「自分のためには無理なんだよ」

 忘れ物をする。片づけられない。思いつくと、すぐ動いてしまう。締め切りが迫っているのに、なぜかメールを開けない――ひとことでADHDといっても、その現れ方は人によってずいぶん違う。

 ノンフィクション作家の高野秀行さんと内澤旬子さん、フリー編集者の小林渡さん。3人ともADHDの特性をもつ当事者だが、子どものころの話からして、すでに三者三様だった。

 気になるものが見えたら、体が先に走り出す内澤さん。建物に入ったら、上から下まで全部見ないと気が済まない小林渡さん。衝動はあるけれど、あくまで脳内で動いているという高野さん。

 本の雑誌社の杉江〔由次〕が聞き手となり、子どものころ、会社員時代、買い物、移動、締め切り、メール、忘れ物、そして長年かけて身につけた対策について話してもらった。

 話はどんどん横道へそれる。でも、その横道にこそ、本人たちの実感が詰まっていた。

 

 話はほんの数時間前にさかのぼる。

 例によって神保町ブックフェスティバルを訪れ、そして人混みに疲弊して性懲りもなく偏頭痛を発症しながらカートをあさるその最中、はたと平積みの小冊子が目に留まる。

 内澤旬子、高野秀行、ADHD――ピンポイントに狙い打たれてる。

 その瞬間から、私のほぼすべての脳機能は、この1冊にジャックされる。

 

 今秋は不作な気がしたのに、家に帰るとなぜかリュックには8冊入ってた。

 春に買った手つかずの積ん読が、まだアホみたいに残ってるのに、

 しかも家に帰って少なくとも3冊、重複未遂をやらかしかけていたことを確かめる。特にこの本は危なかった。

 無駄にミッション負荷をかけるだけかけておいて、基本的に未消化で終わる。

 これもまた、たぶんADHDに起きがちなこと。

 

 数ヵ月前、財布を紛失し、そのことを届け出るために出向いた交番に、今度はスマホを置き忘れる。さすがに5分で気づいて引き返しはしたものの、警官たちから哀れみを越えて末期症状の腫れ物に触れるような視線を浴びる。

 いくらなんでもここまでコントじみたピタゴラスイッチはレア・ケースではあるものの、教科書に載せたくなるレベルのADHD、というかASDな私にとって、あるあるとあるあるだけで埋め尽くされた、分かりみしかないテキストに違いない。

 そう思って開いて早々――あれ、全然思ってたやつじゃない。

「今だったら絶対ハーネスつけられてる」(内澤)な幼少期を送ったこともなければ、「人に会うとか、突発的なトラブルを何とかするとかはできる。でも、日々の注文や出荷を均等に管理するのは無理」(小林)って、いや、ルーティーン化したスクリプト処理の方が1億倍楽じゃん、だし、「19番線の、のぞみ15号で、3号車で、9列で、席が6番のAとかCで、しかも8時12分発とか書いてある。そんなの絶対覚えられないでしょ」(高野)とか、この手の記憶に関してはほぼ負けたことないし、かといって褒められたことはなく、病人とかいうすさまじい言いがかりつけられるし。スーパーに行って「本当に買いたかったものを1つも買ってないってよくあるよ」(高野)と言われても、そもそも食べたいものやしたいことという概念が分からない私にははじめから隙はなかった。

 

 とはいえ、総じて言えば、やはり重なる点の方が、おそらくは非ADHD読者に比べれば多いのだろう。

 サブスクから選び放題を差し出されるよりも「同じもので済むなら、それが一番楽」(内澤)。少なくとも私の場合、基本的に生身の人間から浴びる声や物音に対するノイズ・キャンセラーという以上の機能を期待していないから、YouTubeやpodcastの同じコンテンツをひたすらにループさせることは何ら苦にはならないし。発狂しそうになればCoccoのエンドレス・リピートにするだけだし。送られてきたメールが返信できない問題に関しても、「ずっと頭にある。ときどき忘れてるけど、だいたいは覚えて」(高野)いて、「気にしてないんじゃなくて、気にしすぎて返せないんだよ。時間が経つと、『返事が遅くなってすみません』から書かなきゃいけなくなるじゃん」(内澤)って、完全に今日現在の私だし。文案なんて何パターンも脳内で自動生成してるんですよ、でも返せない。理由? 知らねえよ。あえて言えば、やる前に既に疲れ果ててんだよ。しかもそのうえ、何かをすることによってかかる負荷を上回るボーナスが担保されてないんだよ。

 

 その中でも私にひときわ突き刺さったフレーズがある。

「自分のためには無理なんだよ」(内澤)。

 彼らにとって掃除とは、「整理じゃなくて、いったん別の場所へ移してるだけ」(高野)、ところが内澤の場合、「今は猫がそこにおしっこするから、床に布を落とさないようにしてる」。このくだりから、「自分のためには無理なんだよ」の叫びは生まれた。

 たぶん、これは掃除に限ったことではない。少なくとも私にとって、根本的に他人の存在などストレス要因でしかない。おもてなしと書いていやがらせと読む、はじめからベネフィットをベネフィットとして受け止める演算機能などインストールしていないのだから、接点を最小化するような選択肢しか取れない。どうせそこにはマイナスしかない、そんなことは分かり切った上で、それでもなお、「自分のためには無理なんだよ」、誰かしらが必要なんだよ。