あなたに会えてよかった

 

 そんな時期[2009年秋]、新聞の社会面やテレビニュース、週刊誌などは、突如発覚した怪事件の報道に沸き立ちはじめていた。埼玉県警が925日に詐欺容疑で逮捕した当時34歳の女――木嶋佳苗の周辺で幾人もの男たちが次々と不審な死を遂げていた疑いが浮上し、大型の連続殺人事件に発展する、との見方が急速に広まったからである。しかも11月に入ると、はるか西に離れた鳥取県でも連続不審死疑惑が表面化し、メディアの狂騒に一層拍車がかかった。疑惑の中心にいたのは当時35歳の女――上田美由紀であり、その周辺でも多数の男たちが次々と命を落としていた。……

 2つの事件には奇妙なほどの共通点があった。

 まず、佳苗と美由紀はいずれも30代半ばで、生年は1つしか違わない。……どちらかといえば小柄なのに、躯はでっぷりと太った肥満体型の持ち主で、お世辞にも容姿端麗と評せるようなタイプではなかった。なのに2人の周辺で不審な死を遂げていた男たちは、ほとんどが佳苗や美由紀と親密に交際し、肉体関係を持った上、何らかの形で多額の金銭を貢いでいた。

 しかし、いくつかの点では大きな違いもあった。……

 舞台となったのは大都市部から遠く隔たった山陰は鳥取の地であり、美由紀は昔ながらのしがないスナックホステスだった。それも、寂れ切った鳥取の歓楽街の、地元では「デブ専」などと揶揄される場末の店に漂っていた女である。なのに、妻子ある男たちまでが次々と美由紀に惹かれ、多額のカネを貢ぎ、幾人もが不審な死を遂げていた。

 

 本来ならば、社会正義とやらに則って、刑事裁判の問題点にでもフォーカスを当てたレヴューを書くべきところなのかもしれない。

 和歌山カレー事件以来の、状況証拠と認定すべきかすらも怪しい代物が動かぬ物証として裁判所のお墨付きを受ける、その宿痾はこの連続強盗殺人においても踏襲された。被害者2人の遺体から検出された睡眠導入剤の成分が被告とつき合いのあった夫婦からかつて譲り受けていたものと一致した、この事実が法廷においては決定打と見なされた。しかし所詮は市販の量産品である、他のルートの可能性は何ら排除されてなどいない。逆に言えば、この程度の物証しか揃えることのできなかった検察によるひどくお粗末な寸劇として一連の公判が展開されていたことの動かぬ傍証とすら映る。

 地裁においては黙秘権を行使し続けた被告を横目に、国選弁護人は別のとある人物による単独犯行説を展開してみせた。諸条件を考慮すれば、なるほど被告ひとりだけで一連の凶行に及んだとする検察の主張には相当に無理があるようで、さりとて彼らは共同正犯や従犯関係を訴えることもしない。いずれにせよ、本当のところ誰がどのようにして手を染めたのかを証明する材料にはおよそ乏しく、「疑わしきは被告人の利益」との原則に照らせば、むしろリリースが妥当とすら思えてならない。

 しかし、彼女に下された裁判所の判断は死刑だった。

 

 だが、ここでは事件それ自体はひとまず括弧に入れざるを得ない。というのも、これはあくまでテキストをめぐるレヴューを展開すべき場なのだから、そして社会的重要性への配慮からそのような点ばかりをクローズアップすることはむしろ、本書それ自体の趣旨からの逸脱としか映らないのだから。

 私の意に反するように、筆者自身は、ある意味では、以下に私が展開するような取り上げ方には苦言を呈さずにはいない。「間接証拠のみで死刑を言い渡すことへの懐疑も、死刑という刑罰そのものへの疑念も、まったくといっていいほど指摘」せずに、「愚にもつかない“情報”」をいじり倒そう、というのだから。

 そんなことは踏まえた上で、それでもなお言わずにはいられないのである。

 このテキスト、面白すぎる、と。たぶんより正確を期せば、この舞台装置、あまりに面白すぎる、と。これが腹を抱えて笑わずにいられますか、と。

 

 鳥取で発生したこの事件を取材するに際して、筆者が拠点として設定したのは一軒のカラオケスナックだった。そこは被告自身がかつて勤務し、複数の男性たちとの出会いの場ともなった店でもあった。そのスナックをめぐるしがらみのいちいちが、傍から見れば腹を抱えて笑うほかないほどにとにかく「ムチャクチャ」なのである。

 取材時で既に御年70を数えていたママは、「普段はカウンター席の隅にどっしり座ったまま動かず、たまに店の中を歩くと身体中の肉がゆさりゆさりと揺れる。せいいっぱい若作りしているのだろう、薄くなった髪を派手な栗色に染め、しかも両脇で三つ編みしている」。事実上店を仕切るチーママも60歳越え、「長めの髪の毛にチリチリのパーマをあてた……肥満体型の持ち主」。

