アンビリーバブル

 

 理想より現実、過程より結果。内容より視聴率。これでは、もはや詐欺師に近いような情報商人に落ちていく。しかし、金があれば誰かに作らせることができると思い込んできた組織に、心のこもった贈り物=テレビ番組は作れはしない。そうして、テレビは放送開始以来初めて、マネーに貧窮する時代へと突入していくことになる。

 テレビは、ジャーナリズムの砦であり、テレビマンは映像文化を創造する担い手である。ジャーナリズムは、テレビが地域の人々と切り結ぶ唯一のパイプだし、映像文化の創造は豊かな地域づくりに欠かせないものだ。これは、私がテレビで活動するただ一つの理由だ。それらに関わっていくのが自分の使命だと思ってきたが、もし本書に怒りのようなものが感じられるとするなら、それは砂漠化するテレビへの強い危機感なのかもしれない。

 

『さよならテレビ』。

 本書を手に取らんとする者ならば、そのほぼすべてが同名の映像ドキュメンタリーの存在を予め踏まえていることだろう。雑誌連載を再構成したというこのテキストが扱うのは、ディレクターとして、プロデューサーとして、筆者が実際に携わった作品のおそらくはほぼすべて。ではあるが、40年にもわたって内側から関わり続けてきた筆者をして、「さよなら」と言わしめる「テレビ」なるものの現在・過去・未来が中心的な主題であることは疑いようがない。

リーマン・ショック以降、民放ローカル局では、剝き出しの言葉で危機意識を煽る経営者が跋扈した。たとえば、経営計画という指針を作らせる際に、『勝ち組』『負け組』『生き残り』『筋肉質の組織』『放送外収入』などと言って、社員をサバイバルゲームに駆り立てた。(略)あの時、ジャーナリズムの足腰を圧し折り、批評精神の刀を錆びつかせ、金銭至上主義の病気を蔓延させたことが、どれだけテレビを貶めたことか」。

 逆に言えば筆者は、そうでない時代の自社の姿もまた知っている。

「私が入社した頃、東海テレビの報道局には、『サムライ』がいた。やれ仁義だ、やれ男の生き様だと、真っ昼間の職場で口角泡を飛ばし、デスクや記者の掴み合いを目撃したのは一度や二度ではなかった。(略)/カメラマンもすごかった。火事の建物の中に突入するわ、取材相手とケンカをするわ、サル山に野宿をするわ……。『東海テレビカメラマン列伝』というコミック本が書けるくらい奇妙奇天烈な人だらけだった」。あるいは「四十歳手前で、私は営業局に異動した。そこで、報道畑とは様子の異なる上司に多くのことを学んだ。その中にケンカ殺法の交渉術もあった。/(略)嫌々行った部署で、お金の計算など自分に向かない仕事ばかりだったが、男気に溢れた先輩たちに人生と仕事の機微を教えられた。その場その場で奮闘し、面白がる精神があれば、人生に無駄な回り道はないのかもしれない」。

 しばしばストロングに過ぎるパンチラインで満たされた抜き書きを貼り合わせるだけで、なぜに筆者がカメラを内側へと構えることとなったのか、その必然はただちに了承されることだろう。

 

 いちいちがあまりにストンストンと理に落ちていく。ところがなぜか、読み進むほどにこの感覚が腑に落ちなくなっていく。

 エッジの立ったこの文体が、翻って映像化、わけてもテレビに懸けるその執念との違和感を誘う。

 かつて筆者が関わった『ヤクザと憲法』に触れた際のことを思い出す。テレビドキュメンタリーとしてそのタイトルを噂に聞き、ただしまずはテキスト版を読み、だいぶ時間を置いて映像――それがテレビ版なのか映画版なのかは分からない――を鑑賞した。読み応え溢れる書籍を踏まえた上での映像は、率直に言って間延びしていた。あてどなく回し続けるカメラにそうそう決定的な瞬間が映り込むことはない、それは肉眼に飛び込む日常にハイライトと呼べるシーンなどまず起きやしないように。編集して凝縮させたとしても、センス・オブ・ワンダーで埋め尽くされるはずはない。それはまるで自分で教科書を読めば3分で片づく授業、とまではさすがに言わないけれど、テキストにしか現れない情報がむしろそぎ落とされたものとしか映らない画面は、ほとんど記憶との答え合わせと同然のものとして私を通り過ぎていった。

