分福茶釜

 

 カラマは、2000年代初頭に香港にやってきたタンザニア人の中古車ディーラーである。(中略)

 彼は、時々冗談っぽく「俺はもうジジイだ」としょげてみせるのだが、ふっくらとした丸い体つきに丸顔のカラマは年齢不詳で、私が初めて会った時は49歳だったが、実年齢よりも若く見えることも老けて見えることもある。「カラマにあまりにそっくりだったので」と私がプレゼントした「パンダのTシャツ」を着てカンフーのポーズを決め、「一緒に写真を撮ろうぜ」とはしゃぐ彼の精神年齢はもっと不詳だ。

 だが、カラマは「チョンキンマンションのボス」を自称するとおり、確かに多くの人々に一目置かれる人物であった。彼は、香港とタンザニアの間の草の根のインフォーマルな中古車ビジネスの開拓者であり、15ヶ国以上のアフリカ諸国の中古車ディーラーとネットワークを持っている。タンザニア香港組合の創設者で、現組合長である。香港にはじめてやってくる交易人たちは、先陣の交易人に「困ったことがあったら、チョンキンマンションに行ってカラマを探せ」と教えられるそうだが、事実、カラマのところには毎日のように数多くの後続のタンザニア人たちが相談にやってくる。(中略)スマホのアドレス帳には、タンザニアの上場企業の社長や政府高官からドラッグ・ディーラーや売春婦、元囚人まで多種多様な知人・友人が登録されており、3代にわたって大統領秘書を務めたという大物官僚が訪ねてきても、つい最近まで刑務所に収監されていたという若者が訪ねてきても、カラマはふだんの飄々とした態度をまったく変えることなく接する。(中略)

 中国語はもちろん英語もあやしい、確たるビジネススキルもない、思いつきのように香港・中国本土の交易に乗り出すアフリカ人たち。彼らにはビジネスで成功できるか否かはともかく、とりあえず生きていける仕組みがあった。香港のアフリカ系住民たちのインフォーマル経済は、想像以上に「今っぽい」ものだった。SNSを駆使した商品オークション、インフォーマルな送金システム、クラウドファンディング、社会活動と連動するシェアリング経済……。と同時に、チョンキンマンションのボスと彼の仲間たちは、経済の根源的な姿を赤裸々に私たちに見せつける。

 生きることと経済が乖離しているような、巨大な虚構の世界の仕組みに活かされているような先進国の私たち。「今っぽさ」と根源的な経済の論理が人類史的に交錯する。彼らの生き様は未来の人類釈迦のあり方を模索する人たち、シェアやつながり、シンギュラリティやベーシックインカムに関心を寄せる日本人にも関心を持ってもらえるだろう。「誰も信用しない」ことを掟とする世界で、誰にでも開かれた互酬性を基盤にしたビジネスモデルと生活保障の仕組みを同時に構築する彼ら。絆の強調、自由の強調、他者への配慮と他者と関わることの面倒くささ、様々な局面で袋小路に入ってしまった日本。このエッセイによって、香港で生きるタンザニア人の生き様と彼らの織り成す経済のしくみを読み解いていくことで、私たちの未来を考えるヒントを提供できたら幸いである。

 

 2016年のできごと、香港を訪れていたひとりのタンザニア人が突然に客死する。同胞のコミュニティは誰ひとりとして彼との間に面識を持たなかった。それでも「ボス」ことカラマのもとに大使館からの協力要請が届き、果たして彼はその遺体をひとまず引き取る。本国の家族に連絡がつきはしたものの、輸送コストを負担する財力は到底ないという。

 そこでカラマはどうしたか? 広く組合に寄付を呼びかけた。タンザニアにルーツを持つという以上に何のコネクトがあるでもない故人のために金が募られ、やがて無事本国へと搬送された。

 長年にわたって自らが関わってきた人物の死に際して、何かしらの手向けを供えずにはいられない。ギヴ・アンド・テイクの原則からして、こうした行動に移るのは分からないでもない。しかし、この場合の故人が何かしらの得を持ち込んできたとも思えない、筆者は惑わずにはいられない。「互酬性を基盤に組合が運営されていると仮定した場合、組合活動に貢献しない者をも支援する理由は何だろうか?」

