い墨やマジックで塗りつぶしたのではなく、鉛筆の文字で埋め尽くされて真っ黒になっている。

 ぼくはなぜかページをめくれなくなっていたのだ。(中略)

 だから仕方なく、文字を書いていない余白に続きを写していく。余白がなくなったら、今度は文字の上に文字を書いていく。読めなくなっても、ひたすら最初の見開きに鉛筆を走らせる。結果的に、ぼくは真っ黒いノートを作っていた。

 これは、最初にぼくが発したSOSのサインだったのだと思う。

 

 自分は周りから臭いと思われている。そう思い込んでしまう精神疾患を「自己臭恐怖症」という。今も通院している病院で知ることになるのだが、中学2年のぼくはそんな専門用語など知る由もない。ましてや自分の心が病気に侵され始めているなんて思いもよらなかった。

 幻聴も同じで、ぼくはずっと、本当に聞こえている声だと思い込んでいた。

 みんながぼくのことを「臭い」と言っている、それだけが、ぼくにとっての真実だった。

 

 人前に出ることによって、確かにぼくの症状は良くなっていった。幻聴や幻覚も出ず、自分で認識できるほど、頭がクリアになっていく。

 そこに、油断があった。ぼくが病気であることを知っていた友人たちが、ぼくを励まそうとして言ってくれた。

「そんなにたくさん薬を飲まなくても大丈夫だよ」

「薬なんか、早く止められるように頑張れよ」

 うれしくなったぼくは、先生にも告げず、自分一人の判断で飲むべき薬の量を減らしていった。(中略)

 外からどんなふうに見られていたか知らないけれど、自信はあった。薬に頼らなくても、ぼくは普通にやれるんだ、と。ただの過信だったのに、ぼくは間違った方向に舵を切っていた。

 

 ぼくは引っ越した新しい住まいで、新たな恐怖に襲われる。

 高校時代、学校の廊下が波打ってぼくを吞み込もうとしてきたことがあったけれど、今度は別の種類だ。いまだに、本当に見えたと思えるほどのリアルな映像を、ぼくはいつも見るようになる。(中略)

 南の窓に現れた幻は、キックさんやモンチ[友人の名前]ではない。ライフルの銃口がぼくに向けられている。スナイパーだ。

「やばい!」

 反射的にのけぞり、壁に頭を強く打った。(中略)

 スナイパーは、いろんなところからぼくを狙ってきた。キックさんやモンチが見えた看板、マンション下の電柱の影、向かいの建物に隣接した駐車場、時には駐車場に停めてある軽トラックの荷台の上から銃口を向けてきた。

 スナイパーが、ぼくにもっとも接近した場所は、玄関だった。気配を感じ、恐る恐る見に行くと、ドアの郵便受けが内側にパカッと開いた。

「あ、罠だ!」

 思うが早いや、郵便受けから銃口がヌーっと現れてぼくを狙った。

「アサシンだ! 暗殺者だ!」

 部屋の中の物をなぎ倒しながら、ぼくは奥へ逃げていた。殺される。逃げなきゃ。ぼくはわめきながら、玄関から一番遠い風呂場に逃げ込み、ドアを閉めた。

 体は恐怖にガタガタと震え、歯はガチガチと音を立てる。震えを抑えるため、両腕で強く自分を抱きしめるようにする。指先に力が入り、爪が上腕にめり込んでいく。痛みなどなかった。怖くて、恐ろしくて、「助けてくれ、助けてくれ」と、誰もいないのに泣きながらお願いした。

 

 次から次へとたたみかけてくるその体験に、幾度本を伏せたことだろう。

 しかし、こうしたセンセーショナルな記述は、加賀谷が味わった症例の、ほんの氷山の一角でしかない。というのも、こうしたいかにも特徴的なかたちで描き出される「幻覚(幻視・幻聴など)や妄想という、統合失調症の『陽性症状』」にさらされる数百倍、数千倍の時間を、彼は「感情の鈍麻、集中力や気力の低下、どんよりした気持ちの状態」の「陰性症状」とともに過ごしていたのだろうから。「そもそも思い出せるだけの感情が、なかったのかもしれない」、だからこそことばにしようもない、なりようもない。このテキストはそんな「ぬけがら」の空白で満たされる。

