200年も前にシベリアに漂着した日本人たちの足あとをたどって、1984年~1985年、TBS取材班が酷寒のシベリアを横断しました。中でもヤクート自治共和国(現サハ共和国)は、真冬になるとマイナス50度以下にもなり、世界一寒い国として知られています。そんな寒さの中で人々はどんな生活を送っているのでしょうか。
世界で最も寒い土地。データとしては知っていた。無論、何の備えもせずにロケに挑んだわけではない。東京の冷凍倉庫で、多少なりとも体感を慣らしてはいたつもりだった。併せて、機材などのテストも重ねてはきた。
ところが、「現地の人々にとっては、たかがマイナス50度の世界で、私は、寒さに関する常識が、ことごとく打ち砕かれていく毎日を過ごした」。
例えば、「石油製品はマイナス40度以下の世界では通用しない」。寒極にさらすや否や、人工皮革のブーツもビニールのバックも瞬く間に亀裂が走り、プラスチックの薬瓶は蓋を開けようとひねるとすぐさま木っ端みじん。
民家を訪ねると、庭先に洗濯物が外干ししてある。住人曰く、「水分が凍ってかたまりますから、取り入れるとき、ちょっとたたいて氷をおとせばいいんです」。
走り行く車が、チェーンもスパイクタイヤも履いていない。彼らに言わせれば、「寒いと氷はすべらない」。「あまりに寒いと、たかがまさつ熱では氷がとけません。だから水のまくもできないし、すべることもないというわけです」。
そして、旅路を通じて打ち砕かれた最大の常識は、「狩猟民族と聞いてわたしたちが思い描く雄々しい好戦的なイメージ」だった。「ヤクート語には、ラクダやゾウなど今のヤクートにはありえないような動物をさす単語が驚くほど豊富で、これは明らかにヤクート族が南方起源であることを示しています。/おそらく、かつて楽園のような南国に住んでいたヤクート族は、周囲の攻撃的で戦闘的な民族に追われて北上し、ついにこの極寒の地にたどり着いて定住したのでしょう」。
他なる地を踏むことで、自らの慣れ親しんだ常識が自明ならざることを否応なしに告げ知らされる。どこへGO TOしようともおそらくは得られることのないだろう、旅の旅たる所以がここにはある。