「いのちは続いてゆく」

 

 アフリカ大陸の中央に位置する小国、ルワンダ。そこに住む人びとは、1990年から2000年までの約10年間にわたり、虐殺、殺戮、難民化といった幾多の惨事を体験した。とくに、1994年に起きたジェノサイド(虐殺)では、わずか100日間に50万から100万ともいわれる人びとが犠牲となり、20世紀における重大な人道問題のひとつとして世界的に注目を集めた。

 本書は、ルワンダを舞台に、1990年代の内戦と虐殺、殺戮から人びとがどのようにして回復してきたのかをつぶさに描いた民族誌である。その中心となるのは、政府から抑圧され、国際支援の枠組みからもこぼれ落ちてしまった、地方の農村の農民たちである。権力を握る存在によって沈黙させられ、ほとんど顧みられることのない人びとに光を当て、彼らと同じ目線に立って世界を眺め、彼らの生きてきた体験と記憶を丁寧に描き出した。本書は、強大な権力を持ちえない農村の人びとが、日々の暮らしのなかから絶え間なく紡ぎだし、そして築き上げてゆく平和への道筋を丹念にたどっている。歴史に名を残すことのない人びとによる小さな日々の積み重ねと、その偉大さを伝えようとする民族誌である。

 

 筆者が活動の拠点とするのは、ルワンダ北西部の農村、ムサンゼ。

『ホテル・ルワンダ』によってつとに知られる、1994年の「虐殺」もさることながら、このエリアを襲った最たる壮絶な地獄は、1997年の「アバチェンゲジ紛争」において経験される。

 その被害の甚大さを示す数字がある。ヒアリングの対象となったインタビュイー40名のうち37名が、この紛争によって、重複はあるだろうにせよ、平均5名ほどの親族を失っている。辛うじて九死に一生を得たとはいえ、やはり37名は自身の命の危険を味わったと語り、少なくとも3名の女性が兵士によるレイプの被害に遭った、と証言する。

 現政府軍RPFと反政府武装勢力アバチェンゲジによる板挟みがいかに苛烈なものであったか、をとある住民が端的に論じている。

「夜になると両方の兵士たちが村の家の中に押し入ってきて、『金を出せ』『物を出せ』と言うんだ。出せるものが何もないと、その家族は殺された。[……]その夜殺されなかったとしても、次の日の朝、また兵士がやってきて、それがRPFなら『なぜお前たちは昨晩、死ななかったんだ? さてはアバチェンゲジの味方だな? だからまだ生きているんだろう? 俺たちが殺してやる』、そう言われて殺された。もしそれがアバチェンゲジなら、『なぜまだ生きているんだ? さてはRPF側だな? ならばお前たちを殺さなくてはならない』、そう言われて殺された。フトゥだろうがトゥチだろうが関係なく、生きている者はみんな殺されたんだ」。

 RPFにしてみれば、目の前の一市民が今ここに存在しているという事態がアバチェンゲジのスパイであるというその動かぬ証拠となる。そしてアバチェンゲジにしてみれば、彼/彼女が今ここに存在しているという事態がRPFの密通者であるというその動かぬ証拠となる。

 生きていた、ゆえに彼らは殺された。

 

 ジョルジョ・アガンベンの「ホモ・サケル」すらも突き抜けたこの極限は、しかし生存者たちにとって「語りえぬもの」だった。

 もっともそれは、フラッシュ・バックなどが強烈に過ぎて言語を絶してしまうがゆえの現象では必ずしもない。端的に、ルワンダでは政府によって語ることを禁じられているのである。1994年のジェノサイドは、フトゥによって抑圧されるトゥチの正当性を明らかにする出来事として、大本営正史に則る限りにおいては語り慈しむことがむしろ奨励されているというのに、ことこの「紛争」に関しては「『近所の人たちを追悼したい』なんて言おうものなら、刑務所行きだ」。

 

 ところで、トラウマや依存症からの回復過程において、すなわち「語りえぬもの」を語ることをめぐって、セラピーの世界でしばしば用いられる手法がある。アノニマス=匿名という仕方で、一応の診断名を除けば、背景や属性を異にする人々が集って、各々の体験をディスカッションではなくモノローグしていく。履歴などそれぞれにバラバラのはずなのに、どうにも通い合ってしまう心象風景がある。当事者にしか見えない、その外側からは窺い知ることのできない何かを分かち合うことが彼らにとっての安全基地を提供し、過去から解放されるための翼となる。

 このアプローチをそのままムサンゼの地に適用しようとして、そしてしばしば欧米人は失敗をしでかす。結局のところ、その最大の要因は彼らの持つ世界観に由来する。

 調査に携わった現地人のアシスタントは語る。

「私にとって心の回復とは、過去のことを考えず、未来を見ると決めることです。[……]過去は忘れるようにして、代わりに未来について考えるようにすることなんです」。

 このフレーズは、一見いかにも現代流の量産型歴史修正主義者たちが好みそうな響きを孕む。いつまでも失敗に囚われるのではなく明るい希望の話をしよう、といかにも耳ざわりよく、見たいものだけを見る、見たくないものは見ない、そうして自らの幼稚さを正当化する、あのどうしようもない。