 象徴的なシーンがある。

 外泊許可が出たので、両親と彼女とぼくの4人で、ファミリーレストランに行った時のことだ。(中略)

 ほどなくカレーが運ばれてきて、ぼくは、「いただきます」とスプーンを手にした。目の前の御馳走を食べようと、カレーをすくい上げる。だが、口までもう5センチのところで動作を停止させるしかない。舌の不随意運動〔薬の副反応に由来する遅発性ジスキネジア〕が始まってしまったからだ。このまま食べれば、間違いなく、口からカレーを撒き散らかしてしまう。

「動くな! 動くな!」と命令しても、舌はぼくの言うことなど聞いてくれない。止まっているスプーンに顔を近づけてみたが、やっぱり食べることはできない。悔しくて涙が流れた。ぼくはその姿勢のまま30分間固まっていた。

 ただ単に目で追うだけならば、ものの数十秒で足りてしまうほどの文字数にすぎない、しかし実際にはここに30分もの凍りついた時間が凝縮されている。

「あれ? 何か忘れてるな。あれあれ? なんだっけ?」

 忘れ物がなくても、気になって考えてしまう。なんだろう、なんだろうと、同じことをぐるぐる考えてしまう。ふと我に返り、時計を見ると、一時間半が経っている。

 このタイムスケールの倍率が、読み解かれねばならない行間を暗示する。

 毒親ものとして読むこともできよう。閉鎖病棟の非人道的な医療システムをめぐる告発と捉えることもできよう。今一度世界に向けて歩み出す、その軌跡に胸を熱くすることもできよう。しかし、このテキストのポイントはもはや、それら書かれた文字の中にはない。

 文字にすらなることのできなかった何かが、密やかに滲み出る。彼から失われた時間が。

 

 入院後、経過観察のために放り込まれた、ひとりきりのある日の保護室

 午後を過ぎてゆくと、窓から西日が入ってきた。1日の中で部屋が一番明るくなる時間帯。が、その明るさは逆に暗さへの序曲でもある。日暮れになると、明るい日差しはだんだんとオレンジ色を帯びてきて夕日となっていく。また、一日が何も変わらず終わってしまう。

 窓から差し込むオレンジ色の自然光は、ぼくを不安にさせた。

 このままでいいのだろうか。

 ぼくは閉鎖病棟保護室で時間を捨てているのではないか。

 外の世界はどんどん進んでいるのに、ぼく一人取り残されて……。心がザワザワする。何者かがぼくの臓器の中で拳を押し付け、グワァーっと圧力をかけてくる。

 

 ムダダヨ

 オマエナンテ ナニヤッテモ ムリダヨ

 モウ オシマイナンダヨ

 

 ぼくは追われていた。自分自身に追われていた。

 日が沈み暗くなると、保護室は蛍光灯の白い明かりに守られた。窓はカーテンが引かれ、ぼくのザワザワした心は落ち着きを取り戻した。消灯後も、小さなオレンジ色の灯りは点いたが、さほど気になることはなかった。窓から忍び込む夕日だけが、ぼくの心を掻き乱した。

 そのせいか、いまだにぼくは、夕日を見ると、心がザワザワしてしまう。どんなに具合がよくなろうとも、夕日によるザワザワは、一生治まることはないような気がする。

 

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アメリ

 

 私が妊娠したのは4日前だった。

「あれ、まだカップあったのか」

 部署の島に戻ってくるなり課長がつぶやいた。夕方の脂じみた空気に、煙草のにおいが加わる。

「いつのだっけ、あれ。ああ、午後一の来客のときか」

 今度はもう少し大きな声で言う。どれだけ聞こえるように言ったって、時間を確認したって、カップもソーサーも自分で流しまで歩いていくわけでもないのに。……

 反抗とも呼べない、ちょっとした実験のつもりだった。他の誰かが、例えばその打ち合わせに出ていた人がカップくらい片付けるんじゃないかって。……自らカップを片付けにやってくる人がいないと彼らはどうするのかなって好奇心が少し働いただけだった。