 絵面を想像するだけで既に抱腹絶倒なのだが、こんな店でも長く続けられるのには理由がある。夫のサイフにより収入面がそもそも安定している上に、このママはスナックとは別に複数の不動産を所有しており、そのうちのアパートの一室に被告を住まわせてもいた。複数の生活保護受給者を物件に抱え込み、そのうちのいくばくかを飲み代としてキャッシュバックさせる、いわば「貧困ビジネス」の親玉としての性格も持つ、とんだ食わせものだった。

 さらに助演女優賞爆誕、ここに第3のホステスがさらなるモンスターとして登場してくる。例に漏れずわがままボディを持て余すこの小悪魔は、なんと当時29歳にして既に5回の離婚歴を積んでいた。しかもそのレイテストの結婚理由が、その男の生活保護費を当て込んでというもの。「生活保護ってことは、決まった収入があるわけでしょ。ワタシは当時、仕事なかったけぇ、仕事が見つかるまで半分もらおうと思ってな」とさらりと言ってのける。別れてはいるが、常連客とホステスとして顔を合わせる関係は続き、なんなら元夫も元夫で、新恋人を連れ込んでは老いらくのディープキスを見せびらかさずにはいられない。対する元妻も元妻で、店で知り合った男と新たに交際してもいる、しかもそれというのが、かつて被告とも付き合っていた人物と来ている。そんな元カノの様子を知りたくてか、ふらっと裁判所を訪れては高倍率を潜り抜けて飄々と傍聴券を引き当てていく強運ぶりには、もはやもののけの風情すら漂う。

 誰だって言いたくなる、このミステリー・スポットを「取り巻く人間関係は、どう考えてもメチャクチャである」。

 

 ところがこんな「ドン底の店」に、鳥取の経済スケールを鑑みればエリートとも呼べる男たちがふと迷い込んでくる。例えば全国紙の記者、例えば警察官、そんな彼らが被告に数百万を抜き取られた後、ある日、次から次へと命を落としていく。肥満体、ゴミ屋敷住まい、5人の子持ち、息を吐くように嘘をつく、たとえちょっとやそっとの優しさを示してくれたにしても、こんな見え見えの地雷に比べればはるかにまともな条件を満たした女性などいくらでもいただろうに、時に家庭すらも捨てて、彼らは被告に吸い寄せられて、そして消えていった。

 やがて筆者は思う。

「男たちが吸い寄せられたのは、美由紀という女の魅力によるものでもなければ、美由紀が弄したという大ウソの数々によるものでもなかったのではないか。むしろ、それぞれが自身の内部に密やかに育て上げていた業や宿痾のようなもの――それは仕事や人間関係の中にあったのかもしれないし、一見充実しているように見えても空疎なものを内包した家庭の中にあったのかもしれないし、もっとプライベートな性癖や嗜好の中にあったのかもしれない――に耐えかねた男たちが、寂れ切った歓楽街で妖しく口を開く底なし沼に吸い寄せられ、自ら進んで堕ちてしまったのではなかったか。だとすれば美由紀は、沼の入り口で青白く瞬く誘蛾灯のような存在に過ぎなかったのかもしれない、と」。

 このくだりに私がふと想起させられた事件がある。渋谷のモルタルで起きたまるで神隠しのようなあの、通称東電OL殺人事件。死神に首を差し出すように、ロシアンルーレットをもてあそぶように、日々己を痛めつけてやまない彼ら被害者は自らの終焉を待ちわびていたのではないか、と。他人事として眺めればもはやシュールなコントとすら見えてしまうこの世という地獄との訣別を望み、来たるべくして天へと迎え入れられたのではないか、と。被害者――とされる人々――を主語に事件を読み換えるとき、誰が殺したのかというトピックはもはや副次的な要素として後景へと退くことを余儀なくされる。

 だとすれば、どうしてこの死を祝福せずにいられるだろうか。どうしてしゃらくさい法廷劇の茶番にかかずらっていられるだろうか。

 

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懐かしい年への手紙

 

 その画像は奇妙だった。シリアの地獄から出てきた、血も銃弾の痕もない謎めいた写真。横顔を見せた2人の男の周りを本の壁が取り囲んでいる。……

 これはダラヤの中にある秘密の図書館だという。わたしは大きな声で繰り返した。「ダラヤの秘密の図書館」3つの音がぶつかりあった。ダ・ラ・ヤ。反逆の町、ダラヤ。包囲された町、ダラヤ。飢餓の町、ダラヤ。……2011年の反乱が始まった地の一つであり、2012年以来アサド政権の軍隊によって包囲され、爆撃されていた。その爆弾の下、包囲された町の地下で本を読んでいる若者たちの姿がわたしの好奇心を惹きつけた。……

