Back in Black

 

 私は精神科医ではないけれど、今なら分かる。人は自分がDCdonor conception]だと知ったとき、皆いくつか同じ感情の段階をたどる。他のあらゆるプロセスと同様、これにも個人差がある。通らない段階もあれば、抜け出すのが難しい段階もある。

 私の場合、初めは深い悲しみだった。実の父だと思っていた男性は、私が15歳の頃に亡くなった。それから12年が経った今、私の記憶はまた葬儀の場面に戻っていた。アデレードは焼けるように暑く、蝉の鳴き声が響いている。光景は同じだが、私はあの頃と同じではなかった。私は招かれざる客だった。私は初めから彼の娘ではなかったのだから。

 たとえ誰かを亡くしたとしても、その人を愛していれば、彼らは永遠にあなたたちとともにある――私はずっとそう信じていた。この思いが励みになっていた。

 だが、私は嘘をつかれていた。自分が滑稽に思えた。その信念さえ失ってしまった。(中略)

 本書は、ドナー提供配偶子(精子卵子)・胚(受精卵)による懐胎――世間の想像以上に異様で、おそらく世間の認識以上に浸透したもの――について書かれたものである。親になりたいという願望について書かれた本ではない。自身の生殖細胞を用いて不妊治療を行うカップルについて書かれた本でもない。本書は、第三者生殖細胞から誕生した人間について書かれた本である。社会的な関係からではなく、採取された人間の組織から生命を作ることについて書かれた本である。

 本書は、人間を繁殖させることについて書かれた本なのだ。

 

 筆者はオーストラリアのジャーナリストであり、かつ、精子提供によって生を享けた人間でもある。そんな彼女が自身の生誕の秘密をドキュメンタリー化する。

 とはいえ、予め言ってしまえば、本書はある面ではひどく単調な履歴を辿る。病院に問い合わせても、政府機関に尋ねても、たらい回しに次ぐたらい回しで、一向に真相に接近する気配はない。多少のネタばらしをしてしまえば、実は筆者は別のアプローチで、精子を差し出した生物学上の父とやがて対面を果たしはするし、そしてその過程で同じ治療プログラムに基づいて誕生した異母姉妹にも出会いもする、ただしそれらはほぼ何らの公的機関の調査も媒介としない。

 もっとも、それらのペーパーワークが全くの空振りに終わるのも必然なのである。なにせ、一連の医療行為に関わる記録がそもそもにおいて保存されていなかったのだから。無から有は作れない、まさか子どもでもあるまいに。

 あるタイミングで、筆者は自らの人工授精をめぐる資料をついに受け取る。A4用紙2枚、たったそれだけ、しかも、肝心のドナーコードは切り落とされていた。曰く、「当時のスタッフには破棄する権限がありましたし、その行為は違法ではありませんでした」。今般の開示にあたって慌てて削除されたわけではなく、とうの昔に原本から失われていた。理由として推定されるのは、ひとりのドナーによる精子が膨大な数の治療行為へと用いられたこと、しかしそのことを証明するための資料すら残されていない。専らこうした証拠の欠如は過誤を犯した側の有利にはたらく。

 このテキストは、パーソナルなプライバシーを差し出してでも、DCをめぐる真相にたどり着こうとする筆者個人の物語ではない。そのストーリー・テリングさえも不可能にしてしまう、彼ら政府機関や医療システムの不完備をめぐる歴史である。

 あるいはそれは制度設計や運用の巧拙の問題ですらないのかもしれない。蚊帳の外に置かれ続ける彼女の姿が象徴する、子どもは親を選べない、その非対称性の残酷さがDCという医療行為に極北として示される。DC児には自分がそのプロセスを経て生まれていたという事実を変えることはできない、生まれてくるその仕方を決めることはできない。ある日、自分に100人の異母兄弟がいること――生身の性交渉によっては養育その他のコストというスタビライザーの作用により実現されることはまずない――を知らされてもどうにもできない、ただし例えばエイズ等の遺伝的発病や近親相姦といったリスクはすべて所与のものとして彼らに降りかかる。

 ここに至って自己決定権という物語は決定的に破綻する。そこに決定される客体としての自己はいても、決定する主体としての自己はいない。

 

 ひときわ印象的な登場人物がある。レルという。彼女もまた、DCを通じてこの世に生を受け、15歳にしてその事実を両親から知らされ、やがてロビイストとなった。自らの誕生に携わった医療機関に問い合わせるも梨のつぶて、しつこく食い下がり数年、ようやく精液のドナーに「T5」なるコードが割り振られていたことを引き出す。

 そしてその頃、28歳にして彼女は悲劇に襲われる。突然に大腸が破裂し、ステージ4の末期がんに蝕まれていることが発覚する。担当医が言うことには、若年としては稀なこの進行は遺伝的要因に由来する蓋然性が高い。母系にはがん患者はいない、だとすれば消去法的に「T5」に依拠する可能性が浮上する。もしそのリスクを予め知っていれば、スクリーニング検査による早期発見もかなっていたかもしれない。

 ある政治決断により「T5」の正体は割り出され、両者はついに対面を果たし、そしてその6週間後、レルは亡くなった。

「死から3年近くが経った後、ついに世界で初めての法律がビクトリア州で成立した。DCで生まれたすべての子どもに、ドナーの身元を知る権利が与えられたのだ。この法には接触拒否権も明記されていた。(中略)

 レルと出会ったからこそ、レイ[レルのドナー]はDCで生まれた他の4人の実子を見つけられた。この子どもたちにも大腸がんの検査を受けるように伝えられたと彼は語っている」。

 もちろん、これしきのことはいかなる慰めも与えない。生まれてさえ来なければ、自らのアイデンティティに葛藤することもなかっただろう、「権限を持つ人々が誰一人として、DC児の思いや願い、ニーズに正面から向き合おうとしな」い、そんな不条理に怒り悩まされることもなかっただろう、がんの痛みにのたうち回ることもなかっただろう、そう、生まれてさえ来なければ。