全日本女子プロレスほど選手たちが命懸けで戦っていたプロレス団体は、世界中探してもどこにもない。年間試合数は250を超え、少女たちは狭いバスの中で四六時中顔をつきあわせていたために、常に大きなストレスを抱えていた。陰湿ないじめがあり、告げ口があり、仲間はずしがあった。指導という名の暴力が日常的に存在し、憎しみや嫉妬はリングの上で全面的に解放された。若手は独自の押さえ込みルールによる真剣勝負を戦い、後輩に負けると絶望して去った。骨折はケガのうちに入らず、首の骨を折る重傷を負ってさえ、恐れることなく試合に出たいと直訴した。……
しかし、「なぜ少女たちはクラッシュをあれほどまでに深く愛したのか」「クラッシュが輝いた1980年代は、少女たちにとってどのような時代だったのか」ということに関しては、実のところ私にはよくわかっていなかった。……
プロレスは観客なくしては成立しない。テレビの前でクラッシュの活躍に胸をときめかせ、ダンプ松本の反則攻撃に涙を流した80年代の少女の視点が、本書にはどうしても必要だった。……
やる側も異常なら、見る側も異常である。かつて日本には熱い季節が存在したのだ。
passionという単語には、日本語でただちに紐づけられる情熱とは別に、受難という語意が存在する。そもそもの語源をたどればギリシア語pathos、まさしく苦悩、苦痛、シンパシーsympathyを抱くとは、つまりともに苦しむことをいう。
パッション・プレイとは熱演ではなく、ゴルゴダの丘における十字架の悲劇を指す。歴史のなかのナザレのイエスはこの出来事をもって、万人の罪を背負う無辜の神の子というストーリーを獲得して、救い主キリストへと変身を遂げる。
1980年代の日本に、このパッション・プレイが寸分たがわず日々再生されていた場所がある。
巡礼者の引き切らぬその聖地とはすなわち、全日本女子プロレスのリングだった。
その女は父親から「男として育て」られた。「洋服も靴も鞄も青いものばかり。おもちゃはミニカーであり怪獣であった」。彼女は幼くしてアイデンティティに煩悶する。「父親からは強い男の子であることを、〔水商売を営む〕母親からは可愛い女の子であることを求められて、……人格は必然的に引き裂かれていく」。
やがて彼女は両親がビジネスに頓挫したことで親戚をたらい回しにされるようになる。唯一の心の支えが女子プロレスだった。テレビ越しのその世界では「『女であること』『強いこと』『かっこいいこと』」が三位一体を奏でていた。
中学生の彼女の「腕にはカッターナイフで彫られた『女子プロレス』の文字があった」。
どのみち孤独の痛みから解放されることはない。彼女にしてみれば、自傷を他害による流血へと変換するだけだった。
「居場所のない人間は、どこかに自分の居場所を作らなくてはなりません」。
彼女はリングに「居場所」を見つけた。なぜならば、それを取り囲む少女たちも同様に、「居場所のない人間」だったから。舞台の上と下が「本物の痛み、本物の血」をもってひとつに結ばれるその刹那、カタルシスがほとばしる。見る‐見られる、その視点が反転し、互いが互いにもうひとりの自分をそこに見る。
「試合を通して観客に自分の感情と痛みを伝え、はっきりとした起承転結の物語を提示し、観客に次の展開を予測させた上で『この選手の次の試合を見て見たい』と思わせること。それこそがプロレスラーの技量なのだ」。この定義に敷衍すれば、その女、長与千種にとって、プロレスラーこそが天職だった。
対して彼女の相棒、ライオネス飛鳥には自負があった、「自分はプロレスラーであり、しかも長与千種よりも遥かに強いプロレスラーだ」と。「エリート中のエリート」として門を叩いたそのときから将来を嘱望され、実際にその身体能力とスキルをもって台頭するにそう時間を要しなかった。
