太陽を盗んだ女

 

 朴秀実、岩隈真子、矢口美流紅は、「偏差値低めの田舎の」工業高校機械科の同級生、30人編成のクラスの中でたった3人きりの女子。その歪な男女比にあっても、シスターフッドの匂いは皆無。「朴は岩隈をとくに久しくは思っていない。べつだん話が合うわけではないし。ただ、こういうときに会話を交わせるクラスメイトが他にいないから、孤立を回避するために彼女のそばに寄っているにすぎない。彼女たちはふたりとも、英語や体育、および実習授業などのペアワークを乗り切るための救済措置としてお互いを認識している」。そしてもうひとつ、あえてふたりを近づけるものがあるとすれば、矢口の存在。彼女は「陸上部の優秀な選手であり、なおかつ学業成績もまた最上位/……教師受けもそこそこよく、あまつさえあの女、足も速い……的確な立ち回りをもって男社会にうまく溶け込むことができている」。敵の敵は味方、そんな凝集力をもたらすセンターだった。もっともそれとて矢口が「現状を受け入れることが良きこととされる」その村をいなしてやり過ごすための仮の姿でしかなかったことをふたりが知るのは、もう少しあとの話。

 地域も終わっていれば、家族すらも終わっている、はじまってすらいない彼女たちには、ただしそれぞれにこの現実を抜け出すためのささやかな希望の糧があった。朴においてはヒップホップ、岩隈にとってはマンガと小説、矢口の場合は映画。「大島弓子的世界観からいちばん遠いところにあるこの高校」が体現する文化的資本格差そのままに、本来ならば遭遇する機会すらないはずのコンテンツを一度知ってしまった彼女たちに必要なのは何よりも、金だった。

「誰しも、自由になるためには金がいるんだ。誰も傷つけずに、なにも失わずに、世の中を出し抜くための手段」、それも「生中出しで7万」ではない、そんなたったひとつの冴えたやりかたを朴はひょんなことから手に入れる。大麻の栽培だった。

 園芸部の廃部をもって校舎の屋上に取り残されたビニールハウスで種から育てて売り捌く、そのシンジケートとして新たに園芸同好会を立ち上げるべく必要なメンバーの最少数は奇しくも3。それが彼女たちの解放された世界へのよすがだった。

 

 地獄だな、ととあるシーンにため息をつく。

「『ABCマート』でコンバースのスニーカーを、『ZARA』でスリムフィットのデニムを、『ウィゴー』でタイダイ染めのTシャツを、『ニコアンド』で薄手のカーディガンを、『ザ・ショップTK』でベルトとループタイを、『ムラサキスポーツ』でディッキーズのキャップ/……『ジンズ』で透明なフレームの眼鏡を買った」。

 立ち眩みすら覚えるほどに凡庸な組み合わせをコーディネートしてみせる筆者の非凡に打たれる。というか、ウェブサイトを参照する限り、TKだけは既に店をたたんでいるらしいが、他はそのいずれもが「この地域に住む中高生にとって……遊び場であり、デートスポットであり、唯一無二のライフライン」である場所に実在している。あるものをあるがままに切り抜きさえすればそこにディストピアが映し出される、紛れもない自然主義表現がそこにある。

 物語の舞台はいじみくもあの茨城県東海村である。あの原発東海村、あの臨界事故の東海村、である。

 原子力は光輝く未来を謳ったはずだった。流れ込む各種交付金補助金は村民を豊かにしてくれるはずだった。膨大なエネルギーが新たなる産業を呼び込んでくれるはずだった。しかし現実には村は依然として村のままで、彼らの手が届くちょっとしたラグジュアリーでさえも、イオンモールで調達できる何かを超えない。日々の衣食住もイオンモールならば、ハレの日すらもイオンモール、数十年ローンの終の棲家すらもイオンモールへのアクセシビリティで決まる。かつて駅が担ったそれらのロールはすべてイオンモールへと順当に移管された。イオンモールというポンプを経由して金はエリア外へと汲み出されていくのだから、街は必然干からびていく、それでも彼らにはイオンモールしか見えない。吸い取るものがなくなればイオンモールは撤退する、そんな現実は彼らには見えない。

 資源が潤沢なはずの貧困国がなぜに発展の途上にすら入っていくことができないのか、その原因はまさに資源が潤沢であることにこそ由来する。限られたパイの分配をめぐる汚職と腐敗のネポティズムに誰しもが目をふさぎ、パイを拡張するためのフェアな戦略リソースを選択するよりも椅子取りゲームのゆがんだルールを波風立てずに受け入れることを現実主義と信じてやまない。東海村という衰退国の縮図において、全く同じロジックが駆動する。資源がそれ以上の何かを生まないゼロ成長社会の中で、和を以て貴しとなして、やがて茹でガエルはみすぼらしく煮上がっていく。

 そして彼らには、面白いことなどひとつとして起きない現実を忘れるための依存の対象だけが残される。例えばソシャゲ、例えばポルノ、例えば炎上、そして例えば薬物が。

 

 そんな現実に正面から立ち向かわなくていい、立ち向かったところで彼らはそこにドン・キホーテしか見ない、「闘う君の唄を/闘わない奴等が笑うだろう」。

 マンガを読めばいい、映画を見ればいい、ラップに怒りを籠めればいい。

 逃げではない。今ここならざる場所としての虚構こそが、虚構だけが、今ここにあるクズのクズによるクズのための現実と闘うための翼を授ける。

 その翼の名をことばという。その翼の名を想像という。

 

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