 だからカップに少しだけ残されたコーヒーに煙草の吸い殻が突っ込まれていなければ、午後4時半まで放置された吸い殻のにおいがここまでひどくなければ、素直に片付けるつもりだった。

「すいません」

 通りかかった課長に声をかけた。給湯室に行こうとしたのか、マグカップティーバッグを持っていた。最近はまっているらしい明日葉茶だろう。

「今日代わってもらえませんか。片付け」

「え」

「ちょっと無理です」

「どうしたの、急に」

「今妊娠していて。コーヒーのにおい、すごくつわりにくるんです。タバコの煙もダメだし。あとこのビルって全館禁煙ですよね」

 こうして私は妊娠した。

 

「この会社の人たち、顔色が悪い。……社員の顔色が全体的にくすんでいる。日焼けというより、内臓が悪そう」。

 そこにはただ残業のための残業があった。「私」が勤めるそのブラック企業には、契約で交わしたはずの生産管理の業務の他に、「名前もない、もはや誰からも直接頼まれることがない仕事」があった。

「電話に出る、コピーを取る、買い出しをする、部署あてに来た郵便物を担当ごとに割り振ってそれぞれに配る、コピー機の用紙やインクを取り換える、ホワイトボードの日付を毎日書き直す、落ちているゴミを拾う、用紙が詰まったまま放置されているシュレッダーを直す、冷蔵庫の中の腐ったものを処分する、電子レンジで温め過ぎて爆発したらしいコンビニの親子丼の残骸をアルコールで拭く。別にこれらはあなたの仕事だと言われたわけではない。けれど、しないで放っておくと、ねえ、と声をかけられる」。

 そんな「名前のない仕事」が、それがあたかも自発的な行為であるかのごとくに、日々「私」に課せられる、それはたぶん「私」が女性だというだけで。

 そして「私」は何気なく嘘をつく、子どもを身ごもった、と。女性の女性性を煮詰めたような妊娠というその行為が、無原罪の懐胎が、「私」と周囲の関係をほんの少しだけ変えていく、色のない世界が束の間彩りを取り戻す。

 

 ある日のこと、デスクの上に宅配便が届いていた。他社からのゼリーの差し入れだった。「名前のない仕事」だった。箱から取り出してスプーンを添えて、ひとりひとりのもとへと配り歩けよ、との暗黙の命令だった。それまでならばその通りにしていた。しかし、妊娠14週目の「私」は違った。

「名前のない仕事」を誰も担わない末に古紙が散乱し、モノトーンと段ボールの生成り色で覆われていた給湯室の冷蔵庫に「早いもの順です。どの課の方もお好きにお取りください」とメモを貼ると、席に戻りひとり、マスカット・ゼリーを食する。

 包みのなかには、緩衝材と装飾を兼ねた、たぶんあのくしゃくしゃとした「紙とも布ともつかない素材」が容器を囲んでいた。ゼリーに合わせた「桃色、橙色、うぐいす色の淡い三色。よく見ると細かなラメが混ざっていて、頼りない蛍光灯の光にわずかに反射する」。

 

 その嘘は「今週末は誰とも一言も喋っていない」、そんな「私」の日常を変える。

 ひょんなことから通うことになったマタニティビクス、「ジムの教室のドアを開けると、部屋には色とりどりの妊婦がいた。赤やオレンジ、グリーンなどの鮮やかなTシャツに、ブラトップの人も何人か」。そうしてハードなエクササイズをこなした後、銘々が愚痴をこぼし合う輪の中にいつしか「私」も加わるようになる。カラフルなリアルを前にして、それまでの数カ月間、定時退社により生まれた空き隅を埋めていたサブスクでの映画鑑賞のルーティーンは瞬く間に色を失っていく。

 けれど「私」ははたと惑う。誰も得をしない職場の飲み会の帰り道「よりも、エアロビの後にラウンジでくだらないことを散々喋ったりお菓子を食べたりして帰った一人のアパートの玄関の方が、ずっと暗いのはなんでなんだろう」。