 しかし当然「未来を見る」とは、ことルワンダのコミュニティについてそのような含意を帯びない。

 彼らは口を揃えて言う、「いのちは続いてゆく」と。「ここでいう『いのち』は、必ずしもひとりの人間のいのちだけを指していないのだ。ルワンダの人びとにとって『いのち』とは、世代を超えて手渡されてゆくものである。前の世代から受け取ったいのちを自分が生き、そして次の世代へと渡す」。

 彼らにとっての「心の回復」とは、アノニマスの集会のようなクローズドな部屋の一室ではなく、日々の「いのち」の中にこそあった。

 

 その実践例が、「ウムガンダ」にある。このことばは「ルワンダの地域社会で広く実践されている共同奉仕作業であり、多くの場合、社会経済的に弱い立場にある者を助けるための共同農作業を指す」。

 ある日、一団で老女ニラカゴレのもとを訪ねる。現地では超高齢の76歳、当人は病に伏して数年になる。ひとり娘のニレレと同居してはいるが、嫁ぎ先でのいじめの末か、「頭の病気」を発症して実家へと戻る。孫娘もまだまだ幼い。そんな家族を畑に連れ出しての「ウムガンダ」、作業の傍ら、思い出話に花が咲く。

「ニラカゴレは、この女性たちの親の世代にあたる。彼女たちの目からみるお婆は、自分たちが少女だったころにちょうど働き盛りで、畑の耕し方や農作物の育て方を教えてくれた人生の先輩であり、働く女性のモデル・ウーマンでもあった。年老いて病に伏すいまとなっては、逆に自分たちの助けを必要とするようになってしまったが、女性たちにとってニラカゴレを助けるとは、自分たちがお婆から受け取ってきた恩恵のお返しなのである」。

 おそらくかつて、ニラカゴレも「ウムガンダ」で上の世代を支えた経験をしている。支えた者がやがて支えられる者へと回る、そうして「いのちは続いてゆく」。

 彼女にしても無論、紛争の当事者である。義理の息子もRPFによって奪われた。「語りえぬもの」を内に秘める彼女をめぐって、しかし囲む者たちは語らずともそれを知っている。「語りえぬもの」を語るまでもなく、互いに同じ経験をくぐり抜けている。そしてしばしばことばを超えて、「あの子らがそうやって助けてくれるたびに、気持ちが楽になる。楽になるんじゃ」。

 

 本書に描かれる光景は、決して内戦によって覚醒した「災害ユートピア」のそれではない。

 彼女たちは連綿と「いのち」をつないできた。

 ところが、これだけの篤い人々すらも、虐殺や紛争へと巻き込まれてしまう、いや、自らを巻き込んでしまう。

 政治が自分の人生に関わりのないはずがない。選挙が自分の人生に関わりのないはずがない。

 

 現地のキニャルワンダ語に非常に特徴的な言い回しがある。

「たとえば“ejo”は『昨日』のことであると同時に『明日』のことであり、“kera”は『遠い昔』のことであると同時に『遠い未来』のことである。……つまり、『過去』と『未来』はまったく同じ言葉であらわされるのだ。いまを生きることに意識の焦点が当たっている生活では、『いま』か『いまでない』かが重要なのであり、また、おおよそどのくらい『いま』から離れているかがわかればよい」。

 時は金なりを基礎づける、西洋における過去・現在・未来という直線的な世界観はいかにもなじまない。つまり、過去の呪縛から解き放つ、というその治療メソッドもルワンダにはなじまない。

 どのような死生観のもとでいのちを捉えるかということは、心の傷を癒すこと、あるいは、肉体と精神の死をも超えていわば「たましい」を癒してゆくことにとって、きわめて重要な要素である。

 人間のいのちは誕生に始まり死で終わりと考える直線的死生観のもとでは、心の傷は個人の所有であり、個人が人生の終焉を迎えるまでに回復する、あるいは成長することが期待される。しかし、円環的死生観のもとでは、心の傷は個人の所有であるとか、回復や成長は一世代で成されるものであるといった前提はくつがえされる。

 紛争による傷は深く、自分のいのちが尽きるまでには癒されえないかもしれない。それでも、癒されなかった過去は、自分の後に続く無数のいのちによって受け継がれ、もういちど、あるいは何度でも、生きなおされ、癒されてゆく――そのような大きな時間的スケールのなかで回復の軌跡を描くことができるのである。

 円環的姿勢間に照らしてみたとき、未来へと向かって「生きる」こととは、何世代ものいのちが「生き続ける」ことである。そして、ただ「生き続ける」というその弛まぬ歩みによって、深い苦しみと傷つきを超えて、たましいが癒されてゆくことである。