新宿二丁目――。
本来ならば、ただの地名であるはずのこの言葉にはさまざまなニュアンスが付与されている。多くの人が「新宿二丁目」と耳にするとき、口にするとき、そこには別の意味合いが込められている。
端的に言えば、そこには「ゲイタウン」としての意味合いが含まれており、転じて「不思議な街」「妖しいスポット」「異形のエリア」などのニュアンスが込められている。……
しかし、近年ではこの街の様相にも少しずつ変化が訪れているという。
LGBT当事者たちだけではなく、非当事者であるノンケやストレートと呼ばれる人々や、外国人観光客の姿も数多く目につくようになっている。
客層が変わることで、かつてこの街が持っていた淫靡さが失われた。観光地化することで、かつての街並みが失われてしまった。
この街になじみがあり、強い愛着を持つ人々は、「二丁目は変わった」と嘆き、最近になってこの街を訪れた者たちは「どんな街なのだろう?」と好奇心をむき出しにしながら、新宿二丁目のメインストリートである仲通りを闊歩している。
いったい、現在の新宿二丁目はどんな街なのだろう?
ゲイ雑誌編集者にして当事者の人物が証言する。
「本当のゲイが少なくなった――」
その原因は明快だった。
「かつて、新宿二丁目に人があふれていたのはこの街に来れば出会いがあったからです。この街に来れば友だちだけでなく、その日の夜を過ごす誰かに会えた。でも、いまの若い子はこの街に出会いを求めていません。友だちだって、セックスパートナーだってネットで見つかるから」。
かくして彼が手がけた雑誌も休刊を余儀なくされた、二丁目も退潮を余儀なくされた。モノからコトへ、アナログからデジタルへ、この見えない化の波は土地という究極のメディアの根底を覆してしまった。
筆者が「淫靡さ」と呼ぶ何かの醸成は一日にしてならず、江戸の世から既に売春宿のメッカとして鳴らしたその地は、やがて赤線へと移行し、廃止をもって浄化されたかに見えたその隙間で、瞬く間にゲイタウンとして「淫靡さ」をそのままに引き継いでみせた。
ところが、その「淫靡さ」がいつしか「健全さ」に座を譲った。
迫害により解体を強いられたわけでは必ずしもない。むしろ近年ではゲイパレードの拠点になるなど、「オープン化」はむしろ当事者サイドからの働きかけの産物だった。半世紀にわたりこの街の移り変わりを見守り続けた、やはり当事者は言う。
「この50年間で、街は明るくなりました。その結果、ゲイやレズビアンなど、さまざまなセクシュアリティの人たちの表情も明るくなりました。お洋服とか、お化粧とか、外見上のことだけじゃなくて、内側からにじみ出る笑顔。その表情が、以前とは比べものにならないほど明るくなったと思います。LGBT運動の成果だと思うけれど、それは本当にいいことですよね」。
それでもなお、筆者は吐露せずにはいられない。
「新宿二丁目はすでに終わっている」、と。「僕が知っていたかつての新宿二丁目と比べて、明らかに活気が失われていたからだ。……/平日には恐ろしいほど閑散としていたのも目立った。僕が知っていたころと比べると、明らかに人の気配が感じられなかった」。
確かに50年前、100年前と比べれば、理解も進んではいるかもしれない。しかし依然として、同性婚すらも制度化されていないのがこの国の現状である。マッチングアプリの方が安上がりだからという世知辛さもあるだろうが、誰に知られるとも限らないという事態が当事者によってリスクと受け取られている結果がスマホへの移行、言い換えれば二丁目の空洞化を引き起こしただろうとの推察もそう的外れではあるまい。
同性愛、異性愛、トランスとを問わず、人間の性衝動から「淫靡さ」が失われる日なんておそらくは来ない。衣服という仕方で誰しもが「淫靡さ」を覆わずにいられないように、かつて二丁目という結界をもって「淫靡さ」は外部から隠されていた。その街から「淫靡さ」が消えたとすれば、それは単に他のどこかへと移った、という以上の何かを意味していない。それでもなお辛うじて街としての体をなしている、なぜならば、その空白に代わって別なる需要が流れ込んだから。
かくして二丁目は記号化された、観光地化された。
この感じ、何かに似ている、と思い、あっと気づく。
城と呼ばれる鉄筋コンクリート造りのテーマパークだった。
今日のその場所に、有事に備えた要塞としての機能など誰も期待していない。建築基準法等の見地からも、もはや当時の工法そのままで再現することなどかなわない。江戸の世の城に非常経路を知らせる緑色のランプなど点滅していたはずもない。ツアーガイドの姿もなければ、バリアフリーへの配慮もない。窓から望む景色にしても、何もかもが様変わりしている。
ところが、TDLのシンデレラ城と何ら変わるところのないこの無用の長物を現に人々は嬉々として消費している。これほどまでにあからさまでありながら、それがもはや換骨奪胎され尽くした何かであることすらも消費者と呼ばれる一群は気づくことなく、歴史云々を今日も真顔で語って歩く。
似たような漂白作用が新宿二丁目でも起きた。
紛れもなく、「新宿二丁目は変わった――」。
たぶん「淫靡さ」を捨てたのではない。「淫靡さ」に捨てられたのだ。