 どんなコンテンツよりも強力にその嘘を信じさせてくれる魔法がはたと解けたその瞬間に、シンデレラの灰かぶりとしての日常はなおいっそうその耐えがたさを増す。

 

「芯は空っぽでよかった。そこに物語をつめていくから」。

 この小説を読み進むほどに、よく分からなくなっていくことがある。

 結局のところ、「私」はどこまで嘘をついているのだろう、と。妊娠していると嘘をつく、そうして嘘から生まれた真がここに書かれているのだろうか、もしくは、その真と思しき何かすらも嘘なのだろうか、と。

 作中「私」は、嘘がなければ出会うこともなかっただろうとある人物に向けて語りかける。

「自分だけの場所を、嘘でもいいから持っておくの。人が一人入れるくらいのちょっとした大きさの嘘でいいから。その嘘を胸の中に持って唱え続けていられたら、案外別のどこかに連れ出してくれるかもしれないよ。その間に自分も世界も少しくらい変わっているかもしれない」。

 確かに、この小説は嘘をもって変わりゆく「自分」を描く、嘘というレンズ越しの主観としての「世界」が変わりゆくさまを描く。だが果たして、「世界」は本当に変わっているのだろうか。

 やがて産休が明けて「私」が職場に復帰すると、「部署の空気がわずかに、ごくわずかに変わっていた」。新たに女性のパートを雇うこともなく「名前のない仕事」を各人が分担している、そんな「世界」が広がっていた。どうやら「私」が住まっているのは、育休手当や扶養控除といった実務的な社会保険手続きをもって嘘が白日の下にさらされてしまうことのない「世界」らしい。

 あるいはむしろ、実は妊娠していないのだけれど、という「私」の語りこそが嘘なのかもしれない、しかし、今さら本作においてそんなみすぼらしい叙述トリック云々の可能性を検討する気もしない。

 何もかもが嘘でいい、なぜならこれはフィクションだから。「嘘でいい」、いや、嘘がいい、なぜなら「世界」はクソだから。

 メイク・アップして、ライト・アップして、フォトショップとさらにはAI補正でブラッシュ・アップもかけて、そうして上げ底上げ底を重ねた液晶画面の中の「嘘」に比したとき、リアルの「世界」とやらはもはやおよそ色を欠いた、見るに堪えない、存在に堪えない何かでしかない。そんなみすぼらしさを自白済みの「世界」の中で、それでもなおあえて「世界」を参照すべき理由など、当の「世界」はいかなる仕方でも提示することができない。メーテルリンク『青い鳥』のビフォー・アフター、旅路の果てに一度光の喜悦を知ってしまったチルチルとミチルは、もはや他の誰とも分かち合うべきものを持ち得ない。

「もしかしたら誰かと家族になるとは、互いの存在を担保して忘れ合わないような環境を作ることなのかもしれない」と言ってはみたところで、当然にこの「世界」には、色を持たない誰かと誰かが「互いに存在を担保して忘れ合わない」ようにする、そんな徒労にリソースを割くべき根拠などひとつとしてない。所詮「世界」の営みに、「名前のない仕事」を押しつけ合うだけの、退屈で不毛なゼロサムゲームという以上の意味などない。すべて存在は入替可能、入替不要、01で記述可能で記述不要な無色のデータセットを超えない。

 確かに、嘘は「世界」を変えやしない、ただし「自分」を変えてくれる。現に私たちが生きるタッチパネルより平板なこの「世界」にあって、他者とやらを媒介させるべき必要がどこにあるというのだろう。甘やかな嘘がもたらすカラフルな「世界」を享受する、この想像の自由を前にして、誰を参照する必要があるだろう。

 新たに生まれ落ちる命すらも、この「世界」の何を変えることはない。

 

 語る、すなわち、騙る。

 それは風車か、はたまた魔物か、退屈な現実よりも華麗な虚構、そんな古典メタフィクション論を本書は見事に踏襲する。

 

