Be Alive

 

 アメリカで女性であることは、ただでさえ不安がつきものであ

る。ましてアメリカで病気の女性であることは、二重の困難を伴う。あなたの言葉は信じてもらえない。もしくは、見下される。あなたの痛みはヒステリーとして扱われ、身体の症状は本当の病気ではなく、強迫観念のあらわれと見なされる。白人でも、異性愛者でも、上流階級ではない女性の場合は、判断はいっそう手厳しくなり、その結果はより深刻なものとなる。……

 私には想像もつかない。人生で最も苦しく恐ろしい体験をしている最中に、自分が病気であることを信じてもらわないといけないという余計な心配事や負担まで背負い込むことになるなんて。彼女たち[黒人の妊産婦]には助けが必要だ。

 ここにおいて、本書が重要となる。本書はこの国における医療の格差に光を当てる書籍である。さらに、女性たちが自分自身や愛する人のために、どのように主張すればよいのかを教えてくれる。

 

 本書のテーマを扱うに試金石が訪れる。COVID-19である。

 一躍その救世主として脚光を浴びたワクチンの被験に、ところが当初、妊婦たちは加わることを許されなかった。パンデミックの発生時から、彼女らが感染した際の「ICU入室あるいは人工呼吸器を要するリスクが3倍高くな」り、「死亡リスク70パーセント高くなる」ことが報告され、このクラスタがさらされている喫緊性は周知されていたにもかかわらず、である。そもそもアメリカでは、「医療従事者の4分の3が女性であり、……妊娠可能年齢の女性が最前線で働く労働者の約70パーセントを占めている」というのに、その彼女たちをプロテクトする有効性のテストすらも行われていなかった。

 コロナはあくまで医療がかねてより内包していた歪みを可視化したに過ぎなかったのかもしれない。ある研究者は「妊娠中の服用が承認されている薬は、実はきわめて少ない」ことを証言している。過去の各種データに基づいてそのジャッジが下されているのならばまだ諦めもつくだろう、彼女たちのことごとくが万が一をおそれて被験者となることを敬遠した結果なのだとすれば止むを得まい、しかし実際のところはただ「妊婦を含めると、女性の健康だけでなく、胎児や新生児の発育にも気を配らなければならないので、妊婦を除外するほうが簡単」だというだけの理由に過ぎない。蓄積データに裏づけられたリスクなのではない、データすら採取されない結果として、医療の選択肢が極めて限定されざるを得ない妊婦たちが、その末にむしろ各種リスクにさらされて、場合によっては命を落としている、このファクトが改めて暴露されたに過ぎない。

 医療の歴史は、そもそも女性を相手にすらしてこなかった。

 

 邦訳タイトルからはそのニュアンスが削ぎ落されているが、原書副題はテキスト全体の主張を余すところなく表現している。How Sexism and Racism in Healthcare kill women。女性というマイノリティにさらに有色人種というレイヤーが重なったとき、いかに悲劇的な結末がたどられてきたか、ということを本書はひたすら明らかにしていく。

 例えば「米国では、女性が出産時に死亡する確率は母親世代に比べて50パーセント高いが、そのリスクは黒人女性や先住民女性となると3~4倍にはねあがる。黒人女性の死亡率は出生10万人あたり40.8人で、白人女性の3倍だ」。このギャップはどうやら保険パッケージの充実度によっては説明されない、というのも、「大卒の黒人女性は、同等の教育を受けた白人女性に比べて、妊娠関連の合併症が原因で死亡する確率が5.2倍も高い」というのだから。また別のとある「研究によると、白人患者と比較して、黒人患者は急性の痛みを和らげる薬物治療を受ける確率が40%低く、ヒスパニック系の患者は25パーセント低いことがわかっている」。また、とあるヒアリングによれば、「数百人の白人の医学生・研修医のうち半数が、黒人の神経終末は白人より感度が低いなど、痛みに人種間の差異があるとする神話を少なくとも一つ信じている……これらの人種差別的神話を信じる者は、黒人患者の痛みは大したことがないとみなす傾向があることがわかっている。その結果として、黒人患者の治療が不十分になるのだ」。

