自助、共助、公助、そして絆

 

大震災’95 (河出文庫)

大震災’95 (河出文庫)

  • 作者:小松 左京
  • 発売日: 2012/02/04
  • メディア: 文庫
 

 

 この大震災が噴き上げた、膨大な多岐にわたる「情報」の収集と記録は、私たちみんなの手でやらなければならない。――一瞬にして、人生を絶たれた5500人の老若の犠牲者、心身と生活に、深い打撃を被った被災者の人々、予期せぬ大混乱の中に、何とか公共の義務を果たそうと悪戦苦闘を続けた、自治体、消防、警察、医療、自衛隊、マスコミの人々、あっという間に、莫大な資産、施設、資本が消えうせるという大打撃を被った、大小無数の企業法人――こういった人々はもとより、肉親、血縁、知己の安否を気づかって何とか現地に見舞いにかけつけようとした人たち、利害と世代を超えて、深い道義的衝動から献身的行動に赴いたボランティアの人々、さらに遠隔の地にあって、テレビ、ラジオ、新聞雑誌、パソコン・ネットワークを通じて被災地の惨状を、胸ひきさかれる思いで注視し続けた大多数の人たち――こういったすべての人々が、この大震災の「当事者」なのである。そして、こういう性格の異変に際して、当事者一人一人のまずとるべき対応は、「記録」をとる事であろう。なぜなら、こういったあまりに巨大で、異様な現象のもたらすすべての情報は、現代の公共機構やマスコミをもってしても、とてもとらえきれるものではなく、当事者の一人一人が、「センサー」になる必要があるからである。

 

 四半世紀の時の流れに隔世の感を抱く。2020年の当たり前が1995年においてはまるで当たり前ではなかったことを本書を通じてまざまざと突きつけられる。

 例えばあるラジオ局の第一報、「その内容は『546分ごろ、北陸・東海地方で強い地震、各地の震度は岐阜で4四日市山口市3……』というものだった。/まったく『神戸、淡路』はどこへ行っちゃったんだ!という感じがする」。地元の気象台はなぜか一旦発表した震度6を取り消して、30分後に改めてその報を伝えた。震度7との修正が入るまでには実に3日もの時間を要した。

 そもそもからして、震度を測定するシステムは、気象台に限らず発電所やガス会社などによって設置されていたにもかかわらず、それらを紐づける情報網すらも当時においては存在しなかった。となれば、計測や表示についての統一的な規格など期待できようはずもない。

 こうした記述が皮肉にも、本書へと小松を突き動かしたその理由を浮き上がらせる。基礎的な「記録」を統合するための土台すらなかったからこそ、被災者でもあった小松は遡及的に「記録」を取ることに執心する。「記録」の必要は何よりも「記録」を通じて確認される。「記録」がない、せめてもの断片を拾い集める、焦燥の筆致にその痛々しさを知らされる。

 

 さる医師が証言するに、1995年当時においては、PTSDの概念すらも日本の精神医学にはなかった。震災を契機にいかにクローズアップされようとも、基礎知識さえ満足にシェアされていない以上、医師やカウンセラーが動き回ったところで、「それはファッションであって、本当に意味のある活動はそれほど行われていない」。

 その中でのやりとりから。

「甘えさせたらいかんとか」

「日本はそういうことできたから、災害時も、いろいろな形で不安になる人がいてお気の毒だけれど、いつまでも傷ついているやつは、消えてもらったいいという形で今日まできたと言えます」

阪神大震災の被災者に対して、行政がいつまでも甘えるな、といった態度があって、カウンセリングを供給するという意識が見られませんね」

「行政の人たちも決して温かい組織の中に生きていないから、市民にもそういう対応になるのです」