 とうとうその写真の撮影者、アフマド・ムジャヘドの手がかりを見つけた。アフマドはこの地下の広場を作った人の一人だった。外部への唯一の窓である接続の安定しないインターネットを通して、アフマドは語った。荒れ果てた町、廃墟となった家々、火と埃、その瓦礫の中から数千冊の本が救い出され、この紙の避難場所に集められて、全住民がそれを利用できること。彼は何時間も、反乱の町の灰から生まれた文化遺産救出計画を詳細に語った。それから、絶え間ない爆撃のこと、空腹のこと、飢えを紛らわす木の葉のスープのこと、それに、心を満たすための際限のない読書のこと。爆弾に相対して、この図書館は彼らの隠れた砦だった。本は、生きていくための特訓の武器だった。

 

 2011年、アラブの春のワンシーン。

 若きデモ参加者たちが、兵士たちに向かって自らの手に持っていたアイテムを差し出す。それはバラの花と水の瓶。時の独裁政権プロパガンダが伝えるところの「憎しみに満ちた宗教狂いで完全武装の反逆者集団」である彼らが、ベトナム反戦運動のフラワー・チルドレンそのままに、「武器ではなく、花」を再現してみせる。

 

 爆撃の合間、それでも人々は図書館に集った。そのワークショップで配布されたのはパズル・ピース型のカード、組み立てに四苦八苦する参加者の中で、たったひとつのグループだけがタスクを成功させる。プレゼンターは言った。「当然です。パズルをする前に完成形を目にしたのはこのグループだけです」。さらに続ける。「頭の中に正確な予想図がなければ、きみの頭は混乱した状態だ。優先順位を決めれば、負ける確率は下がる」。テロリストたちは目の前の「しっちゃかめっちゃか」に翻弄される中で、武器によってさらなる混沌を呼び込むことしかできない、対して抵抗者たちは「予想図」を通じて明日のシリアに希望をつなぐ。「予想図」とはすなわち、テキストだった。

 

 このノンフィクション、まるで本にでも書かれているかのような出来事が続く。

 本に書かれているような。

 この表現には時にやましさが伴わずにはいない。活字の上ならばどうとでも書ける、嘘を重ねられる、ひょっとしたらこの『戦場の希望の図書館』にしても、活動家による全くのでっち上げなのかもしれない、と。

 しかし、本に書かれているような、との印象をこの1冊が与えるのはもはや必然なのである。なぜならば、ある種の経験主義的リアリズムに従えば、時の体制に阿諛追従して寄らば大樹の陰を決め込むことこそが、我が身の安全を図るいかにも賢明な態度ともいえるのだから。しかしそんなものがいかなる帰結を招くかもとうに世界は目撃している、つまり、嵐は勝手に鎮まりなどしない、静かにやり過ごしていさえすれば事態はいずれ好転してくれるなんてことは決して起きない、全体がシュリンクしてかえって己や子々孫々の未来が毀損されるだけだ、ということを。人をやめて犬へと堕する、量産型の量産型による量産型のためのそんな惨めで浅はかな歴史のリアルを書き換えるためには――お花畑な、フィクショナルな想像を現実へとインストールしてしまえばいい、そう、まるで本に書かれているようなことを現実にしてしまえばいい、誰よりも先行して「初めに言logosがあった」ことを受け入れてしまえばいい。

 このテキストは内戦下のシリアにあって、本‐気でそんなことを実現しようとしている人々を描き出す。彼らがむしろ想像上のまばゆき存在として映らない方がどうかしている。

 

 反知性主義愛国教育の中で育ったその若者にとって「本というのは嘘とプロパガンダの味がするものだった」。友人のひとりから瓦礫の本を救い出そうと誘われても、その意味すら分からなかった。その中で一冊を何気なく拾い上げる。彼がほとんど解することのない英語で書かれたその一冊、にもかかわらず、「彼は震えた。彼の中のすべてが揺れ始めた。知の扉を開いたときの心を乱すざわめきだった。一瞬、紛争の日常から逃れる感覚、たとえわずかでも、この国にある書物のひとかけらを救ったという感覚。そのページをくぐり抜けて未知の世界へと逃げ出すような感覚だった」。