 そんな鑑賞体験が本書にオーバーラップする。A.ヒッチコックだったかが言ったことには、2時間映画のシナリオは、小説ならば20ページとか30ページとか、その程度に過ぎない。例えば講演や対談の音声や映像を文字起こししてみる。リアルにおいてその場を流れた1時間は、テキスト化してしまえば、わずか5分や10分もあれば把握できるような情報量でしかない。過剰なほどに明晰に書くことのできる筆者が、にもかかわらず、あえてその映像の側にわが身を投じる。

 その謎の答えの一端は、やはり訳もなく明かされる。曰く「読経とアナウンスの共通点」、「『余白』とは、思考を回すためのテンポであり、考えるための『間』だ。(略)『余白』を意識することで、テレビを観る人々の想像力に託す力がついていった」。

 ご丁寧にも、文字化され切らない何か、それすらも筆者は時に語ってしまう。

「家の中は、家族の物語で溢れている。玄関の靴、部屋のポスターや絵画、鴨居の表彰状や家族の遺影、台所の使い込まれた鍋や食器棚、食卓の新聞や雑誌、そして壁の傷、さまざまなものが語りかけてくる。ニュースやドキュメンタリーで、自宅で語る人の言葉に、よりリアリティを感じるのは、そうしたディテールに支えられているからだ」。

 ある種のメソッドとして、こうした背景がしばしば何かを語り出すことを作り手も受け手も予め分かっている。情報の伝達とはすなわち、インストール済みのリテラシーの動作確認に過ぎない。膨大な素材から編集によってあえて残すその意図は、そして視聴者が印象として残してしまうその意図は、紛れもなく言語化できてしまう類の何かを超えない。

 

 雄弁は銀、沈黙は金、なのか。

 本書に付された帯は言う、「世の中には理解不能な現実だってある」。

 むしろ筆者においては何もかもが理解可能なのかもしれない、だからこそかえって、「理解不能な現実」を渇望する。

 例えば『死刑弁護人』をめぐる言及、数多の重要刑事裁判の弁護人を引き受けたことで(悪)名高き安田好弘を追ったこのドキュメンタリーの筆者が思うハイライト、カメラマンが安田と居酒屋で杯を交わし、そして雨の街中へと出たときのこと、安田が不意に傘を差し出す。「私はこのシーンに、安田弁護士と事件、そして被告、さまざまな関係性が凝縮していると直感した。困り果てた人に傘をさしかけずにはいられない、それが安田弁護士なのかもしれない、と。/ここまで書いて気がついた。このカットを撮るために、岩井カメラマンは酒を呑み続けたのではないか」。

 この記述に触れた者はもはやシーンに別の解釈を見出すことはできないだろう。あたかも作り手サイドによるカノンであるかのごとくに持ち出す者もあるかもしれない。そう思わしめるだけの説得力をテキストに刻める、だからこそ、あるいはその彼方に横たわるかもしれない「理解不能な現実」、あるいはことばの作用によって抜け落ちてしまったかもしれない「理解不能な現実」が欲しくなる。

 筆者にとってテレビのアイデンティティとは「理解不能な現実」が映り込む、その一瞬に違いない、ありやなしやは私には知る由もない。

変えよう。

 

 よく考えてみると、選挙は不思議なものである。典型的な選挙では、有権者の約半数は敗れた候補に投票している。過半数の得票を得て当選する大統領はめったにおらず、また多党制のもとでの議会選挙では、最大政党の得票が40%を超えることはめったにない。さらに、多くの人は当選した政治家に期待を裏切られている。要するに、私たちのほとんどは、選挙の結果、あるいは、自分が票を投じた政治家の仕事に失望しているといえる。しかし、選挙の後ではいつも、支持する候補が次の選挙では勝って期待を裏切らない働きをしてくれる、と期待する。期待と失望、失望と期待の繰り返し。何かが変だ。……

 誰がどのように統治するかを選択する方法としての選挙を評価すべきであるとは、どのようなことなのだろうか。選挙の長所、短所、限界とは何だろうか。本書の目的は、これらの問いに答えることである。

 

