借金大王

 

 かつて、サラ金各社は、毎年のように法人所得ランキングの上位に食い込み、創業者一族が高額納税者番付に数多く名を連ねていた。その一方で、利用者はしばしば深刻な多重債務に陥り、苛烈な取り立てによって少なくない人びとが破産や自殺に追い込まれた。華やかな経済的成功に彩られながら、膨大な数の被害者を生んだサラ金とは、一体何だったのか。なぜ急速な成長の後、一転して挫折と停滞を余儀なくされたのか。

 本書では、1960年代に生まれたサラ金の歴史を、その前後の時期も含めてたどってみたい。対象とするのは、1910年代から2020年までの約100年間である。……

 具体的には、次の二つの視点からサラ金の歴史を振り返る。

 第一に、金融技術である。……

 かつて、高度経済成長期に生まれたサラ金は、資金力が乏しく、優良な企業と取引を行うのは難しかった。そのため、銀行や信用金庫以上に金融技術を磨き、リスクの高い零細多数の個人を顧客とせねばならなかった。必要に迫られたサラ金各社は、これまでに幾度も金融技術の「革新」を実現している。その技術水準は、1970年代に巨大な外資消費者金融が日本に上陸した際、これと対抗し、駆逐しうるほどの高さに達していた。……

 第二に、「人」の視点である。日本で初めて個人に金を貸すための効率的な金融技術を編み出したのは、他ならぬサラ金の創業者たちだった。彼らはどのような歴史の上に立って登場し、何を目指して自らの企業を成長させたのだろうか。また、サラ金の従業員たちはどのように働き、利用者たちはいかなる事情から金を借りねばならなかったのか。業界に関わる一人ひとりのあり方にも踏み込んで、サラ金の歴史をたどってみたい。

 

 目から鱗が落ちる

 この一冊に幾度膝を打たされたことだろう。本書の何がすごいと言って、筆者が明快な筆致をもって暴き出す「経済的・経営的な合理性」に尽きる。当然のことながら、その立脚点は逆張りサラ金擁護に終始するものでは決してなく、「サラ金業者の非人道性」についても一定の目配せは与えられてはいる。しかし、「人びとの経済的苦境につけ込む『卑劣』な貸金業者を批判するだけで、問題は解決しない」。批判をするにも、まず敵を知らねばならない、まるでイノヴェーションの教科書を読むような、その「合理性」の例をいくつか見ていこう。

 1960年代、いわゆる「三種の神器」がもてはやされた時代、ただし世帯の可処分所得ではそれらウォンツに追いつかず、必然月賦に手を延ばす。ここに「団地金融」が台頭の機を見出す。ポイントは「団地」にある。「入居するには、厳しい審査をパスしなければならなかった。これを金融業者から見れば、団地には一定以上の支払い能力を持ち、貸し倒れリスクの低い人びとが集住していることを意味していた。……信用情報を収集するコストを大幅に節約したのである」。

 この後サラリーマン金融へと発展した業界においても、このただ乗りスキームは流用される。つまり、「勤務先という外形的な基準が申込者の全信用情報を折り込んでいると判断し、大胆に融資を実行」した。そんな彼らのモットーは「明日の米を買う金は絶対に貸すな」、あくまで用途は出世競争を勝ち抜くための交際費、「健全資金」に限られた。社交的な人物と評されたい、さりとて金にだらしないとは見られたくない、そんな標準的サラリーマンが「名刺をサラ金に渡すのは、出世の可能性を担保に取られるようなものである。だから、返済には必死にならざるをえない」。

9.5%の表面金利(年)で銀行から借りた金を、73%(同)もの功利で利用者に貸」す、濡れ手に粟の猛批判を受けて大蔵省は、サラ金への融資の自粛を銀行に呼びかけた。しかしフットワークの軽い彼らはこの苦境を難なく乗り越える。つまり、大蔵省の指導の届かない外国銀行に活路を見出す。かくしてどの業界にも先駆けて、金融のグローバル化を既に80年初頭に達成する。

 IT化という点でも、サラ金ははるか独走していた。プロミスが導入した「自動与信システム」では、「顧客の信用情報を営業店のコンピュータ端末に入力すると、プロミスの情報センターに送られて直ちに融資の上限額が出力された。顧客の年齢・性別や収入、他社借入件数などから融資上限額をはじき出すクレジット・スコアリングの手法を導入し、電算化したのである」。驚くなかれ、1983年のことである。

 今風にいうゲーミフィケーションとて、そんな単語すらない時代に既にサラ金では採用されていた。追い詰めていく側の精神的負荷を軽減するために、取り立てをある種の「ゲーム」に模して、社員を動員する。「債権回収をゲームだと考えれば、返済に苦しんで延滞する債務者は『勝負』の相手なので、打ち負かしても同情する必要はない。単純に債権を回収できれば『勝ち』だから、勝利の達成感で罪悪感を打ち消すことができた」。

 

 時に本書の語りに快哉を禁じ得ない、それは単に「合理性」のみに由来しない。

 自らの稼ぎではもはやどうにもならない。基本、貧乏人の周りには貧乏人しかいない、使用可能なネットワークの数も極めて乏しい。銀行や公的機関の助けも得られない。自助からも共助からも公助からも締め出され、金融政策の中で置き去りにされ続けた空白地帯にサラ金は自らの活路を見出した。たとえそれが「卑劣」な副作用をはらんだかりそめのものに過ぎぬにせよ、市井に向けてセーフティ・ネットを提供していたという紛れなきそのファクトを見ずして、どうしてサラ金を糾弾することができるだろう。氷河期の只中に、さる創業者は言い切った。

「大企業では社員が困ったときにはお金を貸すような制度があって、それで救済していると思うんですね。ところが、従業員20人、30人程度の企業にはそういう救済制度がないんです。ここに、私ども消費者金融の存在価値があると思います」。

 この「救済」ということばを偽善と痛罵し閑却する、そんなことが誰にできよう。

 

 ほぼすべての読者は、サラ金によって演じられた盛者必衰のひとまずの顛末を知った上でこのテキストを手に取る。かつてテレビCMを覆い尽くした大手は軒並み、メガバンクの傘下へと吸収された。貸金業規制法の締め付けもあった。グレーゾーンの過払金返還で大ダメージも食らった(もちろん、これは極めて正当な判決である)。しかし、高金利サラ金が歴史的使命を本当に終えたのだとすれば、それは単に失われた30年のゼロ成長、超低金利の時代を通じて、個人向け小口貸付の現実的な返済可能ラインが旧来のカードローン・レベルの利率にまで落ち込んだがゆえの現象に過ぎない。稼げない銀行と稼げないサラ金が婚姻を結ぶ、仲人はもちろん稼げない国民。

「金融包摂」を唱えたバングラデシュグラミン銀行ノーベル平和賞に輝いたその当時、年利は20パーセントに設定されていた、この点、いくら強調してもし足りない。サラ金が「健全資金」を謳歌できたのも遠い昔、もはや「合理性」を持った彼らが生き抜けぬほどに日本は貧しくなった、そして以後もこの下降曲線は果てしなく続く。