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Don't Knock My Love

 

 本書の目的は、日本の戦後史のなかにドリフを位置づけ、日本人にとってドリフとは何だったかを明らかにすることである。その際、一つの軸として演劇史の視点を導入したい。一般的に言えば、ドリフはテレビのバラエティ番組で活躍するコントグループであり、演劇のイメージはないだろう。だが、『〔8時だョ!〕全員集合』はテレビ番組であると同時に舞台の生中継であり、メンバーもドリフの笑いは舞台が基本だと語る。また、志村けんは『全員集合』終了後も舞台に立つコメディアンの矜持を持ち続け、晩年は舞台に活動の拠点を移して、「喜劇王」と呼ばれるようになった。……

 本書では、演劇史のなかのドリフを考えるにあたり、演劇と国民/大衆の関係に注目している。日本の近代演劇は国民/大衆に対して、いかにして健全な娯楽を提供するかという問題意識をもっていた。新国劇が流行させた剣劇/チャンバラや、小林一三が育てた宝塚歌劇は、そうした実践のひとつのかたちである。ドリフもまた、高度経済成長期以降の日本において、常に大衆と向きあってきた。日本の近代演劇史の文脈にドリフを接続することで、志村けんはなぜ最後の「喜劇王」なのか、私たちは志村けんの死によって何を失ったのかが明らかになるだろう。

 

 その発足からして既に「遅れてきた青年」たちの集いだった。

 ナベプロのはじまりも、ホリプロのはじまりも、進駐軍だった。言語を解するでもない彼らの求めに応じて音楽を提供する、そうして焼け野原から戦後日本の芸能界は再編された。「言葉が通じないからこその、音楽をともなった身体的な笑い」を原点に培われたそのアプローチは、デビューの段階においてさえとうに古臭いものとなっていた。

 本書を拠点にザ・ドリフターズの足跡をたどるとき、「間に合わなかった」という、いかりや長介悔恨のこの述懐は、呪縛のようにつきまとい続ける。

 

 コミック・バンドのコミック・バンドたる所以は、「演奏を完璧に仕上げてから、テンポをはずしたり変な音を入れて笑いに変える」、その作り込みにこそある。一糸乱れずできるからこそ、あえてのほつれが引き立つ、楽器を手にすることがなくなってなお、ドリフはどこまでも自らのルーツに忠実であらんとし続けた。

 テレビの時代と同期化するように台頭した彼らは、にもかかわらず、このメディア特性とはとことん相性が悪かった、はずだった。テレビという媒体は「次に何が起こるか分からないとき、……最も人を惹きつける」、このことを決定的に知らしめたのがあさま山荘事件だった。「映画のまね」でもなく「舞台のまね」でもなく、「ドキュメンタリー」性にこそテレビの本領はある、それをいち早く発見した萩本欽一の行き着いた結論は「テレビにおいて最も優れているのは素人っていうこと」だった。そのエッセンスを『全員集合』の裏番組としてぶつけ、そして『欽ドン』は成功を収める。

 ところがその時代に、ほぼ毎週が生放送の「舞台のまね」、いや観客を招き入れた舞台そのものをドリフは全力で演じ続けた。ハプニングやアドリブとはおよそ対照的な作り込まれた空間は、本来ならばいかにも「遅れてきた」ものであって、萩本らの台頭をもってその短き春にいよいよ終止符が打たれたかに見えた。

 そんな彼らに起死回生をもたらしたのは、やはりこれまた「遅れてきた青年」、志村けんだった。コミック・バンドとしてのアイデンティティは、楽器を演奏できない志村の加入をもって事実上終わりを告げた。それはつまり、いかりやという絶対的な指揮者のもとでの「アンサンブルの笑い」の終わりでもあった。しかしこの発掘された才能が、ドリフを瞬く間に換骨奪胎していく。「東村山音頭」、「ヒゲダンス」、「カラスの勝手でしょ」――「この時代の『全員集合』には、世界的に見ても最先端のサウンドが鳴り響いていた」。いかりやのジャズから志村のブラック・ミュージックへ、ドリフの根底にはいつだって音楽が流れ続けていた。