 本書において提供される議論はむしろしばしば、選挙に出向かんとするその足を遠のかせかねないものですらある。

 筆者が調べ上げたところでは、「現職が立候補する場合、1788年から2008年の期間の2949回の選挙のうち2315回、つまり79%41のオッズ比)の確率で、現職が勝利していた。……選挙による政権交代は、現職が選挙で敗北するよりも稀である。入手可能なデータである2583回の選挙のうち、政権交代が起こったのは544回で、これは4.75回の選挙につき1回という頻度である」(ただし、ここで言う「選挙」がいかなる類のものであるかについては注釈含め示されていない)。

 つまり、政権交代などそうそう起きやしない。なにせ「選挙に関するルールは結果を左右すること、選挙はいくつかのルールに従っておこなわれる必要があること、そして、現職はこれらのルールに対して不釣り合いに大きな影響力を持っている」。官僚機構も動員できる。メディア規制も活用できる。カネも集まってくる。しかも最終手段としての不正の余地も残されている。「競合的な選挙が『公正』であるわけではない」。先のアメリカ大統領選挙はルール・メイキングをめぐる格好のサンプルを提供する。投票所の設置基準、郵便投票の可否、連邦最高裁人事、挙げ句の果てには、現職が自身の勝利をもってカウントをやめろ、と絶叫した。

 お題目の上では、「政府に『アカウンタビリティが課されている』とは、政府が市民の最善の利益に沿って行動しているかどうかを市民が見極め、適切な制裁を与えられることを意味する。つまり、市民の最善の利益のために行動している現職を再選し、そうでない議員を選挙で敗北させる場合である」。しかし現実には無論、情報の非対称の壁が横たわる、なんならデータくらいどうとでもチェリー・ピッキングできてしまう。さらに「私たちは多面性という問題に立ち戻ることとなる。与党は多くの政策に対応するが、市民が与党をコントロールするにはたった一つの手段、つまり投票しかない」。用紙に書かれるのはあくまで個人名か、政党名。有権者各人におけるプライオリティが、景気なのか、格差なのか、ジェンダーなのか、教育なのか、環境なのか、そのような意思を伝達するチャンネルなど用意されてはいない。

 選挙が再分配を促進する、なぜなら貧しき側がマジョリティを占める有権者は自らの利得最大化を求めて投票行動を決めるから。このテーゼについても実際の運用においてそのようなファクトが確認されることはほぼない、と言う。「第一に、所得が不平等である程度は、政治体制が違ってもあまり差がない。一人あたり所得がどのレベルであっても、民主主義のほうが独裁よりも不平等の程度が低いというわけではない。したがって、競合的な選挙が所得格差の縮小につながるという理論的予測は満たされない。第二の事実は、さらに不可解である。民主的な政府においては、所得の不平等が非常に低いところから中程度に上昇すると、政府は税制や政府移転によって所得を再配分するが、すでに不平等の程度が高い場合には、不平等が進むと逆に再配分が少なくなる」。所得の高低と投票率は強い相関性を示す、経済的不平等と政治的不平等は限りなくパラレル、ならば既得権サイドから見た最適解はたやすく導出される。パトロン向けに政策誘導をかけてその見返りとして組織票や献金を受け取り、そして同時に、ジリ貧の零落層には不参加という仕方で事実上の信任票を投じさせる。それは対抗馬の訴求力の有無に由来しない、単にすべて人間なる計算可能コンテンツは社会の関数を決して超えない、というその一例証に過ぎない。

 究極に原理的な話をすれば、いかに選挙結果に一喜一憂したところで、官僚機構全体の中で投票を通じて決定される人間の頭数など微々たるものでしかない。「郵便物が届かない、先生が学校に現れない、警察が賄賂を受け取っている、といった状況を想像してみよう。あなたは何ができるだろうか」。行政の実務を司る公務員と政治家の距離はあまりに遠い。さらなるそもそも論を加えれば、良くも悪くも、仮にも法治国家なる体裁を備えているのならばむしろ、トップの首がすげ替わる程度でパフォーマンスが一変することなどあってはならない。

 

 経済状況もこれといって変わらなければ、役所仕事が揺らぐこともなさそうだ、合理的な意思決定ともどうやらあまりつながってはいないらしい――というか、「合理性」の定義すら誰もシェアしない――、おまけにわざわざ投票に行ったところで、ほとんどの場合は知ってか知らずか現状を追認させられるだけ。