 この図書館の一番人気のテキストは、パウロ・コエーリョアルケミスト』。その理由は判然としていた。「彼らにとってなじみのある概念を単純な言葉で言い表しているからだ。自分への挑戦である。彼らには、自分の夢を見つけ出すためにアンダルシアからエジプトまで旅する羊飼いの旅の話はとりわけ魅力的だったに違いない。彼らはこの本を若い革命家である自分たちの苦難の旅を映し出すものとして読んでいた」。たかが小説家によって組み立てられたおはなしが、カリスマに満ち満ちているはずのどんな独裁者のアジテーションよりも戦地の彼らを触発せずにはいない。

 

 主要メンバーのひとりにとっての最愛のテキストは『殻』、「シリア人でキリスト教徒のムスタファ・ハリフェが“砂漠の牢獄”と呼ばれる、悪名高いパルミラ刑務所で12年を過ごした後で書いたものだ。一人称で書かれ、ハーフェズ・アル=アサド政権下で自分が投獄されたときの看守の残酷さと拷問、悪夢についてのおぞましい描写がちりばめられている」。そんなテキストを自身が奈落に置かれてすら読まずにはいられない。彼は言う。「今の僕たちには自分たちの過去に目を向けることが大事なんだ。疑いと絶望のとき、そのことが僕たちの戦う理由を思い出させてくれるから」。なぜに入替可能で入替不要なすべて退屈な実存とやらがいかなる参照にも堪えないのか、なぜただひたすらに論理のみを眼差さねばならないのか、その理由がここにある。現実に目をやれば、人間はそのトラウマ的光景を前に立ちすくみ、ひたすらの麻痺を余儀なくされる。だからテキストによって「その中に浸りきって自分のいる現実を忘れる。すべてが美しく容易な一つの現実に移動するのだ」。そしてその現実を更新するための翼を、「予想図」を授けられる。

 すべて人命は紙より軽い、神より重い。

 彼は言う。

「本を読むのは、何よりもまず人間であり続けるためです」。

 幾度でもリフレインさせよう、あのヨハネ福音書の書き出しを、「初めに言があった」のだ、と。

 

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グレイテスト・ショーマン

 

 

 剣や炎を呑みこむより、体重1キロの人間を救うほうが、見世物としては上等といえる。当時、そんな施設を持っている病院はほとんどなく、仮にあったとしても、ずかずかと入り込むわけにはいかない。そんなわけで、集まった人たちは日々、25セント硬貨を差しだして低体重児を見物した。……運がよければ、収容されている赤ちゃんに看護師が食事をさせたり、風呂に入れたりするようすが見られた。フランス人看護師のマダム・ルイーズ・レチェは、キラキラ輝くダイヤモンドの指輪を取りだしては、赤ちゃんの手首にはめた。腕の上のほうまで通せば、どんなに細いかよくわかる。……

 赤ん坊たちは、雑然とした病院の、血まみれの分娩台からまっすぐ彼のもとに連れてこられた。医師たちから、ほどなく死ぬ、あるいはマーティン〔・クーニー〕がいなければ死ぬ、と宣告された赤ん坊たち。ほかに希望はなかった。1900年代の彼は、シカゴのアミューズメントパークの展示場にいた。ほがらかなヨーロッパ人で、多くの人から名士と目されていた。ただし医学界だけは例外だった。大半の医師からは無視され、不安をかき立てる存在とみなされた。命を救っているとはいえ、滑り台や見世物小屋のどよめきのかたわらに未熟児たちが展示されていることに対して違和感を覚えていたのだ。

 

 この男、マーティン・クーニー、いかにもわかりやすい、ザ・グレイテスト・ショーマンである。

 恥ずかしげもなくドクターの肩書を僭称こそするものの、実態といえばもちろん、医学の専門教育を施されたこともない、山っ気全開の興行師でしかない。経歴どころか、アメリカにわたるまでのヨーロッパにおけるキャリアの何もかも、その姓名さえもが真っ赤な嘘で塗り固められていた。万博において彼の管轄する保育器と未熟児が展示されていたのもあくまで催事場、つまりは博覧会に乗じて集客を図る見世物小屋――それも有料――の一角に過ぎなかった。

 何もかもがフェイクだった、クーニーが事実として数多の未熟児たちの命を救い出した、という一点を除いては。

 

 何かしらの加熱システムで子どもの体温をキープする、そうした保育器技術の揺籃期、20世紀初頭にあって、それらを備えている病院など皆無に等しかった。

 医療機関が見殺しにする他ない我が子の命を救うために親が取れる選択肢といえば――見世物小屋に駆け込めばいい、駆け込むしかない。彼らの命を助け出すために残された一縷の望みがマーティン・クーニーだった。

 そして彼は結果的にせよ、紛れもなくそれに応えた。親族に莫大な医療費をふっかけたわけではない、保険システムが何をしてくれることもない、元手はあくまで赤の他人の野次馬根性を煮しめた入場料だけだった。ただギャラリー向けに器の中に横たえておいただけではない、医師も看護師も24/7体制で張りつけた。ドリームランドが火災に襲われた時でさえ、赤子たちはその炎を免れ、ひとりの犠牲者も出さずに済ませた。

