優れた食品である豆腐は、もともと中国で発明され、アジアで広く食されている。近年ではヨーロッパやアメリカでも愛好者が増えてきており、英語ではsoybean curdとなるが、むしろtofu(トーフ)の呼称で親しまれている。
歴史的にみて豆腐がどのように登場したのか、またいつごろ日本に伝わったのか、といった問題については、残念ながら詳細は不明とするほかはない。ただ日本への伝来には仏教、つまり僧侶や寺院が深く関与したことにほぼ疑いはなく、いくつかの文献にも豆腐記事が登場する。そこで本書では、この非常に魅力的な豆腐という食品について、文献史料を中心とした上で、日本各地に伝わるさまざまな豆腐の現地調査をふまえ、トータルな観点から、その文化史を描いてみたいと思う。
奇しくも大飢饉の到来を予知していたかのように、天明二年、一冊の画期的なテキストが上梓され、間もなくベストセラーとして広く好評をもって迎え入れられる。
『豆腐百珍』。
なるほど確かに、その味の癖のなさから変幻自在に姿を移すことのできる豆腐の特性ゆえにこそ、「さまざまな食材を用いて季節ごとの献立や、その調理法さらには料理作法などを紹介する」という旧来のレシピ本とは一線を画すことはできたことそれ自体は事実なのだろう。しかし、今なお語り継がれるこのテキストのセンセーションは、「豆腐一品に限って数多くの料理法を紹介した」という単一食材へのフォーカスに留まらない。筆者に言わせれば、「あくまでも料理そのものを楽しみの対象とするとともに、読み物としての性格を強く持っていた点に最大の特色がある」。
古今の文献を渉猟して引用を連ねることで、「豆腐料理を舌で味わうというよりも、知識を駆使して頭つまり観念の上で料理を楽しむという性格の料理本であったことを意味している」。
かつて人は胃でものを食べた、つまり栄養の摂取が主だった。次いで舌で食べるようになった、すなわち美食の快楽を追求するようになった。そうして飽食の時代を迎えて、ついに人は頭でものを食べるようになった、情報を食べるようになった。
農村部の困窮など露知らずの都市部において、そんなエポック・メイキングな名著が生まれるのも必然だったのかもしれない。そしてそのための材料として、手を変え品を変えの融通無碍な豆腐が選ばれたこともまた、必然だったのかもしれない。
『豆腐百珍』というこの試みがなければ、おそらくはこの『豆腐の文化史』も生まれてはいなかった。
筆者の試算によれば、江戸での豆腐一丁の値段は今日の物価に照らせばざっと182円、京においては168円。昔も今も変わらない手軽にして栄養価も抜群のこの庶民の味方が、当時の娯楽においても現れてこないはずはない。
「色付くや豆腐に落て薄紅葉」と芭蕉はうたい、蕪村は「茶の花や裏門へ出る豆腐売り」と詠んだ。一茶に至っては「おそ起や蚊屋から呼ばるとふふ売」とのエッセイをしたためずにはいられなかった。
落語、講談の世界にあっても、半可通の知ったかぶりを笑い飛ばすための素材は「酢豆腐」であらねばならなかった。薄情な花魁の千早に振られた傷心の相撲取り竜田川は郷里に帰り豆腐屋を開き、やがて落ちぶれて再会した彼女はおからすらも恵んでくれないからと水くくることを余儀なくされる。金欠にあえぐ学者は豆腐屋からおからを恵まれることで辛うじて生をつなぐ、長じて幕府付きへと登用された彼は出世払いの口約束を実行してかつての恩に報いる、「徂徠豆腐」のプロットである。
これらのストーリーのリアリティは、いずれも豆腐ゆえにこそ担保される。
近代においても、豆腐は日本の暮らしを映し出す鏡であり続けた。
戦時体制下においては、あのにがりすらもレアメタルと化した。その主成分である塩化マグネシウムが軍用機の機体などに用いられるようになったためである。とはいえ、それしきのことで人々は豆腐を簡単に諦めたりはしなかった。代わって用いられるようになったのが石膏、つまり硫酸石灰だった。
そもそも、この頃には既に本邦への大豆の供給は専ら満洲に頼りきりだった。例えばあの満洲事変の1931年における総輸入量は年間55.3万トン、うち中華民国から21.7万トン、関東州からは33.5万トン、当時の国内生産量が35万トンであったというから、その重要度は窺い知れよう。
「つまり満洲の経済は国際消費としての大豆に支えられており、満鉄と馬車のネットワークが、その流通の要となっていた。日本の満洲進出の目的は、軍事的な対露戦略のもとで、重工業の発達と開拓移民による農業政策によって総力戦のための軍需資源の供給地と化すことにあったが、その主要農産物が大豆であったことは注意されてよい」。
豆とともに生きて、豆とともに死ぬ。
油というエネルギー源として、あるいは肥料として、そうした大豆の用途に比すれば、たかが豆腐のシェアなど知れてはいよう、だがしかし、されど豆腐でもある、もしかしたらここに一丁の豆腐が変えてしまった世界史がある。