死神

 

 六代目三遊亭圓生宅を初めて訪ねたのは、昭和四十八年四月十二日のことである。

 それはレコーディングのプランをたずさえての訪問だった。

 圓生さんのレコード。それも、すでに圓生さんがいくつかのレコード会社から何枚か出している、ごくふつうの“落語”のレコードではなく、三遊亭圓朝作の長編人情噺を、ある程度体系的に録音して残そう、というものだった。事前に電話などで多少の感触を得た上での訪問である。……

 私はひそかに期すところがあった。この人情噺の仕事はまずは手付け、うまくいくものなら落語全体に網をひろげて、圓生さんの主なレパートリーを根こそぎ録音し尽くしてしまいたい、と思っていたのだ。

 精緻をきわめた話術、あらゆる人物をらしく演じ、情景はもとより幻想的な雰囲気の描写にも長じ、持ちネタの数の多さ抜群。そして貫禄、品格、知名度の高さ。明治末期以来のキャリアに加えて博覧強記、生ける文献としての値打ち。六代目三遊亭圓生は個人の名で落語の集大成をなしうる当代唯一の人物と思えたのである。

 

三遊亭圓生人情噺集成』、そして『圓生百席』。『補遺』の構想こそ未完に終わったものの、この収録は足かけ4年にも及ぶ。奇しくもこの間、圓生落語協会の分裂騒動に火をつけた。あとがきにおいて「いわゆる芸界裏ばなし集にならないよう、わけ知りの回顧談めかないよう」とは述べつつも、筆者が度々言及せざるを得なかった点を持って示される通り、この人物をめぐる毀誉褒貶には事欠かない。そうした負の側面に触れずして、何が圓生を語るだ、といった風当たりもあっただろうことは想像に難くない。余計なことを加えれば、かくいう私自身も、圓生落語にどうしようもなくほとばしる人としての面倒くささに辟易として5分と耐えられない、そういう側の人間である。

 ところがそんな人間が――といって見る目が180度変わったわけではないけれど――読んでもこのテキストは面白い、見どころだらけ、というか見どころしかない。

 

圓朝の作品を集めるからといって、圓朝を看板にしちゃアいけませんよ……圓生の名前で題をつけてください」

 初対面にしていきなり浴びせられる。

「いかに名作でも、演者がセコじゃどうにもなりませんし、また魅力というものがない。やはり力のある演者が自分なりの独自なく工夫をし、ただ古いまま後生大事にやるというのではなく、自分のものにしてやらなくては、今のお客様はついてこないとあたくしは思いますね。今のお客ばかりではなく、どの時代だって同じでしょう。ですから、レコードは圓生の名前で売れるんです。圓朝では売れません」

 そして重ねる。

圓朝の名で売ろうというおつもりなら、この仕事はお断りいたします」

 誰もが一目置く第一人者としての誇りがにじむ。

 プロとして銭を取る、これくらいのことが言えなくてどうする。

 

 高座と録音は似て非なるもの。

「宗悦殺し」の一節、圓生自らやり直しを申し出る。

「駕籠屋ふたりが葛籠を盗んできて、ひそひそ話しながら蓋をあける、あそこなんです。あたくしはあんまり声をひそめないでやったと思う。これはね、実演の手法なんです。つまり本当にひそひそしゃべったら端の客には聞こえませんから、ひそひそ声らしくやるんです。しかし、レコードは家で聴くものですから、本当のひそひそ声でやらないとウソになります。芸のウソという手法がありますが、レコードならこの種のウソはいりません」

 寄席の収録ではなく、レコードのためにスタジオの無人ブースで落語を演じる、ほぼ前人未到のこのビッグ・プロジェクト。「間は魔」である、とコンマ数秒の編集に老境の御大が執念を傾ける。

 

 殊のほか神輿が乗った三遊亭、下座に委ねるべき出囃子の唄まで自分でやると言い出してきかない。

 齢三十を回ったに過ぎない若輩の筆者がたまらず大名人をなだめにかかる。

「噺の演者と、下座の唄い手とは別人でないとレコードの構成としておかしい、ということなんです。たとえて言えば、師匠が唄いながら高座へ出てきたように思われますよ」

 それしきで引き下がる圓生ではない。

「あなたねえ、理屈を言っちゃアいけませんよ。どうも今の方てえものは理が勝ちすぎていけませんね。お囃子は愛嬌なんですから、まァ遊びてえことで」

 

 何があってもそりゃこの人についていくわな、そう思わずにはいられない、本書の白眉、背筋そばだつハイライトが序盤にして訪れる。

 それはまだわずか二度目の訪問時のこと、打ち合わせの途中、

 

 私は、『真景累々淵』のうち〈深見新五郎〉の件をあまりよく知らなかったので、圓生さんにたずねてみた。あらすじだけを聞くつもりだったし、圓生さんもそんな調子で話しだした。

 それが、いつのまにか登場人物のセリフになり会話になり、やがて説明から脱して完全に噺の域に入っていく。

 すでにだいぶ時間は経過していたが、あとにさし迫った用事もなかったので、私は腰をすえた。椅子にかけながらとはいえ、私ひとりにむかって〈深見新五郎〉を演じる三遊亭圓生。これはまたとない貴重な時間に違いない。

 空は黄昏の色を帯び、南東向きの応接間の内部には闇がひろがりつつあった。

 圓生さんは灯りをつけるになど思い及ばず、噺をつづける。私も点灯のために立ち上がることはしかねた。深見新五郎の薄倖の遍歴は、夕暮れに聞くのがふさわしい。私は噺のなかに引きこまれ、闇に浮かぶ名人の顔をじっと見つめていた。

 

 ただ自分ひとりのためだけに演じてくれる、たとえそれが拙い素人芸であったとしても、そこに真摯ささえあれば、血の通った人間は暮れなずむその時を生涯忘れることはない。ましてやそれが生けるレジェンドによる若造に向けてのものともなれば。

 読み手は束の間、その眼差しに憑依する、幻視する。

 この奇跡にまみえるだけでも本書には一読の値打ちがある。