欽ドン』の猛追はしのいだ。しかし、次なる奔流に抗うことはできなかった。ドリフのコントのベースにあったのは「動きによるドタバタ喜劇」、対して80年代が求めたのは「言葉の笑い」、そのアイコンに座したのが、『オレたちひょうきん族』だった。奇しくもそれは、かつて一家に一台だったテレビが、一部屋に一台へと変わりゆく端境期でもあった。「兄さん姉さんパパにママじいちゃんばあちゃんお孫さん」が茶の間で同じ画面を見て笑う、その時代がシャットダウンした瞬間に、同じセグメント間で共有可能な「言葉の笑い」さえあればいい、そのことを漫才ブームが発見した瞬間に、ドリフターズの歴史的使命はついに終わりを告げた。

 

 こうした時代性批評としても、本書は非常に秀でている。

 しかしそれ以上に、志村けんという極めつけの「遅れてきた青年」のパーソナル・ヒストリーとして、本書はたまらなく胸を打つ。

『全員集合』がこのスターの開花をもって生まれ変わる、つまりそれはいかりやから志村への政権交代を意味していた。絶対的なパターナリズムをもってグループを牽引し続けたリーダーの忸怩たる思いたるやいかばかりか、そうして方向性の違いから空中分解を迎えたにもかかわらず、志村は気づいてみれば、いかりやの影を追っていた。自身の名前という大看板を背負い、「共演者とスタッフをまとめ、あらゆる場面で決断していかなければならない。対等に相談できる相手はなく、いつも孤独だった」、それは奇しくもいかりやがかつてそうあったように。そしてなにより、笑いの志向性からして彼らは生涯にわたり師弟であり続けた。「ふたりは普遍的な笑いの存在を信じて疑わなかった。だから、ドリフが子ども向けだと言われると強く反発した。彼らは子どもから大人、若者から年寄りまで誰にでも分かる笑いを真摯に追求してきた」。

 1960年代のいかりやが既に「間に合」っていなかった路線を、志村は21世紀においてすら探求し続けた。「人々を同じ時間に同じ場所へ『全員集合』させることは、もはやできない」、その時代においてなお、志村は「大衆」を求め続けた。「娯楽によって大衆を統合するという発想が、時代遅れた。それでも志村は自らの意志で大衆と向き合い、全世代に受け入れられる普遍的な笑いを追求した。それは『全員集合』以来のドリフの思想である。21世紀になってもその思想を胸に抱き、その実現を自らの使命とした志村は、『喜劇王』を必要としない時代の『喜劇王』になった」。言い換えれば、社会がお笑いに「『笑われる存在』から『笑わせる存在』」を求めるようになってなお、「孤独」な志村は「笑われる存在」を夢想し続けた。つまりそれは、自らの信念のみをよりどころに幻の「大衆」統合の見果てぬ希望を追い続ける、無人の荒野を突き進むパターナリストの決意であった。

 

 それはあるいは、独善的ともいう。

 ドリフのコントの雛型は、絶対的なボスであるいかりやを他のメンバーがいかにいじるかにあった。その脚本を主導していたのは無論、いかりやその人である。そうすることで、彼は進んで自身を「笑われる存在」へと仕立て上げた。その正統後継者である志村は、例えば白塗りのバカ殿に扮することで、道化として「笑われる存在」を貫徹してみせた。

 翻って現代、「笑わせる存在」とはすなわち、他人を「笑われる存在」として吊るし上げる輩の別名にすぎない。彼らはその標的を笑い者にするのではない、笑い物にする。彼らは自他の境界の画然たることを信じて疑わない、そしてその安全圏から心おきなく他人を辱め、いたぶり倒す。そこに人格はない。レイプと同じ、レイシズムと同じ。自らを「笑わせる存在」になるためだけに、ドラキュラよろしく生贄の血を欲し続ける。そんな彼らは終生、損得勘定とマウンティングのポジション・トークの他に語るべきことばをひとつとして持ち得ない。「笑わせる存在」と「笑わせる存在」がフラットに幸福を分かち合う未来のヴィジョンなど、分断にとり憑かれた彼らには決して構想できない。そんな社会のニーズの隷属者たるソフィストどもを尻目に、いかりやと志村は「普遍的な笑い」というイデアにどこまでも忠実であり続けた。

