理想より現実、過程より結果。内容より視聴率。これでは、もはや詐欺師に近いような情報商人に落ちていく。しかし、金があれば誰かに作らせることができると思い込んできた組織に、心のこもった贈り物=テレビ番組は作れはしない。そうして、テレビは放送開始以来初めて、マネーに貧窮する時代へと突入していくことになる。
テレビは、ジャーナリズムの砦であり、テレビマンは映像文化を創造する担い手である。ジャーナリズムは、テレビが地域の人々と切り結ぶ唯一のパイプだし、映像文化の創造は豊かな地域づくりに欠かせないものだ。これは、私がテレビで活動するただ一つの理由だ。それらに関わっていくのが自分の使命だと思ってきたが、もし本書に怒りのようなものが感じられるとするなら、それは砂漠化するテレビへの強い危機感なのかもしれない。
『さよならテレビ』。
本書を手に取らんとする者ならば、そのほぼすべてが同名の映像ドキュメンタリーの存在を予め踏まえていることだろう。雑誌連載を再構成したというこのテキストが扱うのは、ディレクターとして、プロデューサーとして、筆者が実際に携わった作品のおそらくはほぼすべて。ではあるが、40年にもわたって内側から関わり続けてきた筆者をして、「さよなら」と言わしめる「テレビ」なるものの現在・過去・未来が中心的な主題であることは疑いようがない。
「リーマン・ショック以降、民放ローカル局では、剝き出しの言葉で危機意識を煽る経営者が跋扈した。たとえば、経営計画という指針を作らせる際に、『勝ち組』『負け組』『生き残り』『筋肉質の組織』『放送外収入』などと言って、社員をサバイバルゲームに駆り立てた。(略)あの時、ジャーナリズムの足腰を圧し折り、批評精神の刀を錆びつかせ、金銭至上主義の病気を蔓延させたことが、どれだけテレビを貶めたことか」。
逆に言えば筆者は、そうでない時代の自社の姿もまた知っている。
「私が入社した頃、東海テレビの報道局には、『サムライ』がいた。やれ仁義だ、やれ男の生き様だと、真っ昼間の職場で口角泡を飛ばし、デスクや記者の掴み合いを目撃したのは一度や二度ではなかった。(略)/カメラマンもすごかった。火事の建物の中に突入するわ、取材相手とケンカをするわ、サル山に野宿をするわ……。『東海テレビカメラマン列伝』というコミック本が書けるくらい奇妙奇天烈な人だらけだった」。あるいは「四十歳手前で、私は営業局に異動した。そこで、報道畑とは様子の異なる上司に多くのことを学んだ。その中にケンカ殺法の交渉術もあった。/(略)嫌々行った部署で、お金の計算など自分に向かない仕事ばかりだったが、男気に溢れた先輩たちに人生と仕事の機微を教えられた。その場その場で奮闘し、面白がる精神があれば、人生に無駄な回り道はないのかもしれない」。
しばしばストロングに過ぎるパンチラインで満たされた抜き書きを貼り合わせるだけで、なぜに筆者がカメラを内側へと構えることとなったのか、その必然はただちに了承されることだろう。
いちいちがあまりにストンストンと理に落ちていく。ところがなぜか、読み進むほどにこの感覚が腑に落ちなくなっていく。
エッジの立ったこの文体が、翻って映像化、わけてもテレビに懸けるその執念との違和感を誘う。
かつて筆者が関わった『ヤクザと憲法』に触れた際のことを思い出す。テレビドキュメンタリーとしてそのタイトルを噂に聞き、ただしまずはテキスト版を読み、だいぶ時間を置いて映像――それがテレビ版なのか映画版なのかは分からない――を鑑賞した。読み応え溢れる書籍を踏まえた上での映像は、率直に言って間延びしていた。あてどなく回し続けるカメラにそうそう決定的な瞬間が映り込むことはない、それは肉眼に飛び込む日常にハイライトと呼べるシーンなどまず起きやしないように。編集して凝縮させたとしても、センス・オブ・ワンダーで埋め尽くされるはずはない。それはまるで自分で教科書を読めば3分で片づく授業、とまではさすがに言わないけれど、テキストにしか現れない情報がむしろそぎ落とされたものとしか映らない画面は、ほとんど記憶との答え合わせと同然のものとして私を通り過ぎていった。
そんな鑑賞体験が本書にオーバーラップする。A.ヒッチコックだったかが言ったことには、2時間映画のシナリオは、小説ならば20ページとか30ページとか、その程度に過ぎない。例えば講演や対談の音声や映像を文字起こししてみる。リアルにおいてその場を流れた1時間は、テキスト化してしまえば、わずか5分や10分もあれば把握できるような情報量でしかない。過剰なほどに明晰に書くことのできる筆者が、にもかかわらず、あえてその映像の側にわが身を投じる。
その謎の答えの一端は、やはり訳もなく明かされる。曰く「読経とアナウンスの共通点」、「『余白』とは、思考を回すためのテンポであり、考えるための『間』だ。(略)『余白』を意識することで、テレビを観る人々の想像力に託す力がついていった」。
ご丁寧にも、文字化され切らない何か、それすらも筆者は時に語ってしまう。
「家の中は、家族の物語で溢れている。玄関の靴、部屋のポスターや絵画、鴨居の表彰状や家族の遺影、台所の使い込まれた鍋や食器棚、食卓の新聞や雑誌、そして壁の傷、さまざまなものが語りかけてくる。ニュースやドキュメンタリーで、自宅で語る人の言葉に、よりリアリティを感じるのは、そうしたディテールに支えられているからだ」。
ある種のメソッドとして、こうした背景がしばしば何かを語り出すことを作り手も受け手も予め分かっている。情報の伝達とはすなわち、インストール済みのリテラシーの動作確認に過ぎない。膨大な素材から編集によってあえて残すその意図は、そして視聴者が印象として残してしまうその意図は、紛れもなく言語化できてしまう類の何かを超えない。
雄弁は銀、沈黙は金、なのか。
本書に付された帯は言う、「世の中には理解不能な現実だってある」。
むしろ筆者においては何もかもが理解可能なのかもしれない、だからこそかえって、「理解不能な現実」を渇望する。
例えば『死刑弁護人』をめぐる言及、数多の重要刑事裁判の弁護人を引き受けたことで(悪)名高き安田好弘を追ったこのドキュメンタリーの筆者が思うハイライト、カメラマンが安田と居酒屋で杯を交わし、そして雨の街中へと出たときのこと、安田が不意に傘を差し出す。「私はこのシーンに、安田弁護士と事件、そして被告、さまざまな関係性が凝縮していると直感した。困り果てた人に傘をさしかけずにはいられない、それが安田弁護士なのかもしれない、と。/ここまで書いて気がついた。このカットを撮るために、岩井カメラマンは酒を呑み続けたのではないか」。
この記述に触れた者はもはやシーンに別の解釈を見出すことはできないだろう。あたかも作り手サイドによるカノンであるかのごとくに持ち出す者もあるかもしれない。そう思わしめるだけの説得力をテキストに刻める、だからこそ、あるいはその彼方に横たわるかもしれない「理解不能な現実」、あるいはことばの作用によって抜け落ちてしまったかもしれない「理解不能な現実」が欲しくなる。
筆者にとってテレビのアイデンティティとは「理解不能な現実」が映り込む、その一瞬に違いない、ありやなしやは私には知る由もない。