なんてったってアイドル

 

 1929年ともなると、彼女[エレーヌ・ドラングル]が受けた賛辞は、セクシーな魅力、観客との絆、そして美しい体についてのみだった。1920年代後半に撮影された一枚の写真では、彼女は裸で白い鳩とともに踊っていて、キャバレーでの舞台と思われる。写真の彼女は魅力的ではあるけれども、特に舞台での輝かしい未来が目前に開けているようには見えない。

 だがそこには、もう一つの道が開けていた。エレーヌは20歳の頃から車が好きだった。そして、負けず嫌いのドライバーであり、まれに見る運転技術を身につけていた。そして幸運なことに、劇場を取り囲む世界は、自動車業界と密接につながっていた。自動車会社は商品の宣伝媒体となるグラマラスな魅力を必要としていたのだ。一方、スターたちにとっての自動車は彼らの容姿を引き立てる完璧なアクセサリーとして存在していた。エレ・ニース[エレーヌの芸名]にはその素晴らしい笑顔に憶えやすい名前、そして宣伝の才能と、スポンサーを引きつける要素があった。しかしそれには、まず彼女自身を証明してみせなければならない。そして、彼女は驚くべき舞台でそれをやってのけることになる。それはアクターズ選手権として知られているイベントでのことであった。

 

 伝記の素材としては超一級品と言っていい。これほどまでに切り口に事欠かないキャラクターはそうそう見つかるものではない。

 まさに裸一貫からのし上がるサクセス・ストーリーというだけで掴みとしては十分な迫力がある。栄光と転落の鮮やかな軌跡はあまりにあまりに劇的で、エミール・ゾラ『ナナ』にさえ決して劣るものではない。ヌードダンサーにドライバーと、男性圧倒優位の世界に乗り込んで自らの道を切り拓いた女性をめぐるジェンダー論として展開することも可能だっただろう。数多の男と浮き世を流し、そして決して満たされることのない肖像として、メロドラマ仕立てに広げることもできただろう。華やかなスポットライトの裏で家族との間に抱えた不和というのも、いかにもその生涯に陰影を与えずにはいないだろう。安全性という概念を欠いた世界線の中で観客も運転者もバタバタと死亡事故に巻き込まれていくは、いかにも怪しい山師が次々に登場するは、とモータースポーツ興行の裏面史をクローズアップすることもできただろう。戦後は一変、ナチスのシンパとの疑惑を立てられたことから下り坂を急滑降、時代に翻弄されたヒロインとして描き出すこともたやすかっただろう。

 本書を読む限り、誰がどう考えても、ここに至るまでにドキュメンタリーやモデル小説の素材として垂涎の的になってこなかった方が不可思議なほどの特選素材なのである。

 にもかかわらず、このテキストはさしたる先行文献を持たなかった。それゆえに、これほどまでにドラマティックな人物でありながら証言記録が実に乏しい。改めて取材を試みようとも、いかんせん1900年生まれで戦前にピークを迎えた人物である、筆者による発掘の段階でとうにタイム・リミットを過ぎていた。仮に立体感を与えようとすれば、もはやノンフィクションを逸脱した脚色に頼る他なかっただろう、ゆえに結果として箇条書きにも似た筆致に終始することを余儀なくされた。

 そうして出来上がったこのどこか空疎な文体こそが、彼女の人生がいかにわびしいものであったのかを無二の仕方で暗示する。これほどのエポック・メイキングなセレブリティを世間はとことん見放した、その薄情ぶりが本書の淡白さにたまらなく結実せずにいない。

 無視されることの不幸、無視されることの幸福。

 面白おかしく消費することしかできない、そんな空騒ぎにさらされずに済んだことはむしろ、彼女にとってはいくばくかの救いになったのだろうか。

 

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