しかし彼女はどこまでも「強いだけで退屈なレスラー」だった。「恐ろしく強いライオネス飛鳥には、感情と痛みと物語を観客に伝える力、すなわち表現力が不足していたのだ」。ゆえにクラッシュ・ギャルズとしても、彼女は力量においてははるか劣るパートナーの後塵を拝し続けた。「冷静に見て人気は3対7。いや2対8かもしれない」。
物語しかない女と物語だけがない女、足りないふたりがコンビを組む。あるいはそこに、最高のシスターフッド補完関係を成立させることもできたのかもしれない。
「『試合に負けることは快感だ』と千種は言う。/負ければ、観客の視線を独占することができるからだ」。
しかし飛鳥にはこの原理が理解できなかった。彼女は延々と試合に勝って勝負に負けるを繰り返し、嫉妬と猜疑と不信の中で、そうしてやがて自らに負けた。
両国国技館でメイン・イベンターの飛鳥がガウンを脱ぎ捨てた瞬間、「観客席から悲鳴にも似た異様な喚声が起こった。そこには黒一色の水着があったからだ」。それは不眠と焦燥で青ざめた彼女が自分自身にまとわせた喪服だった。
「飛鳥はウォークマンのヘッドホンを耳から外さなくなった。ボリュームはゼロ。音楽を聴きたいわけではなかった。ただ誰の言うことも聞きたくなかっただけだ」。
何もかもから耳を塞いでいたかった。千種へと送られる声援、つまり自らを噛ませ犬の無力感へと叩きつける声なんて聞きたくなかった。ましてや千種が吐き捨てた「お前、死神に取り憑かれたね」の言葉なんて。
「初めに言があった」(ヨハネによる福音書1:1)、そして「プロレスは言葉だ」った。
イエスのパッション・プレイは死をもって、そして新たに与えられる永遠の命という物語をもってあっさりと幕を引く。
しかし、一度は袂を分かつた彼女たちのパッション・プレイには、1985年の絶頂の後にもまだ続きが残されていた。
つまり、飛鳥もまた、「プロレスは技術じゃない。言葉なんだ」ということを遅まきながらに気づく。残酷な言い換えを用いれば、飛鳥はもうひとりの千種としての道を歩みはじめる。
もっともそれは縮小再生産を図ることしかできない女子プロレスの行く末を暗示していた。繰り出される技はますます高度化、過激化を極めていきこそしたが、受け身の美学を逸脱したそのインフレーションは「プロレスが勝利を目指すスポーツではなく、様式美を追求する一種の演劇である」という本質を書き換えるには遠く至らなかった。
そうして2005年には、長与が立ち上げたGAEA JAPANと全日本女子プロレスが相次いで最期を迎える。「“1985年のクラッシュ・ギャルズ”から、すでに20年が経過していた。にもかかわらず、GAEA JAPANはクラッシュと共に散り、全日本女子プロレスはダンプ松本とジャガー横田と共に終わった。/誰も気づかないうちに、女子プロレスの時は止まっていた」。
傍から見れば、それは衰退曲線の中で単に失われた20年である。しかし、それでもなお、時計の針は回り続けた、彼女たちの肉体を傷つけながら、あたかもそれはこれからも更新され続けるこの国の失われた30+α年を先取りするかのように。
フィクションの中で死という名の安直な現実逃避を宣告することはあまりにたやすい、しかし悲しいかな、世界はこれからも続いてしまう、かつて千種に少女たちが見出した、あるいはそれ以上かもしれない痛みを伴いながら。
そこでもまた、198x年のリングはリプレイされる。希望もない、夢もない、未来もない、フェイクの繫栄の後の瓦礫の焼け跡で、そこが生き地獄だと知るからこそ、日々の痛みを分かち合える誰かを必ず欲しくなる、生贄によるパッション・プレイが欲しくなる。束の間の「居場所」を幻視させるカリスマとともにアヘンで散らしリザレクションして、クソ過ぎる日々に立ち向かう。