私の生活の中に安部公房が登場してくるのは、「安部公房ゼミナール」を選択した〔桐朋学園大学〕専攻科2年目、4年生になったころからだ。それまでは、週に1回の土曜講座で話す安部公房の授業を夢中になって聴く、ひとりの学生に過ぎなかった。それまでの試演会で、安部作品に配役されない自分に劣等感さえ持っていた。憧れている現代劇に、私は向いていないのかと思い悩み、ゼミナールの選択も躊躇し、友人に相談するほどだった。……
未熟な私のどこに、安部公房は引きつけられたのだろう。初めての恋人との別れで、激しい恋愛感情の酔いは2、3年で冷めると同期の友人から教えられていたし、まだ燃え尽きていないとしても、いずれ安部公房の情熱も冷めるのだろうと、冷静に分析する自分もいた。それまで安部公房から得られるものは、貪欲に吸収したい! 自身のキャリアも高めたいというのが、当時の私の思いだった。……
ある時、熱海でドナルド・キーンや永井道雄との会合に行く前、小田原までのドライブに同乗して小田原駅で降ろされた。急行電車で新宿へ帰る車内で、無性に心細くなった。これでは幼児期の体験と同じだ。不安と罪悪感に苛まれた、安部公房に子供の時からの秘密を告白したのは、このあとだったと思う。強く抱きしめてくれた。そんな生半可な気持ちではないと、はっきり表明してくれたように記憶する。全幅の信頼でついていこうと思いだした。
安部がかつて『箱男』のコンセプトを筆者に明かしたことがあった。
「上野駅の警察官の詰め所で、見聞きした浮浪者の話だ。警官はチョークで3メートルくらいの円を描き、真ん中に浮浪者を立たせた。円の周囲にそって水を撒き、警官は一歩たりとも円の中に入らなかったという。ノミやシラミ除けのつもりのようだった。ブレヒトの『コーカサスの白墨の輪』そっくりの光景だったそうだ。この些細な光景が小説への導火線のひとつになった」。
それは作品体系に限らない、「安部公房の好みには、ある傾向があるのに気づく。ちいさい世界で完結するものどもだ」。いつしか「ちいさい世界」に囲われるようになった筆者だからこそ、明快にその作家性が見えてくる。
舞台劇「ガイドブック」の設定は、「ひとりの女が住む出口も窓もない部屋に、突然、一組の男女が飛び込んでくる。何故ここに現れたのか誰にも判らない。ふたりは外の世界に戻ろうと、必死に出口を探す。電動ドリルで壁に穴をあけて、外を覗くと奇怪な風景が見える。そのうち壁の穴は自然に再生して、塞がってしまう。
部屋の住人の女は『この部屋には、欲しいものは何でもある。出ていく必要はない』と言い張る。ふたりは外の世界が、どんなに素晴らしいかを住人に必死に説明する」。
モチーフは限りなく『砂の女』と同じ、しかしおそらくは当て書きされたに違いない筆者にとっては、このプロットは別の意味を帯びずにはいない。
彼が筆者に欲していたのは、「役柄だけでなく現実までが、安部公房本人にとってだけ大きな意味を持った『存在しない私』」だった。
永遠のノーベル文学賞候補の作品を読み解くための補助線として本書を開く、それはすぐれてオーソドックスなアプローチだろう。不倫というものをめぐる葛藤を描き出した私小説として本書をめくるのも、至って順当な解釈だろう。
しかし、このテキストに現れるすべての出来事の通奏低音をなすような、ある衝撃的なエピソードが紹介される。この「子供の時からの秘密」は、明らかにテキストの光景の何もかもの意味を一変させる。
「最初に若い住み込み店員に悪戯されたのは、この店[家業の書店]だった。その青年が土間に射精するのを見た。でも何故か怖いとは思わなかった。両親に訴えたりもしなかった。悪いことだと直感的に判っていたが、幼児の私は、気持ちがよいとまでは感じなかったと思うけれど、嫌ではなかったのだ。そうでなかったら、閉店した日曜日に、何度も出かけたりしただろうか。……私はこの秘密を背負い込んで『悪いことをする自分は、普通ではないのかもしれない』という漠とした不安を、ずっと抱え続ける。将来も結婚できないのだろうと自分に言い聞かせた」。
あるとき、はじめて筆者はこの古傷を打ち明ける。相手は当然、安部だった。それに対して彼が「何と言ったか正確な記憶はないが、それまで抱えていた漠とした自己嫌悪や不安が氷解していった。重い石が取り払われ、溶けて、身体が洗われていくように感じた」。
この個人的な体験は、安部との関係性の書き換えを読者に促さずにはいない。性的虐待の被害者が往々にしてみてしまうというある種の依存関係やグルーミングを、この秘められた情事にトレースさせずにはやはり済ませられないのである。
テキストの何気ない記述のひとつひとつに「秘密」が影を落とす。
「我が家の流儀は、すべてが事後報告だ。渦中にあるうちは弱音を吐かず、ひとりで歯を食いしばって対処する。笑って話せるようになってから初めて言葉にする」。
「どうあがいても世の中、自分ではどうにもならないこともあるんだよね」。
母と安部の「両方を一遍に奪われたあと、自分のために生きる習性を身につけていなかったことに思い至る」。
安部が筆者に与えた「ちいさな世界」は、たとえ束の間でも、「外の世界」を塞いでくれた。あるいは傍から見れば単に、閉じ込めた、ともいう。それを言い換えれば、共依存ともいう。
「この部屋には、欲しいものは何でもある。出ていく必要はない」。
それをある人は愛という、それをある人は支配という。
別のエッセイの執筆をもってパターナリズムの呪縛から解き放たれるまでに、筆者の自認に従えば、少なくとも13年の時を要した。同棲した部屋を占拠しただろうキングベッドを片づける決心には、実に20年を待たねばならなかった。「20年間、黙って背負い続けてきた肩の荷を下ろしてもいいかな」、そうして本書ははじめて綴られた。
「いつまでも過去の亡霊に取りつかれていないで、自分の人生を取り戻しなさいと、ある人」に言われて、そうして時が流れはじめる。