 父権主義者の息子たちが、父を乗り越え、そして次なる父となる。終わらない父殺し、終わらないオイディプス、時代に取り残された「遅れてきた」者たちの系譜をたどる物語だからこそ、このテキストは時代を超えた普遍性を手に入れる。

 

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魔太郎がくる!!

 

 2022年、この男ほど物議を醸した人物はいなかったのではないか。

 ガーシーこと、東谷義和――。

 日本でバーやアパレル会社、芸能プロダクションなどを経営してきた51歳。彼は2022217日、突如としてYouTubeで、「ガーシーCH」という名のチャンネルを始めた。自らの詐欺疑惑が発覚すると、ほとんどの芸能人の友人から連絡が途絶えたとし、「そのすべてから手のひらをかえされ、すべてを失った」と主張。「すべてをさらけ出したる」と、自ら見聞きしてきた俳優や芸人らのスキャンダルを次々と暴露していった。……

 視聴者の反応も真っ二つに割れた。「カネ目的の身勝手な暴露」と非難するものから「芸能界の闇を暴いた」と喝采を送るものまで賛否は分かれたが、チャンネルの登録者数はわずか3か月足らずで120万人超に急増する。……いつの間にか、「ガーシー現象」「一人週刊誌状態」などとの論評まで現れるようになった。……

 私は朝日新聞ドバイ支局長として20224月にドバイで初めて接触して以来、東谷を取材対象として追い始めた。同8月末で朝日を退職して作家として独立したが、ドバイに引き続き住み、取材を継続させてきた。

 その中で常に意識していた、いくつかの問いかけがある。

 なぜ東谷はドバイに向かい、どのようにしてガーシーCHを始めることになったのか。その裏で糸を引いていたのは誰だったのか。そして、どのような人々が東谷の周辺に集まり、一体なにが起きていたのか。

 

 エピローグにて、本書全体を貫く、ひどく腑に落ちる表現にはたと出くわす。

「暴露と報道は本質的に同じ営みである」。

 昔日、本邦が誇るクオリティ・ペーパーとして鳴らした――果たして真にその称号がふさわしい時代が一瞬でもそこにあったのかはあえてここでは問わない――朝日新聞で仮にも記者を務めた人物をして、自身の著作の中でこう言わしめてしまうのである。有言実行というべきか、果たして氏は退社を自ら選択することとなるわけだが。

 ごくごくプライベートな著名人のスキャンダルの「暴露」と「報道」が、この筆者においては完全に同一線上に並ぶ。そして「ガーシー現象」を祝福しただろう多くのリスナーたちもまた、この定義を完全に共有している。

「一人週刊誌」という評において想定されているコンテンツなど、幸か不幸か、日本にはただひとつしかない。もちろん、『週刊文春』である。

 遡ること4半世紀弱、この媒体上でひとつのキャンペーンが打たれた。ジャニー喜多川の犯した性加害の告発だった。もっともそれはあくまで、ホモフォビアに由来するイエロー・ジャーナリズムの「暴露」の域を超えるものではなかった。それから数年、名誉棄損をめぐる民事訴訟においてその行為が事実上認定されてなお、大手メディアは足並みを揃えてほぼ黙殺を貫いた。

 その帝国に亀裂を走らせたのは、2023年のBBCによる「報道」を待たねばならなかった。間もなく国連の人権委員会による調査が、ヒアリングを通じてこのファクトを補強するかたちで伝えた。対して、利害を今なお共有し続ける日本のテレビや新聞は、独自スクープなどいくらでも生み出すことができるだろうに、嬉々として「報道」しない自由を行使し続ける。