 誰が何を言おうとも、この興行師は総勢7000人もの未熟児に生を吹き込んだ。

 

 プロモーターとしての面目躍如、千載一遇のチャンスが訪れたのは、1934年のことだった。

 ニュージャージーで生を享けたその未熟児エマニュエルの体重はわずかに539グラム、すぐさまクーニーの営むアトランティック・シティ内の施設へと移されるも、運の悪いことに会期末が近づいていた。

 ここで彼は一計を講じる、1600キロ離れたシカゴの〈進歩の世紀博覧会〉へと当時わずか900グラムの乳児を列車で移送するように命じたのである。輸送するための車両を一両丸ごと借り切って、客室内の温度をキープするなど万全の配慮を施されたこの旅路にどうして全米が熱狂しないわけがあっただろうか。

 大々的なキャンペーンを打つ傍らで、家族に向けて看護師たちはこまめに手紙で近況を知らせ続けた。あるときには、シカゴまでの往復のバス代として3ドルが同封されていたことさえあった。

 しかし懸命のケアも報われず、エマニュエルは万博の閉幕と時を同じくして息を引き取った。

 

 クーニーの来歴を追いながら、何となく思い出していた人物がある。

 その人物、有田音松という。戦前に薬局のフランチャイズ・ビジネスでその名を轟かせた人物である。万病の妙薬を謳って広く業務を展開したこの有田ドラッグが今日においてなお語り継がれる理由のひとつが、その店頭にディスプレイとして置いていた人体模型だった。もっともそれは単なる理科室で見るような標本ではない。もげた鼻、膨らんだ腫瘍、皮膚を覆う発疹、と梅毒に蝕まれた肉体をカリカチュアしたものだった。一度見たら忘れられないそのグロテスクさに吸い寄せられるように、人々は有田の薬局へとせっせと足を運んだ。

 薬剤の効用に何の根拠もないことがやがて世に知れ、有田は失墜を余儀なくされる。その点については無論、同情の余地などない。しかし、この手法には今なお学ぶべきものがある、そのことはどうにも認めざるを得ない。性教育のご立派なお題目にはるか勝って、一度見れば脳裏に焼きついて離れない怖いもの見たさの一撃をもって、大衆に広く梅毒の危険性を叩き込んだ、このビジネスマン特有の嗅覚にどうして唸らずにいられるだろう。

 

 クーニーはやはり有田に似る。目的は単に集金に過ぎなかったのかもしれない。不手際により赤子が亡くなったともなればたちまち評判に傷がつき客足が離れてしまう、そんな戦きに突き動かされていたに過ぎないのかもしれない。しかし彼は現に数千人にも上る未熟児を守り抜いた。同時期に医療機関が提供していたサービスといえば「たいして効果のないふかふかのバスケットや温めた病室」、保育器は手間やコストを理由に敬遠されていた。そのような環境では生き延びることのできなかっただろう命が彼の手によりつながれた。

 大々的な宣伝戦略は、単に彼の見世物小屋へと足を運ばせたに終わらなかった。保育器の有用性が人口に膾炙することで医療政策の転換を促さずにはいなかった、もちろん彼が意図しただろうことではないにせよ。各病院や自治体へのロビイストの献身よりも、観衆という名の世論の後押し、すべて彼らはただ動員されるために生まれてきた、いみじくもパブリック・リレーションズパブリック・リレーションズたる所以が凝縮される。

 恵まれない子どもたちに愛の手を、という篤実な街頭募金の呼びかけでは集まらなかっただろう金額が入場料によって賄われた、この点にしてもいかに強調してもし過ぎることはない。

 ジャンクを山と果てなく積み重ねながら、有象無象によるトライ・アンド・エラーが時にとんでもない仕方で新たな時代を切り開いてみせる。神の見えざる手の偉大をつくづく思い知らされる。

 

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I've Grown Accustomed to Her Face

 

 ヒロインりりこは、ティーンを中心にカリスマ的な人気を誇るトップモデル。昨今では女優やバラエティ、音楽と手広く活動の幅を広げ、多忙な日々を送る。ところがある人物が評することには、

「彼女の場合/奇妙なのは顔・姿/のみならず発言に/全く定点がない/ところなんだよ

 ……普通 人間が話すことは/その育った歴史 環境/または性格 感情が/すけてみえるもんだよね

 彼女が/メディアで/発言する/ことには/それが全く/見えない

 表面だけだ……

 彼女の美しさは/イメージの/モンタージュ

 つまり我々の欲望/そのままってこと/さ!!

