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椿井文書―日本最大級の偽文書 (中公新書 (2584))

椿井文書―日本最大級の偽文書 (中公新書 (2584))

  • 作者:馬部 隆弘
  • 発売日: 2020/03/17
  • メディア: 新書
 

 

 椿井文書とは、山城国相楽郡椿井村(京都府木津川市)出身の椿井政隆(権之助。1770~1837)が、依頼者の求めに応じて偽作した文書を総称したものである。中世の年号が記された文書を近世に写したという体裁をとることが多いため、見た目には新しいが、内容は中世のものだと信じ込まれてしまうようである。しかも、近畿一円に数百点もの数が分布しているというだけでなく、現代に至っても活用されているという点で他に類をみない存在といえる。分布の範囲やその数、そして研究者の信用を獲得した数のいずれにおいても、日本最大級の偽文書といっても過言ではないと思われる。

 本書では、作成手法や伝播の仕方など、椿井文書の実態をできるかで丁寧に説明するつもりである。また、その実態のみならず、椿井文書が引き起こした問題やそこからみえてきた歴史学の課題などについても言及していきたい。そして最後に、椿井文書はなぜ受け入れられてきたのかという疑問に答えるとともに、今後の対応についても見通しを述べる。

 

 最初はほんの指先の遊びだった。両の手を力士に見立てて相撲を取らせる。星取表だけでは飽き足らず、カードに個々のデータ・スペックを記録することを覚えたあたりから、年寄株の手配や協会の利益の分配など、箱庭の世界がとめどなく膨張しはじめる。少年は「ポケットの中の、誰も知らない世界、の始末に困っていたのだった。またはじめてしまった以上、見捨ててしまうわけにはいかない。けれども自分は囚われているただの子供にすぎない。そのときになって、ようやく、これは子供のやる遊びではなかったようだ、ということに気がついた」。

 色川武大狂人日記』の一節、はたと脳裏をかすめる。

狂人日記 (講談社文芸文庫)

狂人日記 (講談社文芸文庫)

 

 

 大雑把に言えば、箱庭を歴史に重ね合わせただけ、そんなフィクション遊びのひとつやふたつ、誰にでも覚えはあるだろう。あるいは歴史小説や映画として公にされたとしても、まともな読み手は少なからぬ虚構性を折り込んで、つまりは各人にとっての「ポケットの中の、誰も知らない世界」としてその作品を受容する。つまり、「ポケットの中の、誰も知らない世界」でもあれたはずの文書がそうあれないとするならば、そこに生じる問題は基本的に受け止める側のリテラシーに帰属する。文書に何が書かれているのか、いったい何が偽られたのか、といった主題軸は早々に主役の座を追われる。人々がそれをどう読んだのか、核心はやがてその一点へと凝集するだろう。椿井文書のほとんどは依頼に応じて作成された。例えば村同士の縄張り争いを決するために、例えばルーツを上げ底するために、いずれにせよ、需要があるから生み出されたに過ぎない。ましてやその一次ニーズの延長に数多の既成事実が構成されたとして、それを草葉の陰の椿井に問うて何が出ようか。

 嘘から出た実のその先で、郷土史が編まれた、小学校で教えられた、資料館に展示された、モニュメントが設置された、姉妹都市の提携が生じた――多くのケースにおいて、偽文書を「肯定することで、新たな由緒を主張して実利を生むことができるが、否定することでは何も生まれない。それどころか、否定をすると人間関係までも崩しかねない」。

 真実か事実か、歴史の天秤はいずれの重みを支持するだろう。

 

「椿井文書を文化財に指定することに、全く意義がないというわけではない。こうあってほしいという本音が反映されているという意味では、建前ばかりが並ぶ行政文書よりも、むしろ江戸時代の人々の心性や歴史観に迫るうえで格好の素材といえるからである」。

 そうは言っても。

 人は誰しもが読みたいものを読む。これしきのことが歴史学の果実なのだとすれば、あまりに虚しい。

 

 ちなみに。『狂人日記』の少年はどのように落とし前をつけたのか。

自分は面倒くさくなって、どうせ僕たちはいずれ戦争で死んでしまうんだ、と思うことにした。僕が死んでしまうんだから、君たちだって無くなってしまうよ、僕が死ねばゼロなんだから。