それにしても、なぜ呼吸の仕方を学ばなければならないのか? いままで生きてきてずっと呼吸をしてきたのに。
この疑問は、たぶんあなたもいま抱いているだろうが、調査を始めてから幾度となく浮かんできた。われわれは命知らずにも、呼吸とは受動的な行動、ただするだけのものと思いこんでいる。息をすれば生きるし、息を止めれば死ぬのだと。だが呼吸はするかしないかの二択ではない。このテーマにのめりこめばのめりこむほど、私はますますこの真実を伝えることに力を注ぎたくなった。……
平均的な読者はここから本書の終わりまで読むのに約1万回の呼吸を要するだろう。私が適切に仕事を果たしたなら、いまからあなたは息をするごとに呼吸とその最良の方法について理解を深める。1分間に20回、10回、口、鼻、気管切開、呼吸管、どのやり方をとっても同じではない。どうやって呼吸するかがじつは肝心なのだ。
1000回呼吸するころには、現代人が慢性的に歯並びが悪い唯一の種であることや、それが呼吸に関連している理由がわかるだろう。……
3000回目の呼吸をするころには、体を回復させる呼吸法の基礎を知ることになる。その、ゆっくりと長く息をする方法は……ごく最近になっていかに血圧を下げ、運動パフォーマンスを高め、神経系のバランスを整えるかがわかってきた。
6000回目の呼吸をするころには、あなたは本格的な、意識的呼吸の世界に入り込んでいるだろう。……第二次世界大戦従軍兵の肺気腫を治療し、オリンピックの短距離走者を金メダル獲得に導いた。それもこれも吐く息の力を利用するだけで。
8000回目の呼吸をするころには、体のさらに奥へと侵入し、何よりも神経系を活用するようになる。あなたは過呼吸の力を発見するだろう。呼吸を使って側弯症の脊柱をまっすぐにし、自己免疫を緩和し、氷点下の気温で体を過熱状態にする……
1万回目の呼吸と本書の終わりに達するころには、あなたと私は肺に入る空気が人生の一瞬一瞬に与える影響と、その能力を息絶えるまで最大限に活用する方法を知っているだろう。
なんでも本書の引用する研究によれば、「慢性的な不眠症は、長らく心理的な問題だとみなされてきたが、多くは呼吸の問題であることが明らかになった」。そればかりか、口呼吸と相関性があるらしいいびきや睡眠時無呼吸は「寝小便、注意欠陥・多動性障害(ADHD)、糖尿病、高血圧、がんなどの原因になる」。
一応、そのロジックらしきものも紹介される。例えば高血圧の場合、「一般的な成人は呼吸時に横隔膜の可動域の10パーセント程度しか使わないため、心臓に負担がかかりすぎ、血圧が上昇して、循環器系の問題が多発する」。ところが、「横隔膜の能力の50パーセントないし70パーセントまで呼吸を大きくす」るだけで、「心臓血管へのストレスを軽減し、体をより効率的に働かせることが可能だ」。
大戦後のソ連にも、別なるアプローチから同様の結論にたどり着いた研究者が存在した。彼は、「呼吸過多こそ、複数の慢性疾患の原因だとの確信に至る。……呼吸を減らしてこの気体[二酸化炭素]を増やせば、体調や健康を維持できるだけではない。病気を治すこともできるのだと」。この理念を実践することで事態を劇的に改善させたという人物にインタビューをする。その彼は「10歳のときから重い喘息に苦し」み、「気管支拡張剤を1日最大で20回使い、ステロイドも併用して、症状を抑えようとしてきた」。しかしその常用の末に、「ステロイドが原因で視力が低下した。……つづければ、失明する。やめれば、息ができなくなって喘息の発作で死ぬかもしれない」。そこで出会ったのが、呼吸の回数を減らすというそのメソッドだった。曰く、「習って3カ月としないうちに、……1日に1回しか吸入器を使わないようになり、ステロイドはきっぱり断っていた。喘息の症状はほとんど感じないと彼は言い切った。50年ぶりに楽に息ができる」。
読めば読むほど、通販の健康サプリを連想させるこのテキスト。そのすべてを真に受けようとは思わない。確かにそれはどこまでいっても、テレビショッピングにしばしば付される「個人の感想です」を越えるものではないのかもしれない。
しかしこと本書においては、その「個人の感想です」の面白さが、どうにも否みがたいのである。
そして事実、口呼吸の有害性を記すべく、10日間にもわたって、「シリコン製の栓で鼻孔をふさぎ、その鼻栓をサージカルテープで固定して、微量の空気も鼻を出入りさせない」、その被験者として自らの身体を差し出すというのである。
変化はただちに現れた。「私の血圧はテスト前に比べて平均13ポイント上昇し、いまやⅠ度高血圧もいいところだ。……一方、神経系のバランスを示す心拍変動は急激に低下して、体がストレス状態にあることを示唆している。そして脈拍は増加し、体温は低下し、精神の明晰さはどん底に落ちた。……
だが最悪なのはわれわれの気分だ――つまり、ひどい気分で、毎日すべてが悪化しているとしか思えない。/……アパートメントでひとり座り、人生に倦んでいる。笑い声のない悲しいシットコムに閉じ込められた気分になることも少なくない」。
とりわけ深刻なのは、不眠だった。「この一週間半は毎晩、眠っているあいだにそっと首を絞められ、喉が閉じていくような感覚に襲われてきた。それは実際に喉が閉じ、私の首が締まっているからだ。……
私のいびきは10日前に比べて4820パーセントも増えていた。……いちばんひどいときは、平均25回の『無呼吸イベント』が発生していた。つまり、重度の窒息状態だったわけで、酸素濃度が85パーセントを下回るほどだった。
酸素濃度が90パーセント未満になると、血液は身体組織を支えられるだけの酸素を運べない。これが長引けば、心不全、うつ病、記憶障害、早世の原因となる」。
実は、これに類似する実験は過去にも試みられたことがあった。もっともその観察対象はアカゲザルで、なおかつ期間は最長で2年にも及んだ。帰結は同じだった。「顔は長くなり、顎はゆるんで、目はどんよりする。
口呼吸をつづけていると、体が物理的に変化して気道が変形する、それも悪くなるばかりだと判明した。口から空気を吸うと圧力が下がり、口の奥の軟部組織がゆるんで内側にたわみ、全体のスペースが狭くなって呼吸しづらくなる」。
今となっては、ではない。こんな残酷ショーは1970年代ですらもぶっ叩かれていた。
しかし、自らを進んで差し出す人体実験を誰に咎められる必要があるだろう。「効果には個人差があります」と弁明しつつ健康不安を煽り立てて金を巻き上げているわけでもない。
他の動物を対象にすれば、あるいはそれは愛護精神に基づく糾弾を受けるやもしれない。しかしそのターゲットが自身となれば話は変わる。己が肉体を駆使したトライアルの数々に、セルフ・ハーミングとはおよそ対照的に、自らを愛する方法の実践をどうして見て取らずにいられるだろう。
ちなみにこれは、鼻呼吸を実践したひとりの44歳男性の血圧データの一例。


そもそも生きるということに、終わることなき日々のデータ・サンプリングという以上の意味はない。




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