 少なからぬ日本人は、ほぼ時を同じくして、別のルートからこれらの情報を知る。それがすなわち「ガーシーCH」だった。元ジュニアのメンバーが、BBCに寄せたのとほぼ同じ証言を改めて当該チャンネル上で明かすことで、ある種のクラスターには燎原のごとく広がっていった。そしてその支持者たちは、口を揃えてガーシーを称賛した、彼がBBCを動かした、彼が世界を動かした、と。

 もちろん、ファクトはそれとは著しく異なっていた。ガーシーCHが立ち上がるより以前から、イギリス国営放送の取材班は、既に調査報道のための下準備に動いていた。ハーヴェイ・ワインスタイン、ジェフリー・エプスタイン、ジミー・サヴィルといった例が示しているように、その検証が表に出せるようになるまでには長い時間を要する。そのタイム・ロスの少なからぬ部分は単に大人の事情に由来するところもあろうが、そこまで矯めつ眇めつの吟味を経て、はじめてひとりの人間を告発することができる、それほどまでに重いのである。

 しかしおそらく「暴露と報道」を同一平面上でしか把握できない輩には、そうした営みの何もかもがタイパとコスパの無駄としか映らない。そうして彼らは人の噂も七十五日どころか、7.5秒で次から次へと炎上ネタを消費していく。

 吉本も宝塚も統一協会も、あるいは震災やコロナすらも、彼らは束の間フラットにポルノのように食い散らかして、間もなく賢者タイムの冷笑を浮かべて言う、まだやってるの? と。

 そしてパレスチナはクリックすらされない。

 

「暴露と報道」を隔てるものは、単にかけた時間と労力の問題ではない。

 それは何よりも人権をめぐって分かたれる。

 旧ジャニーズの性加害のおぞましさは、単にひとりの権力者の歪んだ性癖のみに由来しない。それは何よりも推定四桁の被害者をめぐる人権と尊厳の問題なのである。困ったおじいちゃんの困ったゴシップが「暴露」されたから問題なのではない。その被害者がおそらくは生涯拭うことのできぬ傷を負ったということ、そしてそのダメージを検証し再発させないための道を報じる、「報道」されて然るべき行為であるからこそ、問題なのである。同じ構造が温存される限り、次なる被害者は必ず生まれる、その人権を未然に守るためにこそ、未来を築くためにこそ「報道」はある。

 しかし、世間は文春砲にそんなことを望んでなどいない、いわんやガーシーをや。

 溺れた犬を棒で叩く、その瞬時のストレスのさや当ては、次の獲物を捕らえることでしか満たされない。政治の汚職も、国家の腐敗も、たかが不倫スキャンダルも、彼らにとっては何も変わらない。ただ憂さを晴らせればそれでいい。自業自得で自己責任な汚れた英雄をいたぶることに彼らは何らの良心の呵責も覚えない、それどころか、そこに正義の発動を見る。彼らには、スクラップはできても、ビルドはできない。

「暴露」を消費する者は、いかなる未来も構想できない。

 

 この騒動の中心たる東谷義和当人に目を向けるとき、たまらなく虚しい気持ちに苛まれる。

 買い与えられたおもちゃでしかクラスメートとの関係を構築できない、マンガやアニメに描かれる、金持ちのボンボンのいじめられっ子の類型そのものではないか、と。金の切れ目は縁の切れ目とすべてを失ってはじめて、自分が食い物にされていただけだったことに気づく、そんなネグレクトをめぐる悲しい復讐劇なのだ、と。そこにある種の純真さすら垣間見えてしまうからこそ、「暴露」は限りなく自傷行為に似て、なおいっそう痛々しく映ってやまない。

 そして、「ガーシーCH」のリスナー層もまた、虎の威を借る狐とは異なって、少なからずこうした裏切られの経験を有するからこそ、共鳴し熱狂していた、ように映る。やられたからやり返す、弱者たちはその夢を彼に仮託した。「現象」は唯一、社会のウォンツを巧みに掬い取ったときにのみ生まれる。

トリックスター」でもなければダーク・ヒーローでもない、東谷義和とはすべて日本人の惨めで哀れな等身大の肖像に他ならない。

 

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