トリコロール

 

 三木鶏郎と聞いて、それなりのイメージが思い浮かぶのは、もはや60代に入った僕くらいの世代がぎりぎりかもしれない。しかし、この人物は戦後の娯楽メディアを語る上で忘れることはできない。昭和20年代のお茶の間をにぎわした爆発的人気ラジオ番組「日曜娯楽版」の時事コントや風刺の効いた音楽の諸々、昭和30年代からの消費社会の時代を色どったCMソングの数々……幅広い創作活動の一方、早くからコント作家や作詞・作曲家の養成に力を入れた。先年相次いで世を去った野坂昭如永六輔はともに三木鶏郎の黄金期を支えた門下生だった。

 

 と、この書き出しだけでも、「それなりのイメージが思い浮かぶ」ことのない世代に属する私にさえ、その先駆者としての功績は十分に響くものがある。

 しかし残念ながら、本書からはエポックメーカーとしてのトリローの姿は杳として知れない。というのも、いくら手がけた仕事や関連するエピソードを並べられても、一向にトリローの傑出性を示すだろう、同時代の比較対象がまるで現れてこないから。戦後にひょんなことから放送業界に紛れ込んだ氏が、社会風刺で瞬く間にスターダムへと躍り出たことを聞かされても、例えば先人たちと一線を画すトリローの特性といったテーマがまるで膨らんでこないために、そんな人がいたんだとさ、でこれこれなる作品を残したんだとさ、という平板な歴史教科書的雑学の類への回収を余儀なくされる。氏の自伝から辿り直す、それが無意味だとは思わないが、そこに書かれることのなかった外側をめぐる情報が付加されないことには、トリローを昭和芸能史の中で特筆すべき存在たらしめる説得力もまた生まれてはこない。

 

 共時性としてははなはだ片手落ちとの感が拭えない、ただし、本書にはそれでもなお通時性が残される。紙幅を埋める苦肉の策ではおそらくなくて、トリローの記述が筆者の趣味嗜好にスイングした結果なのだろう、とにかく地図をめくっては、しばしば実際に語りの現場を訪れてみる。そして結果、トリローによって生きられた共時性のミラクルがたまさかに舞い降りる。

 トリローが軍の経理部幹部候補生だったときのこと、練兵場から宿舎へと行進で戻る帰路、長距離走の給水地点のように茶を兵士に恵んでくれる豪邸住まいの婦人があった。ここまではトリロー自身の戦前の回想にちなむ。

 そして別件の調べ物で立ち寄った図書館で、筆者は思わぬ「お宝」に出くわす。1940年頃の界隈の様子を綴ったエッセイ――メジャーとは言えない出版社の、あるいは自費出版かもしれない――が、まさにこの「休憩所」の様子を綴っていた。当時まだ小学生のその著者は、たまたま無人だったことに乗じて、友人にそそのかされて、ついそのドリンクに手を延ばす。果たしてその禁断の飲み物は、砂糖入りの麦茶。

 不意につながるテキストとテキスト、そしてそびえる立体感。

 そうそう起きない、でも時たまどうしようもなく土地に、歴史に吸い寄せられてしまう、そうとしか思えないような瞬間が訪れる。

 少なくとも今はまだGAFAが教えてくれないこと。重力に抗いがたく、大地に足を生やした人間は、生涯に幾度か、こんなボーナスにあずかる。