 選挙で何かが劇的に変わることを期待するのならば、少なくとも本書による限り、その望みは見るも無残に打ち砕かれることだろう。事実として、変わりやしない。

 それでもなお筆者に言わせれば、ないものねだりの果てなき政権ガチャ回しには徒労を超えた意味がある。本書がたどり着くあえての選挙の意義とは、むしろ変えないことにこそある。

「支配者(個人、政党、派閥)が選挙ではなく力ずくで権力を掌握した体制において、選挙をまったくおこなわない場合には、彼らが力ずくで排除されるまで、その支配は平均20年続くという分析結果がある。支配者が野党を許容しないながらも選挙をおこなっている場合には、25年継続する。また、ある程度競合的な選挙をおこなった場合には、クーデタやその他暴力的な政権奪取まで46年かかる。これに対し、選挙で少なくともいちどは平和的な政権交代を経験した場合には、暴力的な政権奪取は87年にいちど起こるだけである」。

 筆者がたどり着いた回答は、暴力革命、ましてや無政府状態を回避するための「平和的な紛争処理」の手段としての選挙だった。

 さらに続けて言うには、このプロセスが「平和的」であり続けるために大切なのは、「その選挙において『賭け』られているもの、つまり、勝った側の政策と負けた側がもしも勝っていたら追求しただろう政策との差が、少なすぎても多すぎてもよくないという点である」。2018年に著されたこの説は、議場乱入事件の試練にあずかる。それを受けての日本語版に寄せたコメントによれば、「与野党それぞれの支持者が失うものや、政府内の役職者の負けのコストが高すぎる場合、暴力を伴ってでも、現職は権力を維持しようとし、野党は権力を握ろうとするだろう」。劇場はやがて激情へと変わる、かつて過熱を冷ますための交渉術をもって謳われた政治の世界は、怒りに基づくヒートアップのインフレ競争の場へと書き換えられた。割れ鍋に綴じ蓋、国内対立の険しさは南北戦争以来の水準とまでささやかれる中、ひとたび無法者を招き入れてしまった「コスト」はかくも高くついた。ジョン・マケインが亡くなればバラク・オバマが弔辞を読み上げ、コリン・パウエルの死に際してはジョー・バイデンが哀悼の声明を捧ぐ、この事態を決して理解できない犬笛の支持者は今なお、不正選挙によって結果が奪われたことを妄信して疑わない。

 意思表示手段としての数多欠落にもかかわらず、こうした「コスト」を支払うことなく「平和的」に暮らすための術としての「選挙は、支配の限界を明らかにすることで政治的暴力を減らす」。

「過去にいちども交代を経験したことのない国では、次回選挙で政権交代が起こりうる確率は12%にすぎない。過去にいちどは選挙での政権交代があった国では、この確率は30%となる。過去に二回の交代を経験した国では、次の選挙で政権交代が起こりうる確率は45%」となる。

「つまり、選挙による政権交代が繰り返されると、それは日常的なものになる」、本書のロジックに従って言い換えれば、国内的な平和と安定が日常的なものになる。

 現実には、安全保障のリアリストを僭称する統合失調症患者の被害妄想とは裏腹に、外敵が国を焼き尽くすこともなければ、ましてや同性婚や別姓夫婦が国を解体へと向かわせることなど万に一つも起き得ない。ただし、翼賛体制はいとも簡単に国を滅ぼす。

 国を守るとは何か。国を愛するとは何か。

 変えないためにこそ、変えなければならない。

岸田ビジョン

 

 独特の眼差し、声、佇まい――亡くなられて20年近くの時が経過している今もなお〔原著の出版は2000年〕、ひっそりと人々を魅了し続ける、そして自分たちがここまで惹かれてしまう、表現するにはとても言葉が追いつかない岸田森の魅力とは一体何なのか、この本で少しでも迫ることができ、彼の功績を形に残すことができていれば幸いです。

 

 43の若さで夭逝したのが1982年のこと、当時1歳の私は岸田森をめぐるオンタイムの記憶をひとつとして持たない。『氷点』の岸田も、ましてや舞台上の岸田も、知る由もない。ファースト・インパクトはたぶん67歳の頃、『帰ってきたウルトラマン』のレンタルビデオに見た、子どもにすら伝わる尋常ならざる陰影。

 決定打は私が小3のときに訪れる。たぶんアクシデントにより叔父が急逝したその日の夕暮れ時、遺体の横たわる祖父母宅の別室でひとり、BSか何かで流されていた再放送を見る。画面に映るのはよりにもよって、岸田の演じる人物が轢き殺されるそのシーン。同期化されるパーソナルなリアルとフィクション、そして以後、時に叔父をめぐる淡い記憶は岸田の佇まいで上げ底されることとなる。

