忘却と鮮やかな記憶とで織りなされた、秩序もつながりも存在しないこの破れたタペストリーでは、最終的な模様が完成されることはないが、悲劇の起こった日にまつわる鮮明な記憶がふたつある。
ひとつめは、僕が階段に向かって「助けてくれ」と叫んでいたとき、明晰な思考が頭をよぎったことだ。これはおまえの人生のなかでもっとも苦痛に満ちた瞬間だ、と自分で自分に言い聞かせていたのだ。電光石火のごとく、明晰な思考で。今後なにかつらいことが起こり得るとしても、これに匹敵するようなことは絶対にないだろう。
(意識が飛ぶほどのショックを受け、まともに動くことすらできないときに、どうした頭のなかでこのような鋭い自覚にもとづく論理が展開できるのか、理解しがたい)
ふたつめは、〔首を吊った〕Sを床に下ろしてくれた住人たちが遺体のそばに僕を残して部屋を出ていったあと、ひざまずいて彼の身体に触れたときの感触だ。顔を撫でたら冷たかった。あるいは冷たくはなかったのかもしれない。温度というよりも、彼にはもう命が宿っていないことを知覚したのだった。
Sはもういない、と僕は思った。この肉体のなかにはもう、Sはいない。映画やテレビドラマで、悲しみに打ちひしがれ、愛する人の遺体から離れられずにいる遺族の映像を目にする。遺体にすがりつき、抱きしめ、せめて最後にもう一度と、額や唇にキスをする。身体的な接触をできるかぎり引き延ばそうとしているのが伝わってくる。
僕にはそうした感情は起こらなかった。立ちあがって別の部屋に行った。彼の傍らにいることはもはや意味を持たなかったのだ。
そのことを鮮明に覚えている。
つまり、Sの遺体発見当日について、「僕」はこのふたつのことしか覚えていない。
その欠損の穴埋めを求めて、他のテキストに手を延ばしたこともあった。しかし、自殺をめぐって書かれた研究書やフィクションは数あれど、「あとに遺された者たちについて書かれたものではなかった。/けれども僕は遺された側の一人であり、彼らと共に慰めや助言を得たいのだ。どうして誰も書いてくれないのだろう」。
だったら「僕」がその役目を引き受けるしかない、とはならなかった。
Sの自裁から本書が綴られるには、20年余りの時間が「僕」には必要だった。
書いて克服したのではない。克服したから書けたのだ。
死から間もなく、どこからかそのことを聞きつけた知人の小説家が雑談の中でふと電話越しに尋ねる。
「メモをとってるか?」と。「いつか必ず、このことを書くときが来る。いまはそんなことを考えるのも馬鹿げていると思うかもしれないが、心の底では、いつかその日が来るだろうと君自身もわかっているはずだ。俺たちは作家だ。作家である以上、書くことこそが経験を昇華し、人生と向き合う術なのだから」。
Sとともに失われたことばを取り戻すのではない。数限りなく反芻を重ねることで何かが帰ってくることもない。新しいできごと、新しいことばをもって、新しい「僕」が作られたとき、「僕」はようやくSをめぐって何かしらを著すことができるようになった、もしかしたらそれは他のサバイバーに向けてもあるいは届くかもしれない。
忘却の底から「メモ」を拾い集めるのではない。日々の中から「ばらばらの欠片」をまるでピンセットで集めるようにつなぎ合わせて、その日のことをことばにできる「僕」が新たに生まれるまでに、ざっと20年の時間を要した。
いつか治るのではない。
いつか苦しみが癒えるのではない。
いつか赦せる日が来るのではない。
いつか救われるのではない。
自ら選択するのだ。
たとえ同様の悲しみに打ちひしがれる者たちの集う共助のワークショップに参加したところで、「自ら」を持たない、「選択」できない「僕」に吐き出すべきことばなんてなかっただろう。
そしてその日は訪れる。
「ここのところ仕事をしているテレビ番組の編集室でのこと、書類を作成していた仕事仲間に日付を尋ねられた。僕は日付を応え、直後に思った。Sの命日の次の日だ。
そのことに僕は愕然とした。……
それは、この件にまつわるほかの多くのことと同様、ようやく象徴的な事物よりも日常が優先されるようになってきたことを意味していた。……
Sの命日を忘れていたことは、欠落ではなく、克服だった」。
機は熟した。
「いざ書いてみると、思いのほかすらすらと書き進められる。
キーボードの前に座れば、指先からごく自然に言葉があふれ出す。
僕はそれらをあまりにも長いあいだ胸の内にとどめていた。頭のなかで考え、形を整えながら、独の味がする飴玉のように舌の上で転がしていた。もはやそれが習い性となり、耐性ができていたのだ」。
本書は教えてくれる。
ひとはことばでできているのだ、と。




