民衆暴力

 

 大正12年(1923年)91日の関東大震災発生から100年の節目を迎えた。……

 地震発生からほどなく「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「火をつけた」などの流言が広がり、各地で多くの朝鮮人がいわれもなく無惨に殺された。

 福田村事件は、こうした震災時の朝鮮人虐殺の余波で起こった痛ましい事件である。震災発生から5日後の96日、利根川と鬼怒川が合流する千葉県東葛飾郡福田村大字三ツ堀(現在の野田市三ツ堀)で、四国の香川から行商に来ていた一行15名が地元民に襲われ、9人が命を落とした。……殺された者のなかには、6歳と4歳と2歳の子ども、それに妊婦も含まれており、胎児を含めると、被害者は10人ということになる。

 加害者側の地元民たちは、讃岐弁を話す行商人一行に対し「お前らの言葉はどうも変だ、朝鮮人ではないか」と、いいがかりをつけ、行商人の鑑札を持っていたにもかかわらず、暴行、殺害に及んだ。……

 この福田村事件ほど際立って痛ましく、理解に苦しむ事件もほかにない。人間がここまで残虐になれるものだろうかという疑問がつきまとって離れない。さらに驚くのは、罪なき者に暴行を加え、9人も殺害した加害者たちが、何の罪悪感もなく、むしろ国家にとって善いことをしたと胸を張り、なぜ罪に問われねばならないのか、と法廷で滔々と演説をぶった事実である。また、そんな加害者たちを地元民は支援し、なかには刑期を終えた後に地元議会の公職に就いた者さえいたというのである。

 このことは、時の政権から「殺してもいい」というお墨付きを与えられ、堂々と殺すことができたことの証であろう。

 地元では、事件のおぞましさにおののいてか、長い間口を閉ざしてきた過去がある。いまさら100年前の事件をあばきたて、加害者を糾弾しようというのではないが、繰り返さないためにも、あったことをなかったことにはできない。

 

 本書を読みながら、どうにも連想を誘われずにいられなかった実験がある。

 通称ミルグラム実験、あるいは別称として、ナチス絶滅収容所で「悪の凡庸さ」を体現してみせた管理者の名からアイヒマン・テストと呼ばれることもあるらしい。

 心理学者スタンリー・ミルグラムの実験設計は、とてもシンプルなものだった。まず被験者を「教師」と「生徒」に振り分け、「教師」は別室の「生徒」に対してテストを出題していく。間違えた場合には、その罰として電気ショックを与えなければならない。その電圧は、失敗を重ねるごとに強められていく。傍らには実験の執行者として白衣の「権威」が同伴して、「教師」が罰を科することにためらいを見せる度、続けるようにと念を押す。遮られて姿を隠されている「生徒」の気絶により一切のレスポンスが失われても、それらはすべて無回答の不正解とみなされ、さらなる加圧が図られる。

 周知の通り、この実験にはからくりがある。実際には「生徒」はすべてサクラで、あくまで被験者としてモニタリングされているのは「教師」の側。電気刺激がもたらす苦悶はあくまで演技であって、実際に加えられたものではなく、隔離されたブースからスピーカー越しに響いているという体のリアクションも事前に録音された素材が再生されているに過ぎない。

 もちろんそんな仕込みを知る由もない「教師」は、「権威」による後押しを受けて、自らに与えられたロールプレイとして「生徒」への制裁を実践した。その論文が伝えるところでは、被験者40人のうちの26人までが、最大電圧に達するところまで電気ショックを完遂させたという。

 

 ミルグラムの実験は、あくまでコントロールされた環境下での実験にすぎなかった。この発表が今日へと語り継がれるほどの衝撃を世界に向けて与えたとしても、ひとまず現実には誰が電気椅子に悶絶することもなかった。

 しかし、たとえ心理メカニズムを同じくしたとしても、大震災直後に関東一円で実行された凶行は、実験とは違う。彼ら「教師」は自警団を結成して、生身の「生徒」たちを次々と殺して回った。一連の悲劇において「権威」を担ったのが、内務省だった。「東京付近の震災を利用し、朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内に於て爆弾を所持し、石油を注ぎて放火するものあり」といったデマの犬笛を打電することで、一市民を「教師」に指名し、彼らをあからさまに焚きつけた。「生徒」を割り振られたのは、共産主義者社会主義者もさることながら、なんといっても朝鮮人だった。「『ザブトン』という日本語を/『サフトン』としか発音」できなかった」、ただこの一問をクリアできなかったことで逆賊とみなされて、そして命を奪われた。

 

 それにしても、福田村事件は異質だった。

 ある者は日本刀により、ある者は鳶口により、またある者は利根川に沈められて殺された、なるほど手口も残忍だった。無論朝鮮人ならば許されるというものでもないが、全くの誤認により日本国籍所持者の命が刈り取られた、そのずさんさにも閉口させられる。しかし、このアクト・オブ・キリングの何よりの特徴といえば、そうした残虐さがまるで認識されてこなかった点にある。「罪の意識もなく、むしろ英雄のように振る舞った犯人たち。さらにその家族をねぎらって見舞金を渡したり、農業の手伝いまでした村の住人たち」、そんな彼らの共犯関係が長きに渡ってなんらの罪過として記録されてこなかった点にある。

 そのことを何よりも如実に物語っているのが、あるいは本書のあり方なのかもしれない。福田村事件それ自体についての記述が、表題に偽りありと思えてしまうほどに極めて乏しいのである。それは何ら筆者の横着に由来しない。理由は判然としている、そもそもの史料が極めて少ないから、当事者たちが一様に知らぬ存ぜぬを貫いたから。取材に着手した段階で既に当時を知る人々の多くが鬼籍に入っていたということもあるが、テーマそれ自体をめぐるこの情報量の希薄さこそが、福田村事件というケースそのものの異質性を無二の仕方で訴えてやまない。

「教師」も「権威」も一様に口をつぐんだ。いやおそらくは、つぐむまでもないこととして、彼らは事件をなにごともなかったかのようにやり過ごした。「大正十二年 千葉県ニ於テ震災ニ遭シ三堀渡船場ニテ惨亡ス」、位牌に刻まれた「生徒」のこの無念など知ることなく、罪悪感に苛まれることなく、天網恢恢疎にして駄々漏れに彼らは天寿を全うしていった。

 記録にも記憶にもこれら惨劇を残そうとしない美しい国の善良な彼ら「教師」と「権威」は、リアルにおけるミルグラム実験に放り込まれれば、量産型の量産型たる所以、必ずや全く同じ振る舞いをトレースし続けて、そして都合よく忘却していく。

 実に狂気とは、同じ因果をなぞりながら、ただし別なる帰結を望むこと。

 

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