 本書をめくれば、こうした痛々しいデータに枚挙なく遭遇し続けることになる。こうした死亡リスクの高低が、単に肌の色に紐づけされた何かしらの遺伝リスクの高低に比例したものであるとするならば、その溝を埋めるためのマジカル・ビュレットなどどこにも転がっていないのかもしれない。これらのすべてが、所得その他の格差によってすべて説明されるとするならば、病を抱えてたどり着いた患者のために診察室内で医療従事者が提供できるリソースなどほとんどないと言っていい。例えば20206月末時点でうつ病や不安症について「1つ以上の症状を訴えたのはラテン系女性で47.9%、黒人女性で45.8%だったのに対し、白人女性は38.7%」だったことについて、医療機関への帰責事由はまずもって認め得ない。

 しかし、少なくとも本書において取り扱われるほとんどのケースには、ごくごくシンプルな解決策がとうの昔から提示され続けている。つまり、当人の声である、女性の声である、有色女性の声である。

 卵子提供のために用いられた排卵誘発剤を処方されたキャサリン・ラコフスキは、その行為に卵巣過剰刺激症候群のリスクがあろうことなど、予め知らされていなかった。果たしてそれまでその名すらも知らなかった症状の典型を来した彼女は、「約36時間何も食べられず、その間嘔吐が続き、排尿もほとんどできない状態でした。……胴体が腫れ上がり、ひどいありさまでした。あまりの激痛に数時間話もできませんでした」。そのクリニックに息も絶え絶えたどり着いた彼女に、代わる代わる現れた5人の医師と12人の看護師が下した診断は妊娠だった。一度家に帰されたキャサリンは、後にその「耐えがたい痛みの原因が、腹水が臓器を圧迫し、代謝と消化を妨げていたこと」を知る。実に7リットルもの腹水をかき出すことで辛うじて生きのびた彼女は語る、「あの晩、私は肝不全で死んでいてもおかしくなかったのです」。

 コストとパフォーマンスが比例するいうのならば、テニス界のかのレジェンドが身を委ねたのは必ずや世界最高峰の医療機関であったことだろう。女王セリーナ・ウィリアムズは娘の出産から間もなく、「自分のからだに異変が起きていることを察知した。しかしCTスキャンと抗凝血剤を求めるウィリアムズの声を医療スタッフは無視し続け、鎮痛剤でウィリアムズが『混乱』しているのだと断言した。ようやくCTスキャンの指示がおりると、ウィリアムズの肺に複数の小さな血栓があることが判明したのである」。これほどのカリスマの悲痛ですらもヒステリーとして見過ごされかけた、それはおそらくセリーナが女性だったというだけで、黒人だったというだけで。

 コロナ禍の妊婦アンバー・アイザックは、血液検査の結果、血小板が著しく減少していることを知る。他の機関で告げられたその結果を産科のチームに伝えようとしたにもかかわらず、当初彼女からの電話は徹底的に無視された。「役立たずな医師と闘った妊娠後期の体験談を書くのが待ちきれない」とツイートした彼女はその4日後、「1ヶ月以上早く誘発分娩となり、その後あわただしく緊急帝王切開に切り替えられて死亡した。担当の外科医は不在だった」。

 例えば新型コロナウイルスに感染したドクター・スーザン・ムーアの場合。「担当の白人医師は治療対象が医師免許の持ち主であると知っていたにもかかわらず、呼吸が苦しいという彼女の言葉を信じなかったという。彼女を早く退院させたがっていたインディアナポリス近郊の病院スタッフは、彼女が頸部の痛みをやわらげる薬がほしいと数えきれないほど懇願しても、せせら笑うばかりだった。/……ムーア医師は退院後、12時間もしないうちに体温と心拍数の急上昇を起こした。彼女は別の病院へ行き、そこで新型コロナウイルスの合併症のために命を落とした」。

 これらのいずれのケースにおいても、「根本的な対策」はありえた、と筆者は言う。

 私が考える根本的な対策は、女性を信じるだけでなく、有色人種の女性も信じようということだ。私たちが人種差別を訴えたら、信じてほしい。私たちが痛いと言ったら、信じてほしい。私たちの言葉に耳を傾けて、信じてほしい。

 生まれた日からわたしでいたんだ、知らなかっただろ。

 

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