キム・ジヨン氏に初めて異常な症状が見られたのは9月8日のことである。……チョン・デヒョン氏[ジヨンの夫]がトーストと牛乳の朝食をとっていると、キム・ジヨン氏が突然ベランダの方に行って窓を開けた。日差しは十分に明るく、まぶしいほどだったが、窓を開けると冷気が食卓のあたりまで入り込んできた。ジヨン氏は肩を震わせて食卓に戻ってくると、こう言った。
「ここんとこ朝の風が冷たいと思ったら、今日は白露だったねえ。黄金色に実った田んぼに、まーっ白な露が、降りただろうよ!」
デヒョン氏は、何だか年寄りくさい妻の話し方を聞いて笑った。
「どうしたんだい、君。お義母さんそっくりだよ」
「そろそろ、薄手のジャンパー一枚持って歩きなさいよぉー、デーヒョンさん。朝晩冷え込むからねえ」
そのときもデヒョン氏は、妻がふざけているんだと思っていた。「歩きなさいよぉー」と念を押すときに右目をちょっとしかめるところも、自分の名前を呼ぶときに「デー」と伸ばすところも、ほんとに義母の癖にそっくりだったから。……
何日か経ってジヨン氏は、自分は去年死んだチャ・スンヨンだと言い出した。チャ・スンヨン氏とは、ジヨン氏にとってはサークルの3年先輩にあたる女性で、デヒョン氏にとっては大学の同期生である。……
「ちょっとぉ。あんたが良いご亭主だってことは、みんな知ってるわよ。だからもうジヨンの名前呼ぶの、やめてよ。まぁったく、もう」
それは酔ったときのスンヨン氏の口癖だった――「まぁったく、もう」。デヒョン氏は頭皮がぞーっとして、髪の毛が全部ぎゅうーっと逆立つような気がした。……いたずらなのかな。酔ったのか。テレビに出てくる憑依現象とか、そんなのだろうか。
「1990年代になっても韓国は、非常に深刻な男女出生比のアンバランスを抱えていた。キム・ジヨン氏が生まれた1982年には女児100人あたり106.8人の男児が生まれていたが、男児の比率がだんだん高くなり、1990年には116.5人となった。自然な出生性比は103~107人とされている」。
「キム・ジヨン氏が〔大学を〕卒業した2005年、ある就職情報サイトで百あまりの企業を対象に調査をした結果、女性採用比率は29.6パーセントだった。……同じ年、大企業50社の人事担当者に行ったアンケートでは、『同じ条件なら男性の志願者を選ぶ』と答えた人が44パーセントで……『女性を選ぶ』と答えた人は一人もいなかった」。
「キム・ジヨン氏が会社を辞めた2014年、大韓民国の既婚女性5人のうち1人が、結婚・妊娠・出産・幼い子どもの育児と教育のために職場を離れた。韓国女性の経済活動は、出産期前後に顕著に低下するものの、20~29歳の女性の63.8パーセントが経済活動に参加し、30~39歳では58パーセントに下落し、40代からまた66.7パーセントに増加する」。
本書の表紙が既にその示唆を与えている、キム・ジヨン氏は実のところ、もとより顔を与えられていない。彼女はあくまで統計や社会情勢を反映した典型的韓国女性として作り出された標本に過ぎない。
この小説において女性たちが体現するのは、ゆりかごから墓場まで、見るも無残なジェンダー・ギャップの現実。その記述は確かにひとつひとつがいかにも痛々しく綴られる。家庭内や学校、それどころかバース・コントロールにおいてすら既にはじまっている、男女間の待遇格差。セクハラやマタハラにも当然のようにさらされる。育児にも目途が立ち再び定職へと就こうにも、一旦降りることを余儀なくされたキャリア・パスの続きなど用意されてはいない。カフェでほんの一息ついているだけで、「ママ虫」とのミソジニー全開の罵倒語を聞かされる。
身につまされる、しかしその傍らではたと思う。この疼きは果たして本書の描写に由来しているのだろうか、と。本書が与えているのは、社会調査的な現実に基づいた最大公約数的な描写、平たく言えばあるあるネタに過ぎない。そして、その手のあるあるネタにいかにもありがちなこと、実際に中身を聞いて回ると、一様に頷いているはずの各人が想像しているシチュエーションは驚くほど共有されていない。本書の読書経験においてもおそらくは同じことが起きている、すなわち、キム・ジヨンというとりあえずのフィギュアに各人が自身や知己を代入することで、はじめて痛みが喚起されているに過ぎないのではなかろうか。
言うなれば、ニュース映像においてナレーションやアナウンスのサブ素材として、街を行く顔も名も持たない通行人Aが漠然と画面を埋めている、あの感じ。
それを象徴するような場面がある。大学時代のデート・シーン。
「校内の映画サークルが主催する無料上映会にもよく行ったが、映画の選択は全面的にキム・ジヨン氏の担当だった。彼はホラー映画もメロドラマも、歴史ドラマも、SFも全部好きだった。映画を見ながらキム・ジヨン氏よりよく笑い、よく泣き、ジヨン氏が男性俳優をすてきだと言うとやきもちを焼き、また、ジヨン氏が気に入った映画を覚えていて、その映画のサウンドトラックをCDに焼いてくれたりした」。
このあともしばらくその描写が続くのだが、このくだりにはひとつとして固有名詞があてがわれることはない。映画も、マンガも、小説も、レストランも――何もかもが抽象的な記号として、キム・ジヨンのキム・ジヨン性を表象することなく通り過ぎていく。職場も学校も親族も、全編通じて何もかもが記号性を超えない。
どうぞ皆さんでご自由に空欄を埋めてください。現代の読者にとっては固有名詞はむしろノイズにしかならず、この仕掛けがかえって各人の恣意的想像をかき立てて、本書をベストセラーへと押し上げたのかもしれない。
しかし私はあえてそれをグロテスクと呼ぶ。女性というステレオタイプのフレームワークに押し込んで、キム・ジヨンに顔を認めようとしない、苦しみに目を向けようとしない、そんな男性社会の再生産を本書は結果的にアシストしていやしないだろうか。
赤の他人のパーソナルな履歴がなぜか自分の記憶とつながることと、投げ出されたささいな種が各人において過去と紐づけられて手前勝手に膨らまされること、実はこの両者は似ても似つかない。なぜならば、語り手と聞き手が何ら通わぬ後者にはいかなる共感も存在しないから。むしろ本書が示すのは、その痛々しさに他ならない。
「キム・ジヨン氏はときどき別人になった。生きている人にもなったし、死んだ人にもなったが、それはどちらもキム・ジヨン氏の身近な女性だった。……ほんとうに完璧に、まるきり、その人になっていたのである」。
いや違う、キム・ジヨン氏は何者にもなれなかったのだ、キム・ジヨンにすら。