アリとキリギリス

 

 外へ出て虫と出会うと、まず食べられるか食べられないかを判断し、どう料理したら美味しいかを考えてしまう。すでに美味しいと分かっている虫に出会ったら、なんとしてでも手に入れたい衝動にかられる。たとえば秋にサクラケムシが木の幹を降りてくるのを見たとしよう。こういうときのためにいつも携帯しているチャック付ポリ袋をバッグから取り出すと、次々に獲物を袋に詰め込んでいくことだろう。……

 いまジビエ料理が人気なのは、人工化した食への違和感が根底にあるからだろう。私たちは昆虫を“プチジビエ”と呼んでいる。昆虫は鳥獣ほど大掛かりな道具を使わずに採ることができる。野生を採って食べることによって、眠っていた動物の本能が目覚め、日常では味わえない喜びがもたらされる。……

 自分の手で自分の食べ物を得ることの喜びは代えがたいものがある。それこそが人間の真の営みだ、と考える江戸時代の哲学者がいた。『自然真営道』を著した安藤昌益である。……自分の手で自分の食べ物を収穫することが最も理にかなっており、それこそが自然な人間のすべきことであって、支配者たちの「不耕貪食」が社会を歪めていると考えた。“昆虫食”とは何かを考えるとき、安藤昌益の思想は示唆に富むものがある。

 

 筆者に言わせれば、「ハチの子はウナギ以上にうま味が濃くおいしい」。カミキリムシの幼虫は「クリーミーでほんのり甘く、濃厚な脂のコクとうま味があ」って、さながら「脂ののったトロを思わせる」。サクラケムシはその名の通り、「桜の葉だけを食べて育ったその味は、とても華やかな桜味で」、さらにひときわ絶品なのはその糞を集めて出した茶で、「葉っぱの青臭さは無く、上品な香りがする」。同様に、クリシギゾウムシ通称クリムシは餌にしている栗の味がして、ご飯に合わせてよし、きんとんにしてもよし、「秋になると必ず食べたくなる季節の味なのだ」。あのゴキブリにしても「揚げたてはエビの味がする」、もっともこれはあくまで「森に棲んで朽木を食べている」オオゴキブリのテイスティング・ノート、「家の中に出没する連中と違って臭みがほとんどない」という添え書きを強調しておかねばなるまい。

 

 以下にも、美食のリストは果てしなく続く。タイワンタガメのオスのフェロモンからはラフランスの香りが漂うし、カマキリの卵は茹で卵の黄身を思わせる風味がするし、オオスズメバチの前蛹に至っては一度その醍醐味を知ってしまうともはやフグの白子には戻れないほどの逸品だという。

 昆虫は今でも東南アジアでは広く食されているし、そのことはエスニック食材店にでも足を運べば一目瞭然である。そこらのスーパーで肉や魚がより安価で手に入るというのに陳列されているのだから、故郷の味を求めるニーズは、つまりそれだけのクオリティは間違いなくある。

 栄養面でも極めて優れたパフォーマンスを誇る。「昆虫に含まれるタンパク質は家畜と同程度で平均して約60%と高く、必須アミノ酸のバランスもよい。脂肪もオレイン酸リノール酸リノレン酸など体に良いとされる不飽和脂肪酸を多く含む。ビタミンはチアミンリボフラビン、ビオチンなどB群が豊富。ミネラルはマグネシウム、カルシウム、マンガン、鉄、銅、亜鉛、リンなどを多く含んでいる」。しかも肥育の効率にも秀でている。

 ここまで説得されれば必ずや食べたくなるでしょ、ともいかないのが人間の性である。

 それを単純に愚かな先入観に由来する業と一笑することもできない、というのも、人間に限らず雑食動物には「食物新奇性恐怖」というメカニズムが作動しているためである。要するに食わず嫌いを小難しく言ったにすぎないのだが、現に「食べた経験のないものは、ひょっとすると毒があるかもしれない。ならば食べないに越した事はない」。

 ましてや、明治以降の時代潮流にあって、神より遣わされたこの天災はたちまちにして農業効率性を損ねる「害虫」へと書き換えられた。こうしていつしか「昆虫は農作物被害をもたらすのみならず、伝染病を媒介し、不衛生をイメージする嫌悪の対象となり、食の範疇から完全に除外されるようになっていったのである」。

 誰に何を言われようとも、胃で食べるように(=栄養)、口で食べるように(=味覚)、ヒトは目で食べる、頭で食べる(=知識)生き物なのである。この生理的な抵抗感もヒトのヒトたる所以を見事に体現しているに違いない。

 

 とはいえ、一億総自決を宿命づけられたこの衰退国にあって、「食物新奇性恐怖」を錦の御旗に昆虫食嫌悪を決め込める悠長な時代の終焉はもうそこまで来ているのかもしれない。何はともあれ胃を満たさないことには明日はないという生存本能と、「食べないに越した事はない」という本能がせめぎ合う日がもしかしたら遠からず訪れる。

 万が一、いや十が三くらい、キリギリス未満の知能しか持たない量産型どもによってもたらされる自業自得の地獄のサバイバルが本当に襲来したときのために、「昆虫の生食はおすすめしない」、この注意書きはメンションしておく価値がある。

 

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