平和への祈り

 

 月刊のタウン誌『銀座百点』に連載した。当初は1年の予定だったが、2年にのび、さらに3年にのびた。計36本。

 昔の日本映画――、昭和の初めから昭和230年代の映画を中心にしている。この時代の日本映画にいかに銀座を描いた作品が多いかが分かる。……

 震災後、まずデパートが銀座にやってくる。大正13年には松坂屋14年に松屋が、さらに昭和5年には三越が銀座に店を構える。それに呼応するように地下鉄が開通する。

 現在、マリオンがあるところには昭和2年に朝日新聞社のモダンな建物が完成。昭和3年には資生堂4階建てのビルが、5年に伊東屋8階建てのビルができる。そして昭和7年には尾張町(現在の銀座4丁目)の交差点のところに服部時計店(現在の和光)が完成。屋上に時計塔を持つこの7階建てのビルはモダン都市として生まれ変わった銀座のシンボルになってゆく。……

 新しいメディアである映画がこのモダン都市銀座をとらえるのは当然である。ちょうどサイレントからトーキーへと変わる時でもあった。銀座の音が映画の伴奏曲になった。本書はだから、昭和11年に藤山一郎が歌って大ヒットした「東京ラプソディ」をもとに作られた映画『東京ラプソディ』から始めている。……

 本書に取り上げた映画は、前述したように大半は昔の映画、東京オリンピックの前に作られたものにしてある。まだ築地川が流れ、都電が走っていた頃の銀座が舞台になっている。なぜそうしたのか。ただ「あの頃」が好きだからとしか答えようがない。「単なるノスタルジー」というお決まりの言いように対して、ただ「古いものは美しい」と小さくいいたい。

 

「いまや全て埋め立てられてしまいその面影はないが、昭和30年代のはじめごろまで、銀座は東西南北四方を堀割に囲まれていた。いわば島だった。銀座に入るには必ず橋を渡らなければならなかった」。

 現在でも、かつて橋だった何かの痕跡はさして目を凝らさずとも見つけることはできる。京橋、新橋、数寄屋橋……となぜにその地名がついているかといって、本当に橋が架かっていたからである。

 そんな失われて久しい光景が、ただし映像の中でならば確かめることができる。

 もっとも、作り手たちは世紀をまたいでそうしたノスタルジアの記録として鑑賞されることなど、まさか想定しなかっただろう。否むしろ、彼らが他のどこでもなく銀座を舞台として選び取ったのは、絶えず変わりゆくその先進性のためだったに違いない。

 例えば昭和14年『東京の女性』のヒロイン原節子が演じるのは自動車セールスマン、「まだ女性の社会進出が少なく、職業が限られていた時代には車を売る仕事は最先端の女性の職業と言っていいだろう」。時代の先を行く女性が働くその場所は、他のどこでもなくたぶん銀座でなければならなかった。技術的限界からまだロードムーヴィーは到底かなわない、しかしカメラはクルマが走るためのストリートを捉えないわけにはいかない。もしかしたら当時の人々にとって、スクリーンで見るその光景は今日においてドバイや上海あたりの高層ビル群を仰ぎ見るような感覚をもたらしたのかもしれない。

 映し出される銀座がその時代の先端を行ったのには理由がある、関東大震災だった。その復興劇は、街を一躍スターダムへと、映画の主役へと押し上げた。

 

 戦争を潜り抜けてすら、銀座は日本の最先端を走り続けた。

 占領軍がPXを構えたのも銀座なら、マスメディアの魁たる朝日毎日読売の三大新聞社も変わらず銀座に本拠を置き続けていた。維新後に台頭した新橋の花柳界は、バーやクラブへとモデルチェンジして、銀座へと流れ込んだ。

 高度経済成長のアイコンとして日本を牽引したのも銀座だった。伊勢湾台風を受けての『風速七十五米』が切り取ったのは、広告都市としての銀座。その冒頭、当時のビル屋上を彩った企業のネオンが、次から次へと映し出される。「森永をはじめ、不二家(ペコちゃん)、サッポロビールミノルタカメラ、アサヒビール、三愛、富士フィルム雪印バター、テイジン、ニユートーキヨー、ワシントン靴店清酒の神鷹」……。

 

 その中でも、銀座映画の白眉といえば、『ゴジラ』をおいて他にない。

 東京湾から上がり込んだ「夜の銀座では森永の地球儀型のネオンをはじめ、ナショナルの星形のネオン、雪印の雪の結晶型のネオンなどが輝いている。すずらん通りにも飲食店のネオンがあふれている。……/服部時計店を壊したゴジラは次に有楽町へ。朝日新聞社日劇、さらには国鉄の高架橋を破壊する。……/ゴジラはさらに日比谷から国会議事堂へ向かい、昭和11年に完成した東京のシンボルをまたたくまに壊してしまう」。

 他の映画とは何が違うか、文字通りにスケールが違う、縮尺が違う、50メートルのその身長を基準としたフレームが捉える画角が違う、たとえそれが模型にすぎぬとしても。

 水爆実験を機に太古の眠りより目覚めたこの怪獣に監督本多猪四郎は「東京大空襲のイメージ」を仮託した。それはまさに「核実験を繰り返す人間たちへの自然界の怒りの象徴」であり、そして同時に、徘徊すれどついに本丸たる皇居は襲うことができない英霊たちの怨念の象徴でもあった。

 そしてここに銀座の銀座たる所以が凝縮される。

 繁栄の象徴としての銀座、復興の象徴としての銀座、その街を放射能の炎をもって焼き尽くす。それでもなお、芹沢大助亡き後の銀座の街は蘇らずにはいなかったのだろうか。

 そして思う、ユニクロGU、ワークマン栄え国滅ぶ、もはやそれは『ブレードランナー』のアジアン・スラムに限りなく近づいて、そんな銀座に蘇る価値などあるのか、と。

 

 

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