 もしかしたら、それは因果を違えた記憶の捏造に過ぎないのかもしれない、すなわち、これといって愛着があったでもない叔父の突然の死をもって私が岸田に影を背負わせるようになったのだ、と。

 

 岸田國士の親類にして文芸座の輝ける一期生、ヒーローものなど黒歴史に伏してもおかしくないところ、「いや、僕はほんとに円谷育ちですよ。円谷が作ってくれたようなもんだから、岸田森っていう俳優は」、「やっぱり円谷の世界なんだな。ぼくは円谷の世界が好きなんですよ」と公言してはばからない。「だから、子供にはわからないから、といった言い方をせずに、そりゃ言葉のむずかしさはわからないかもしれませんよ、でも、映像でみるものって難解なものはあり得ないんですよ」。

 そう、よくは分からない、でもアホなクソガキにすら何かすごいものを拝んでいることくらいは分かる。時は流れて『座頭市』や岡本喜八作品で度々再会することになる。かっこよさとも色気とも不気味さとも違う、三十数年前の幼心さえも捉えただろう、半径1メートル、別の風がそよいでいるあの感じ。本書の写真をめくりながら、でも相変わらず、よく分からない。無駄に年だけを取った事実を突きつけられる。

 岡本が証言する。「ひとひねりじゃなくてもうひとひねり、ふたひねりくらいあったからね、森ちゃんは」。他の回想にも度々似通った評は現れる。舞台に立てば日々、「同じ場面、同じ台詞にもかかわらず、間ですら違う顔を観せられる」(伊藤与之江)。「やりすぎたパターン化された演技じゃなくて/何か変えてやったらどうなるんだろう」と、弔辞を捧げたのは勝新太郎だった。

 脚本から規定される演技の相場は分かりすぎるほど分かっている、だからこそ、あえて外す。こまっしゃくれた言い方をすれば脱構築成長の限界、近代の果て、時は同じく1970年代、『マカロニほうれん荘』をもって彗星のごとく現れた鴨川つばめは、マンガの文法を解体し続け、そして灰になった。上下の切り分けをもって仮面を過剰に付け替え続けた桂枝雀は、やがて自らの人格さえも高座へと差し出していた。

 

「僕は酒を呑むと嫌なことが全部なくなって、すべてバラ色になるんですよ」。

 岸田の場合は、酒だった。

「何かこう、生き急いだ感じがありますよね。それでいて裏には何か辛いものを背負っているような、つらいものっていうか……何かあるんじゃないですかね、考え方というか。役者やろうと思ってやっている人ってそういうのがあるんじゃないですか。はたから見てても、そんなにやっちゃったらほんと体悪くしますよ、って感じでした。いつでも本気で、でもそういう生き方しかできなかったって感じがしますね。楽に甘えて生きるというところがまったくなくて、絶えず自分を辛いところに置いているという」(黒澤正義)。

アノミー的他殺

 

 いま、普通の“事件ノンフィクション”には、一種の定型が出来上がってしまったように感じている。犯人の生い立ちにはじまり、事件を起こすに至った経緯、周辺人物や、被害者遺族、そして犯人への取材を経て、著者が自分なりに、犯人の置かれた状況や事件の動機を結論づける。そのうえで、事件が内包している社会問題を提示する。……

 私も当初は、そのスタンダードなスタイルにはめ込むようにと取材を重ねていた。そんな中で、ワタル[山口県周南における殺人放火事件の被告人]本人が事件について正直に語ることのできない状態にあることを知り……同時にこれまでとは違う、もう一つの切り口に気が付いたのだった。まるで金峰地区を乱舞する大量の羽虫のように、この事件の周りには、うわさ話が常にまとわりついていた。……

 事件ノンフィクションの定石が打てないという焦りが確信に変わってゆくとともに、村のうわさを追いかけたいという気持ちが沸き起こった。そこから、村人たちにとってのうわさ、そしてわれわれにとってのうわさとは、いったい何なのかを深く考えたくなったからだ。こうして、本書の裏の主人公が決まった。

 いざ村に足を踏み入れてみれば、そこにはネットやテレビ、雑誌といったメディアに全く流れていないうわさが、ひっそりと流れ続けていた。

 

