理由

 

  1921年のインドはボンベイ、主人公パーヴィーンはオックスフォード帰りの23歳、この街唯一の女性法律家、父の弁護士事務所に身を寄せている。ある日、一通の依頼が舞い込む。後見人であるムクリによれば、大工場主の遺産を相続した三人の妻が遺言の内容を変更して、一族により運営される慈善信託への寄付を望んでいる、という。ゾロアスター教徒であるパーヴィーン一家に対し、クライアントのファリド家はムスリーム、戒律により女性は男性との接触はおろか外出もままならず、屋敷内の婦人用居住区域に子どもたちと引きこもって暮らす。従って、長年の取り引きにもかかわらず、父は一度として彼女たちとコンタクトを取ったことがない。ただし、女性のパーヴィーンならば彼女たちと直接に面会を持ちヒアリングが取れる。そう説得して彼女は邸宅を訪ね、ムクリとの一悶着を余儀なくされる。その帰路のこと、忘れ物に気づいた彼女は門番の目をかいくぐり屋敷へと忍び込み、そこでムクリの遺体を発見する。

 

 そのきっかけになった忘れ物というのが、大事な書類の数々を収めたブリーフケース、うかつというにも度が過ぎて、事件ものにおいて登場人物が現場に戻る方便の作り方としてかなり粗雑と言わざるを得ない。そもそも、この殺人発生までにかかった紙幅だけで既に200ページを超えている。謎解きにしても推理コンテンツにおけるほとんど禁じ手の類。

 要するに、事件はあくまで興味の持続を引き出すために添えられたギミックに過ぎず、はじめから筆者はミステリー・パートに軸足を置いていない、としか思えない。

 ではそれに代わって何を目指していたかと言って、つまりは帯の通り、#MeToo。閉ざされた豪邸の中で裕福な暮らしを享受する妻たちと、外の世界を知りたい娘、そんなイスラームの世界と同様に、パーヴィーンにもゾロアスターの陋習に苦しめられた過去があった。間近にはヒンドゥーもあり、そして何よりインドの地には、「何もかも、あのイギリス人どもが、われわれより自分たちの方が優れていると思ってるせいだ」、植民地主義の呪縛が横たわる。各々のコミュニティに各々の法律があり、そして各々のパターナリズムの支配がある。実はこのテーマをめぐってもとある謎が仕込まれて、やがて果たされるその決着にパーヴィーンはカタルシスを見る。

 

 高校時代、宮部みゆき『理由』を読んでいたときの感覚をどこか思い出す。ミステリーにかこつけて、事件そのものを半ば置き去りにして、バブル崩壊後の不動産業界の闇をノンフィクション・タッチであぶり出す。狭い視野と乏しい知識で推理小説と決め込んで読み進め、腑に落ちなさばかりが募る、松本清張が何をしていたのかも知らなかった頃の、ひどく青い記憶。

 

 そしてやはり#MeTooが構造的に孕まざるを得ないある種の矛盾、そしてそのことを筆者に気づかれている様子のない矛盾が本作を覆う。つまり、傍から見れば#MeTooを必要としているはずの人々であればあるほどかえって#MeTooへとアクセスすることさえできない、というあのジレンマ。外部の眼差しからすればひたすらに痛々しい、劣悪を極めた人権問題としか映らずとも、そのパラダイムをシェアする段階にすらない当事者には自らにとっての常識の何がトラブルとなっているのかすら響かない。結果ほとんどの場合において、共感に基づくはずのその言動が、かたちを変えた過剰包摂のパターナリズムに陥らざるを得ない。ましてや物語の舞台は1世紀前の英印、ここに横たわる認識の非対称性の壁は今よりもさらに高かっただろう。

 

「誰にとっても悲劇だと説明したけれど、そのことについて知れば、事情は違ってくるかもしれない」。

 知ることの難しさをパーヴィーンは知らない。