インフィニティ・ウォー

 

 総統アドルフ・ヒトラー以下、ドイツ側の指導部が、対ソ戦を、人種的に優れたゲルマン民族が「劣等人種」スラヴ人を奴隷化するための戦争、ナチズムと「ユダヤ的ボリシェヴィズム」との闘争を規定したことが、重要な動因であった。彼らは、独ソ戦は「世界観戦争」であるとみなし、その遂行は仮借なきものでなければならないとした。……

 ヒトラーにとって、世界観戦争とは「みな殺しの闘争」、すなわち、絶滅戦争にほかならなかった。加えて、ヒトラーの認識は、ナチスの高官たちだけでなく、濃淡の差こそあれ、国防軍将官たちもひとしく共有するものであった。

 そうした意図を持つ侵略者に対し、ソ連の独裁者にして、ソヴィエト共産党書記長であるヨシフ・Vスターリン以下の指導者たちは、コミュニズムナショナリズムを融合させ、危機を乗り越えようとした。かつてナポレオンの侵略をしりぞけた1812年の「祖国戦争」になぞらえ、この戦いは、ファシストの侵略者を撃退し、ロシアを守るための「大祖国戦争」であると規定したのだ。……

 ところが、日本では、専門の研究者を除けば、こうした独ソ戦の重要な側面が一般に理解されているとはいい難い。……

 ドイツ軍人たちの回想録の多くは、高級統帥に無知なヒトラーが、戦争指導ばかりか、作戦指揮にまで介入し、素人くさいミスを繰り返して敗戦を招いたと唱えた。死せる独裁者に敗北の責任を押しつけ、自らの無謬性を守ろうとしたのである。……

 残念ながら、日本においては、こうしたパウル・カレル以来の独ソ戦像が、今日までも強固に残存しているのが実情である。ところが、その一方で、1989年の東欧社会主義圏の解体、続く1991年のソ連崩壊によって、史料公開や事実の発見が進み、欧米の独ソ戦研究は飛躍的に進んだ。日本との理解・認識のギャップは、いまや看過しがたいほどに広がっている。

 本書は、こうした状況に鑑み、現在のところ、独ソ戦に関して、史実として確定していることは何か、定義とされている解釈はどのようなものか、どこに議論の余地があるのかを伝える、いわば独ソ戦研究の現状報告を行うことを目的とする。日本においては、何よりもまず、理解の促進と研究の進化のためのスタートラインに立つことが必要かつ不可欠であると考えるからだ。

 

「収奪戦争」と「世界観戦争」。

 もとよりナチス・ドイツにとって、ソ連侵攻は歴史の必然であったのかもしれない。

 旧来において想定されてきた「通常戦争」といえば、一応の国際法の定めに基づいて、相手国からの講和、妥協を引き出すべく、紛争解決の最終手段たる軍事力の行使に及ぶ。あくまで一連の遂行には得失をめぐる各種の計算理性の存在が前提に置かれる。

 しかしナチスは、はじめから落着すべき均衡点などソ連に求めていなかったものとみえる。

 開戦をもって連合国からの貿易を絶たれたナチスにとって、食料とエネルギーの確保はまさしく生命線だった。当時のソ連は、独ソ不可侵条約をもって、その貴重な供給をもたらしてくれる、ありがたいパイプラインのはずだった。しかしいかんせん、輸入でまかなうには限度がある。

 だとすれば、収奪するしかない。当時の公文書は結論づけていた、「戦争3年目に、国防軍全体がロシアからの食料で養われるようになった場合にのみ、本大戦は継続し得る」。試算によれば、代償は現地住民3000万人の死だった。

 この残酷極まる犠牲へのためらいを払拭させたのが、単にゼロサムゲームの生き残り方というに留まらない、「世界観戦争」としての性質だった。彼らスラヴ人は劣等人種であるがゆえにいずれゲルマン民族によって駆逐されることを運命づけられているのだ、と。ソ連の大地が帝国の植民地となるのは歴史の約束なのだ、と。有限のリソースに条件づけられた短期決戦という当初の目論見はいつしか雲散霧消した。市民を刈り取れば刈り取るほどに労働力も削ぎ落される、供給力も当て込めなくなる、この程度の単純な因果すらも「絶滅戦争」というイデオロギーにかき消されていった。

 