 このマニフェスト――といっても、上記引用はあとがきによるのだが――にある通り、本書のアプローチは「スタンダードなスタイル」には遠い。おおまかに言えば、事件そのもののドキュメンタリーというよりも、その事件を取材する筆者についてのドキュメンタリーとして、テキストは構成される。

 取材に回り、資料に当たり、そうしてある程度の筋立てを掴んだところで、改めて時系列や因果を整えて活字化する、そんな常道をあからさまにはみ出す。各々のタイミングで細切れに得られた情報が小出しに並ぶ。ストレートに言って、これほどまでにとっ散らかった事件報道に出会うこともそうはない。序盤早々読むだけ時間の無駄か、と本を閉じかけてすらいた。

 あからさまなターニング・ポイントがあったわけでもない、しかしいつしか、この文体がやけに腑に落ちるようになる。事件の舞台は、当時住人わずか12人の、スマホの電波すらも満足に飛ばない集落、彼らにとって情報といえばまず何よりも、他の村人たちをめぐって飽きることもなく交わされる「うわさ」の数々を指す。筆者はそれらのいくつかに触れる、曰く、加害者の父親は盗人だった、曰く、被害者のひとりはかつて加害者のペットを殺したetc...。しかしどこまで行っても、読者は、そして筆者も、この「うわさ」というウェブがもたらすネットワークのアウトサイダーでしかあれない。真相なるパズルの全体像など持ち得ない、傍観者にできるのはせいぜいが「うわさ」のピースをひたすらに拾い集めることだけ。そのことを自覚的に引き受ける筆致が、ヘタウマとも違って、無性にはまる。

 

 生まれ育ったその地へとUターンした加害者は当初夢見たことだろう、自らが「うわさ」の中心たることを。自宅をリフォームして集落再興の拠点に据えようと図る、そのために例えばカラオケつきのカウンターバーまで用意した。

 しかし実際のところ、彼は「うわさ」の輪に入ることすらできなかった。どころか皮肉にも、いつしか井戸端会議の場として定着したのは彼の家とは目と鼻の先だった。古今東西「うわさ」なるものの定め、その場にいない誰かをめぐってあることないこと交わされる、彼は窓越しにその光景を見ていたに違いない、「妄想」を肥大させるにこれほどの条件はない。

「うわさ」と「妄想」の違いは、必ずしも真偽に由来しない。シェアする誰かがいるか、いないか、ただその一点で両者は限りなく隔たる。「うわさ」の持つ凝集力と遠心力の必然、さらされる外があってはじめて内は生まれる。翻って外に置かれる生贄にあって、「妄想」は修正の機会を与えられぬまま悪化の一途をたどる。

 やがて拘置所で筆者が向かい合った彼は、既に重度の陰謀論に侵されていた、警察にはめられたのであって自らは罪など犯していないのだ、と。彼はひたすら筆者に向けてそのでっち上げの証拠という何かをまくし立てる。筆者はむき出しの「妄想」を前に困惑することしかできない。そして面会の機会さえも既に絶たれた。独房でただひとり、鏡合わせの「妄想」に憑かれたまま、彼は処刑台のその日を待つ。

「うわさ」の輪へと組み込まれてしまうこと、「うわさ」の輪にすら入れないこと。孤独であることの痛々しさ、孤独であれないことの痛々しさ。この死刑囚によって体現されるものは、一介の村社会固有の悲劇を超える。

戦争は女の顔をしていない

 

 戦時期の女性たちの典型的なイメージは、まっすぐな髪を後ろで束ね、モンペをはいた姿だろう。パーマネントが「禁止」され、モンペが「強制」されたということは、戦時体制の監視と抑圧が生活の隅々にまで行き渡った極めて象徴的な例として記憶されてきた。……

 しかしながら、このように「戦時に相応しい」髪型や服装が公的に「決定」されたということは、多くの女性たちがこのような決定に従ったということを必ずしも意味しない。実際には、現在わたしたちが想像するよりもずっと多くの女性たちが戦争中にパーマをかけ、スカートをはいておしゃれを追求していたようである。これは太平洋戦争が始まり、人々が耐乏生活を強いられていたとされる時期においてもそうであった。……