 彼女には表面しかない、他のものなどあるはずもなかった。なぜならば、

「このこはねえ/もとのまんまのもんは/骨と目ん玉と爪と髪と/耳とアソコくらいなもんでね

 あとは全部つくりもんなのさ/

 すごい無理に/無理をして/こしらえたのが/今のりりこ/なんだよ」

 そして「魔法はいつかとける」。

 絶頂の最中、整形手術のバックラッシュが彼女をじわり蝕みはじめる。

 

 少し前にバーナード・ショーピグマリオン』を読む。

 何やら強烈な既視感に苛まれて離れない。大方、BSか何かでザッピングしながらさっとかじった映画『マイ・フェア・レディ』の記憶なのだろう、と思っていたが、ふと氷解する。

 その昔、始発待ちのマンガ喫茶で時間つぶしに読んだ『ヘルタースケルター』だった。

 改めて読み返し確信する。ビンゴ。

 ミス・ドゥーリトルにとってのヒギンズがすなわち、りりこにとっての「ママ」だった。ヒギンズがその卓越した音声学の知識を駆使して、コックニー訛りの場末の花売り娘に本物以上に本物らしいクイーンズ・イングリッシュとアッパー・クラスの礼儀作法を叩き込んだように、プロダクション社長の「ママ」は、骨格だけは多少なりとも恵まれたみにくいあひるに整形手術を施すことで、自身のレプリカントとしてりりこを作り出した。

 とはいえ、彼女たちには「表面」しかない、何が満たされることもない。きらびやかな衣装に身を包んだイライザがその極上の発音や修辞の粋を凝らして放つセリフといえば昔と変わらぬ底辺丸出しの罵詈雑言、それはあたかもりりこが「ホラ こういうのって/聞きたいでしょ?」をそのまま演じ続けるインタビューのバックヤードで、奇声を発し、ハラスメントを重ね、ガラスをひたすらかち割るくらいしかやることがないのに限りなく似て。薬物もセックスもりりこに何らの鎮痛効果も与えない。彼女は「わかってる そんなことをしても なんにもならない ただのひまつぶしだ」と。

「表面」しか持たない彼女たちは、「表面」だけの乱反射にめまいとともに包囲されつつ、さりとて何ができるでもない。

 

 階級のコードがミス・ドゥーリトルを作り、消費のコードがりりこを作る。

 1912年のバーナード・ショーの戯曲には、かくも虚しき空騒ぎをもって階級社会の破綻を告発せんとするその意図があからさまに籠められていた。そこにはH.G.ウェルズやカール・マルクスの残照も容易に観察できただろう。

 対して、戦後日本の没年、新しい戦中の幕を開けた1995年の岡崎京子がりりこに仮託したのは、広告社会、消費社会の飽和だった。

 もとよりすべて人間関係に失敗の説明関数という以上の機能は付されていない。階級だ、役職だ、なんて、今日今すぐにでも解体しようと思えば解体できる、そんなものはたとえなくても困らない、それどころかなければないほどうまく運んでくれるのだから。100年前を振り返っても、1000年前を振り返っても、所詮は支配‐被支配の構図を決して脱することのない関係性というこのボトルネックが、「表面」しかない空っぽな障害物以外の何かであったためしなどないことくらい、誰しもが知っている。

 世のすべての関係性(笑)なんて、まさしくそこにはタッチパネルで置換可能な「表面」しかないがゆえに、いつでもシャットダウンすることはできる、しかし、消費となるとそうはいかない、自殺とてまた消費の一様式を超えない、いかなる仕方でもやめることができない。

 マス・メディアのおもちゃになることでスターダムの階段を駆け上がる、そんな旧時代型セレブリティの典型をこの物語は表す。スクリーンに映し出されるマリリン・モンローだけでは物足りない人々は、パパラッチとともにノーマ・ジーンの日常をひたすらに食い潰し、ただし「みなさんはいつもとても飽きっぽい」、そのはかなき風前の灯を燃やし尽くせばまた別の生贄を探して回る。

「みんな何でもどんどん忘れてゆき

 ただ欲望だけが変わらずあり そこを通りすぎる

 名前だけが変わっていった」。

 そして現代、SNSの華盛り、世界はもっとずっと悲惨になった。イエロー・ジャーナリズムがスターにつきまとうことで小銭を得たのも遠い昔、今や被写体だったはずの彼らが率先してプライヴァシー――を擬した何か――の切り売りに精を出してやまない。

 人は誰しもが15分に限り有名人になれる、アンディ・ウォーホルによるこの予言は半ば的中した。ワイドショーや週刊誌が炎上を主導した時代ならばその賞味期限は数ヵ月、場合によっては数十年、それだけ非効率にタイムパフォーマンスを投げ売りすれば記憶にも記録にも残っただろうに、今となっては有‐名でいられるのはいいところが3分間、そしてただちに忘れ去られて、焼け跡にはその名前すら灰と消える。