 観察から導き出された結論は、ある面でとてもシンプルなものだった。

「カラマたちと暮らしていると、組合活動への実質的な貢献度や、特定の困難や窮地に陥ることになった『原因』をほとんど問わず、たまたまその時に香港にいた他者が陥った状況(結果)だけに応答して、可能な範囲で支援する」。

「いまここ」で故人に支援が必要だったから、「いまここ」でできる限りの支援をした。タンザニア人であるという限りなく緩く淡いメンバーシップを満たしてさえいれば、「いまここ」で必要な手を差し伸べる。

 別に彼らが義に篤いというわけでもない。彼らはしばしば口にする、「誰も信用しない」と。事実、本書でもこのメンバーシップにただ乗りしていく輩は数多登場する。カラマ自身が営んでいるビジネスにしても、現代日本の商慣習に照らしてその信義則の水準を満たすものとも見えない。それでもなお、彼らは「いまここ」でできる施しをやめようとはしない。情けは人の為ならず。おそらくは経験主義的に世代を重ねてインストールされたこのセーフティ・ネットが、時に一握りのならず者による裏切りに傷つけられることがあったとしても、巡り巡ってやがて訪れるかもしれない「いまここ」の己が窮地を助けるものであることを知っているのだ。

 誰かを信用することはしない、金もモノも信用しない、ただしシステムは信用する。

 このアプローチ、一周して二周して、IoTやシェアリング・エコノミーに確かに似ている。

 

 かつてタンザニア本国で、日々周囲から金をたかられることに辟易とした筆者はとある大胆な呼びかけを試みる。

「私が持ってきたお金は、これで全部よ。嘘だと思うなら、いくらでも荷物を調べて。いまからこのお金をみんなに分配するから、それぞれが抱えている直近の問題を解決したら、もう二度と私にお金をねだらないでほしい。それから私は、これから5ヶ月間は何が何でも日本に帰国できない。その間の私の面倒はあなたたちがみると約束してよね」。

 そしてその通り、筆者はそれからの5カ月を「ねだる側」に回って暮らした。

「隣人のシティ・バスのコンダクターたちは、私を『メンバー』と呼んで毎日、無料でバスに乗せてくれた。私が『調査のために○○に行きたい』と言えば、彼らはそのつど、私が行きたい街に向かうトラックの運転手を探してきて『この子を乗せていってくれ』と頼んでくれた。古着の露天商たちは、『どうせ古着だから』と私に商品を貸してくれたので、私は数多くの露店をクローゼットのように使っていた。幸いに私の仲間たちの大半は商人だったので、食べ物からサンダルまで様々な『売れ残りの商品』をもらうことができた。そのうちのいくつかは転売して金銭に換えたり、他の誰かに欲しいものと交換してもらったりした。儲かった日には仲間たちと酒を飲み、儲からなかった日は水をたくさん飲んだり、歯が欠けそうな硬さの焼きとうもろこしを食べて空腹をごまかした。治療費のかかる近代病院ではなく、親切な近所の伝統医にみてもらうようにした。行商を手伝って稼いだ金もその場で仲間たちに分配した。実際、困ったことなんてほとんどなかった」。

 もちろん、このあり方こそが人間の理想郷だなどと空理空論で称揚しようとは思わない。「いまここ」と言えば聞こえはいいが、つまりは計画性の欠如の裏返しでしかなくて、そんな危うい綱渡りが工業化を一度知ってしまった社会になじむはずもない。それは明日なき経済を生きるタンザニアGDPを見てみれば、一目瞭然のことである。

 しかし、私たちはとうに先進国の座を降りて、衰退国のナイアガラを日々邁進し続けている。ただ過去と未来を食いつぶしただけの失われた30年も単に使い込み可能なリソースの払底を理由に間もなく終わり、購買力も生産力も何もなく、否応なしに遠からず「いまここ」しかない日常、核爆弾の一閃にすら値しない焼け野原を余儀なくされる。

 量産型のモブキャラどもが辛うじて信じることができるものといえば金、そしてその金さえもが木の葉と化けて消えたとき、狸の宴のその後で、果たして何にすがることができるだろう。それでもなおChatGPTの御託宣にでも涙ぐましく命を乞うか。あとはせいぜい信用スコアにしがみつくか。

「私があなたを助ければ、だれかが私を助けてくれる」。

 サルは決して「あなた」になれない。サルは決して「だれか」になれない。

 

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