 本書で焦点を当てるのは、このような指導者が推奨する「戦時に相応しい服装」に従わなかった女性たちや、彼女たちのある種の「抵抗」を支えた女性の外見作りに関わる職業の人々が戦時をどう生きたか、という点である。……多くの女性たちが、戦時期に批判されながらもパーマをかけ、驚くほど短いスカートをはいていた。そして美容師、パーマネント機メーカー、洋裁学校教師、洋裁師などさまざまな人々が、女性の洋装を支えていた。パーマをかけて洋装で歩く女性たちの中には、街頭で「非国民」と面罵されたものもいた。美容院に石が投げ込まれたり、悪口を言われたりという話も各地で残っている。戦時期の女性の洋装は、国家への恭順、すなわち自ら進んで国家に服従するという姿勢を女性たちが示していない証拠として受け止められていたのである。

 それにもかかわらず、かなりの数の女性たちが洋装美にこだわり、その基準が戦時期に階層や地域を超えて広く共有され始める。女性たちはなぜ洋装美にこだわったのか、そして洋装美という基準はどのように階層や地域を超えて共有されていったのか。これが本書で考えてみたい点である。

 

 本書の副題からして既に虚を突かれることだろう。

 例えばあまたの朝ドラにおける戦時中描写をその典型に、この時代想定のもとで女性の登場人物がしている格好といえば概ね、結いつけてまとめた髪にモンペ、時たま割烹着。もたつきのないストレートなシルエットのズボンをはかせ、ましてや髪にパーマでもかけていようものならば、時代考証は何をやっているのだ、と苦情やら批評やらが殺到するに違いない。

 しかし、現実はしばしば小説よりも奇なり。配給下であってすらも、家事の火の用はわらなどで間に合わせ、ようやく余らせたなけなしの木炭で時に女性たちはパーマを巻いていたし――そもそもこの技術も電力使用に制限がかかる中で窮余の策として編み出された――、防空壕にさえその機械は持ち込まれていた。やがて制定されただろう「婦人標準服」とて、どうして彼女たちが受け入れることができただろう。一度短いスカートの動きやすさを知ってしまった女性にとっては、実用性の見地ひとつからしてなじみようもない。なんなら彼女たちは、贅沢は敵だムーヴメントすらも「更生」の名のもとに逆用してみせた。タンスに眠る和服を流行の洋装へと仕立て直す、このリサイクルを報国と賞賛されることはあっても糾弾されるいわれがどこにあろうか、と。

 さりとて、世間からの温かい目が彼女たちに注がれていたはずもない。そのことを伝える当時の新聞記事が引かれる。名古屋の電車内での一コマ、「時勢を知れ」とパーマ女性の髪を手でかき回す青年を、乗客たちは「“それが当たり前―!といわんばかりに小気味よげに眺めるばかり」、かくして女性たちに「市電恐怖症」が広がったというその様子は、あくまで「珍事」として報じられた。標語そのまま、精神を動員された国民は、たかがスカートファッションを時に「危険思想」とまでのたまってみせた。

 それでもなお、「洋装美」を彼女たちは捨てることができなかった、そこに本書の震えがある。数多の悪意のラベリングと直面させられていただろうにもかかわらず、たぶんそれはレジスタンスの表現などではないし、時代への異議申し立てといった明確な意図をもってなされていたわけでもない。おそらくは単に彼女たちは知ってしまったに過ぎない、そして一度、知ってしまった者たちは、いかに禁じられようとももはやそれを知らなかった過去へと引き返すことができない。

 

 ファッションは、単に体温コントロールのためでも、裸体を隠すためでもない、まず何よりも情報を着る。

 対してファッショは情報を切る。すべて翼賛体制は唯一、無知の上に成り立つ。

 私が被服について考えるに際してどうにも脳裏を離れないことがある、という割に、その発言者や媒体についてうかつにもまるで記憶していないのだが、そのライター――だったと思う――曰く、自分が辛うじてオウム真理教にのめり込まずに済んだのは、彼らのまとう例の装束を見て素直にダサいと思えたからだ、と。

 好きな服を着るということ、それはもちろん、他者との社会性の交換もあるだろう。しかし、まず何よりも自分のために着る、自らの知性がまともであることを確かめるためにまともと思える服を着る。あるいはむしろ本書に学ぶ限り、その因果関係は逆とすべきなのかもしれない、すなわち、まともな格好をしていられる限り、自分の頭はまだ辛うじて正気を保つことができている、と。