「表面」だけのりりこの時代には、つまり映したくない、隠し通したい裏面がまだ辛うじてあっただろうに、InstagramYouTubeを通じてせっせせっせと裏側を映し続ける、でっち上げ続ける、かつてならばセレブリティと呼ばれただろう現代の彼らは、裏と表の境をなくし、そうしてもはや何者でもなくなった。

 ネット越しに見たいものだけを見る、見たくないものは見ないゾンビたちもまた、その永遠の予定説ループの中で何者でもなくなった。

 吸い上げられたデータセットを残して、用済みの彼らは消えてなくなった。

 

 階級のための階級が終わり、消費のための消費が終わり、そして人間のための人間が終わる。

 1912年の『ピグマリオン』、1995年の『ヘルタースケルター』、そして20xx年の来るべきネクストといえば――AIが何もかもデザインしてくれる、もちろんたかが人間ごときを相手してくれれば、という虫のいい仮定の下での絵空事だけれども。イケメンに癒されたければ、カワイイを拝みたければ、街中を窃視する必要などない、デバイスを覗き込めばいい。どうあがいてもマネキンになんて勝てやしない、そのカスタマイズの計算精度を前にしては、生身の人間とやらを参照すべきいかなるインセンティヴも設定しようがない。

 もっとも、これしきの夢想はギリシャ神話の中にすら既に謳われていた。

 リアルの女に幻滅を重ねたピュグマリオーンは彫像に恋をして、そしてやつれ果て、あまりに哀れな姿を見かねた神によってアニマが吹き込まれることでようやく彼らは添い遂げた。

 もちろん、この世界に神なんていない、いや、いなかった。

 今は違う、ビッグ・データがフィルター・バブルの内側に大衆のゆりかごから墓場までをいかようにもオン・デマンドしてくれる。所詮、人間に経験可能な出来事など有限個のスクリプトの演算を超えない。幸福にも、良く効くおくすりの処方箋はとうの昔に導き出されている。セックス・ポルノ、フード・ポルノ、感動ポルノ……フォワ・グラ用のガチョウの餌づけさながらに、ひたすら安っぽいジャンクなポルノを死ぬまで喉奥にねじ込んでやればいい。

 こんな汚物に声はいらない、顔はいらない、名前はいらない。

 

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LOVE AFFAIR~秘密のデート

 

 ミカと知り合ったのは2011年、7月のこと。

 ミカの本名はミッシェル。フィリピン人だ。名古屋市中区の夜の繁華街、栄4丁目のフィリピンパブでホステスとして働いていた。……

 ミカが日本に来たのは201011月。一足先に日本のフィリピンパブに出稼ぎに来た姉から誘われてのことだった。そのとき姉から「ホステスになるためには、日本人と結婚した形にしてビザを取らなければいけないのよ」といわれた。偽装結婚だ。

 姉はこれまで、家族にきちんと送金してくれた。そのお金でミカは高校、大学と進学できた。その姉に少しでも恩返しがしたい。偽装結婚がひっかかったけれど、そう思って日本に行くことに決めたという。……

 ミカは150センチと小柄で25歳。僕より3つ年上だったことを隠しもせずに教えた。明るくて、やさしい。商売抜きで親切にしてくれるように思えた。店の客としては、僕が若い方だったからかもしれない。「今夜のチャージは千円だけでいいよ」と耳元でささやいてくれたこともある。

 何回か通ううち、僕はミカと付き合うことになった。

 指導教官にそのことを告げたら、顔色が変わった。

「そんな危ないこと、すぐやめなさい! そんなことを研究対象にはできません。その女性とは早く別れなさい。あなたのお母さんに顔向けできません!」

 それでも付き合い続けた。

 

 疑似恋愛産業をフィールドワークの素材として対象化する。

 それ自体は珍しいアプローチではない。宮台真司が一躍その名を轟かせるところとなった『制服少女たちの選択』であったり、近年では鈴木涼美『「AV 女優」の社会学』であったり。単に当事者にヒアリングを重ねただけのテキストや密着ルポルタージュ、あるいは夜の街版成功者かく語りきといったものを同じフォルダーに収めてしまえば、類書にはおよそ事欠かない。

 果たして本書が研究と呼ばれるべき何かなのかは私にはよく分からない。良くも悪くも、ここには筆者と彼女が体験した話しか現れてはこない。調査手法と呼べるものもないといえばない。定性と見なし得るかも怪しいほぼひとつだけのサンプルをもって『フィリピンパブ嬢の社会学』と打ち出してよいものか、疑問は尽きない。