 このような動向を予め連合国サイドは嗅ぎつけていた。モスクワにもこの旨は報告されていた。しかし独裁者の性として、猜疑心に絡め取られたスターリンは、これらの情報をまともに取り扱う能を持たなかった。

 ただしピンチをチャンスに変える、その嗅覚において彼は一点傑出していた。「バルバロッサ」の惨劇を受けて打ち出された「大祖国戦争」とのキャッチコピーは、「スターリニズムへの嫌悪を抑えるとともに、ロシア革命以来、共産主義政権が達成してきた工業化や生活水準向上などの成果を訴え、そうした果実を生み出した体制と祖国とを同一視させるメタファー」となった。ここに「ナショナリズム共産主義体制の擁護が融合された」。こうして彼らによっても、独ソ戦は「通常戦争」のロジックの向こう側へと運び去られた。

 

 その中で、いったい何が彼らの命運を分けたのか。

 筆者が指摘する最大のポイントは、「作戦術」の有無だった。「それは戦略と戦術の両次元をつなぐものであり、戦術上の成果を積み重ねて、作戦次元の成功に結びつけ、さらに特定戦域での戦略的勝利に持っていくための重要な手段」を意味する。戦略により規定される目的効果基準に従って戦術、作戦を配置する、当たり前といえば当たり前のこの牙をソ連は密かに研ぎ続け、そして独ソ戦をもって結実した。

 この秘術は、皮肉にもスターリンによる大粛清をもって、風前の灯火と消えかけていた。しかし戦状の窮地をもって、背に腹は代えられぬと閑職に干していた将校たちをも動員せざるを得ない事態に追い詰められたことが、ソ連に思わぬ僥倖をもたらした。資源において優りながらも、作戦のための作戦、戦術のための戦術によって死屍累々を重ねていた軍は、ここにようやく叡智の息を吹き込まれることとなる。

 人海は何ら彼らの勝利を説明しない。

 

 対してヒトラーに唱えることのできた作戦といえば、「死守、死守、死守」、ただそれだけだった。「通常の戦争では、軍事的合理性に従い、敵を空間に差し出すことによって、態勢立て直しや反攻準備のための時間をあがなう。しかし、世界観戦争、また、それを維持するための収奪戦争の必要から、ヒトラーには、後退という選択肢を採ることはできなかった」。

 続けて筆者は問いを立てずにはいられない。「ドイツ国民は何故、絶望的な情勢になっているにもかかわらず、抗戦を続けたのだろう。第一次世界大戦では、総力戦の負担に耐えかねた国民は、キールの水平反乱にはじまるドイツ革命を引き起こし、戦争継続を不可能としたではないか。ならば、第二次世界大戦においても、ゼネストや蜂起によって、戦争を拒否することも可能ではなかったのか」。

 近年の研究が導出するその答えは、極めてシンプルなものだった。「ドイツ国民は、ナチ政権の『共犯者』だったのである」。「収奪戦争」のベネフィットも享受した、「世界観戦争」を基礎づけたアーリア人種の優越というフィクションにも熱狂した、そんな彼らは、「いよいよ戦争の惨禍に直撃される事態となっても、抗戦を放棄するわけにはいかなくなっていたのである」。

 

「世界観戦争」の果実は、スターリンの長期政権を保障するには十分なものだった。

 そこから約80年、ロシア大統領ヴラヂーミル・プーチンは、自身の傀儡を追放したウクライナナチスになぞらえて、自らの正当性を訴えてみせた。今一度の「大祖国戦争」が企てられているのだ、と。あの小国に広大なロシアを支配する能力などあるはずもない、あるいはNATOが束になってすらそのような軍備を保持しない、そもそもインセンティヴがない。そんな「通常戦争」のごく常識的な見立てをいくら説いたところで、ロシアはもはや説得されない。傍から見れば、彼らが戦っているのはウクライナではない、イデオロギーという名の幽霊である。誰をどれだけ取り除けたところで晴れることのないその幻視の行き着く先は、「絶滅戦争」の他にない。

「共犯者」を含め彼らメガロマニアにしてみれば、自分たちは一貫してむしろ脅かされている側であるらしく、その論拠ひとつをもって他人に猜疑の刃を向けることはすべて正当化されるという。本書から引き出されるせめてもの慰めがあるとすれば、速やかな集団自決の他に解消する術のないかくなる幽霊に一度憑かれたすべて脳障害のサルに「作戦術」を編むことなど能わないことくらいだろうか。

 

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