茶色の小瓶

 

 日本は経済大国でありながら、ビールについては寡占市場であったためか、あるいはビールの酒税が高くて割高な飲料であるせいか、あまりにも貧しい楽しみ方しか用意されてこなかった。どのメーカーのどれを飲んでもピルスナーもどきの一辺倒な味のものばかりであったので、酵母もへったくれも関係なかったのだ。確かに宣伝では、これが「本物」とか、これが「キレ」とか勝手に言葉を並べているものの、どれも同じといって差し支えないではないか。味の差異ではなく、どんな言葉と宣伝方法で営業をするか、ということのみが重要産業になってしまった。しかも、消費者にビールの知識を正しく伝える努力をするどころか、あえて誤解させてまでも売りつけるという観さえある。こんな日本のビール市場で、いくら自分を「ビール通」だと称したところで空しい限りだ。

 

 ビールの起源は、古代メソポタミア文明、およそ5500年前に遡るという。もっともこれは、何かしらの考古学的史料を通じて確認されているのがそのあたりというに過ぎず、筆者曰く「麦の栽培が始まれば、いつビールができても不思議ではない」。

 麦のでんぷんを水にさらしておきさえすれば、あとは自然のいたずらでアルコール発酵は引き起こされる。殺菌作用のみならず泡立ちや苦みを加えてくれる、他にはほぼ何の使い道もないホップとの幸福なマッチングが発見されるのはもっとずっと後の話、いくらうんちくをこね回そうとも、ビールを支える基本的な醸造技術なんてその程度の代物でしかない。

 しかし粗製乱造可能だからこそ、この人類最悪のドラッグに思いのほか堅実なる合理性の裏打ちがあったことに、本書を通じてしばしば驚かされる。

 基本的に瓶ビールといえば、茶色のガラスに詰められている。この色には酸化その他の変質を防止するという効果がある。そのこと自体には、実験室の薬品の多くが同様の色の瓶で管理されていたことを考えれば、さしたる驚きはない。じゃあ、ハイネケンカールスバーグは? 「茶色の次に有害波長をカットしやすいのは緑色ガラスである」、デザイン性の見地からしてこれも納得できる。だったら、コロナの無色透明は? 実は「このビールに使用するホップは、ホップの有効成分を液体状に抽出したもので、苦味成分が光で分解されにくいように化学加工している」、たかが瓶の色ひとつにも、マーケティング的なアイキャッチを超えた意図が籠められている、これには思わず腰が浮く。

 ミュンヘンの秋の風物詩、オクトーバーフェスト。ここで古来供されてきたのはメルツェン、この名前は専ら3Merzに仕込まれたことに由来する。まだ冷蔵技術が未開拓であった時代にあえて春先に仕込まれるこのビールに腐敗防止のために施された工夫が、大麦をふんだんに用いてアルコール度を高めること、結果として濃厚な味わいが生まれることとなった。

 そんなビールを秋口に街を挙げて飲みまくる。「表向きは『夏までビールが腐敗しなかったことへの感謝のお祭り』ということになっているが、実際には新酒ができる前の『在庫処分』からはじまったといういきさつが真実のようである」。不良在庫の一掃をフェスに仕立ててバッカスを降臨させる、ただでは転ばぬ商売人のしたたかさにここでも舌を巻かされる。

 

 それにしても、ソムリエと同様に、「ビール通」という響きには、どこかしら胡散臭さが漂わずにはいない。

 審査会ともなれば、「鑑定官が香水をつけているとか、鑑定の1時間以内に喫煙をした、などというのはもってのほかである。空腹でも満腹でもいけない。評価の30分前になったら何も食べない。また、前日から、香辛料の強いものは食べないように心がけるべきである」。

 この条件のことごとくをおちょくるかのような居酒屋の席を想像するとき、さぞや鋭敏な味覚や嗅覚をもって鳴らしておられるだろう彼ら大先生のご意見など、どうしてありがたがる必要があるだろう。彼らから頂戴するお墨付きが、スパイスやニンニクをガンガンに利かせた唐揚げを貪りつつビールをあおる一般庶民にとって何の意味があるというのだろう。

 ましてや日本のビール産業の特質として、良く言えばハイエンド、悪く言えば「画一的」で「味での差別化は困難になって」久しい。主要商品といえば、各社横並びにクオリティ・コントロールをかけやすいピルスナー・タイプで、たとえ居酒屋がアサヒ、キリン、サッポロを揃えていたところで、彼らドランカーがブラインド・テイスティングを的中させることなどまったくもってありえない。第二、第三のビールを加えてみても同じこと。「味での差別化ができないということは、それ以外の部分、例えば、容器、宣伝文句、ダイエットなどの機能、そして結局は価格で勝負せざるを得ないのが実情である」。

 実際のところ、日本の食卓で手酌するビールなんてその程度の代物である。ましてや、本書でも示唆されるように、わざわざ割高なジョッキの生を有難がる論拠などひとつとしてない。

 それでも筆者はあえて言う。

「このビールは美味しいですか?」という質問をうける。……私はいつもこのように答えている。「目の前にあるビールが、一番美味しいビールですよ」

 今まさにビールを飲んでいるのに、その場にありもしない異国のビールがもっと美味しいなどと話すのは野暮ではないか。……

 これはビール通としての最低のマナーだと思う。自分で飲む分にはとことん本当に美味しいビールにこだわって探し求めて欲しいが、人前でケチをつけるのだけは慎みたいものだ。

 

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