 

 しかし、感情移入というその一点で、本書はそうした小賢しいごたくの何もかもをなぎ倒していく。苦みも甘みも何もかもが詰まったこのカップルの物語に、いちいち揺さぶられずにはいられない。

 科せられた条件からして既にハードモードである。「契約期間は3年。給料〔基本給〕は月6万円、休みは月2回」、家賃やらは雇い主持ちだとはいえ、同棲の事実をもって婚姻関係をでっち上げ逃亡を防ぐために過ぎない、当然、いかなる文書が交わされることもない。それでも彼女は甘んじて来日を選んだ。なにせ「フィリピンにいたら何もできない。仕事ない、仕事があっても給料安い。6万円なんて大金だよ。フィリピンじゃ稼げないよ」。彼女自身も姉からの仕送りで短大まで進むことができた、もっとも卒業したところで働き口などなかったけれど。次は彼女の番だった。

 そんな彼女が店にやって来た青年と恋愛禁止令を破る。車窓越しに眺める名古屋城に目を奪われる。「どこも行ったことない。一回お客さんと同伴で東山動物園に行っただけ。だって休みないでしょ。日本のことわからないし、バスや電車の乗り方がむずかしい。どうやって行けばいいか分からない」。彼女の友人のアパートにふたりきりのところ、突然男が踏み込んでくる。「色黒で白髪まじりの角刈り、口ヒゲを生やし、まさに組幹部という感じの男……背中には一面に龍の刺青が彫られていた」。筆者は慌てて身を隠すも動揺を抑えきれない。「襖を開けられたら見つかってしまう。しかも真っ裸だ。言い訳も何もない。襖が開いたら、全裸のまま土下座して謝ろう。いや、それとも開けられる前に外に出て謝ったほうがいいだろうか。頭の中がぐるぐる回り始めた。脇の下を汗が伝って流れる」。

 念願の里帰りに筆者も付き添う。山と土産を抱えての帰国。香水、家電、時計、バッグ……そのほとんどは彼女が常連にねだって買ってもらったものだった。そんなこんなで平均月収2万の国で親戚中にたかられて、持ち込んだ40万円があれよあれよと消えていく。外国に出さえすれば、金は湯水と湧いて稼げる、彼らは心底そう信じて疑わない。「外国で働き口を見つけ、家族に送金できれば、フィリピンではそれが勝者なのだ。送金があれば、メイドとして働く身分から、メイドを持つ身分に変わるのだ」。

 そんな姿に怒りを誘われ、つい彼女の父親にぶつけてしまうも、ふと我に返れば、筆者自身も似たようなものだった。大学院を修了こそしたが正社員の雇用枠はなく、気づけば友人たちからもヒモと揶揄されるようになっていた。いつしか同棲するようになり稼ぎのいい彼女に食わせてもらう、自分も何ら変わらなかった。それでも彼女は言った。

「大丈夫。日本はいっぱい仕事があるじゃん。そんな給料高い仕事じゃなくてもいいよ。毎日、ご飯を食べれて、家族が笑顔で幸せならいいよ。心配しないで、あなたならできるから。なんでもできるから」。

 

 たぶんパブの常連も読者も限りなく同じ、結局のところ、本書の何に惹かれるといって、それは彼女のひたむきさに惹かれるのである。

 彼女との交際に当初は周囲の誰しもが反対した。騙されている、どんなトラブルに巻き込まれるか分からない、金づるにされるのがオチ、と。打開策はただひとつ、彼女と実際に引き合わせることだった。友人、知人、指導教官、皆一様に彼女の人柄に魅せられた。猛烈な拒絶を示していた母すらもいつしか「なんか一生懸命やってるみたいだから応援するわ」と背中を押す側に回っていた。

 そう、読んでいて思わず「応援」したくなる。街中でも、テキストでも、そんなカップルにそうそう会えるものではない。

 

 どうにも拭い切れない疑念があった。あまりに古風でベッタベタなこの純愛がもし全くの作文だったとしたならば、と。現代人のクズすぎる習癖で、つい検索せずにいられない。「中島弘象」と入力すると、ブランクの候補に登場するのは「映画」「現在」「バカ」……。

 その中で彼らの近況を伝える記事を見つける。

www.huffingtonpost.jp

 本書の上梓から6年の時が流れ、夫婦の間には2人の子どもが生まれていた。いみじくもそのインタビューに彼女のエコーが反響する。

「私のこと、弱い人間と思っているんでしょ? 私、強いよ。あなたが思っているのと違う。ばかにしないで。私のこと助けたいと思って付き合うんだったら付き合わなくていい。助けなんていらない」

 心から言える、末永くお幸せに。

 

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