「信頼できない語り手」

 

 平日の皆川城址に人は滅多に来ない。栃木駅からだいぶ離れていて、観光客も車で来るしかないようなところだけれど、今日も一台だって見当たらない。山の斜面を削るなり盛るなりして平らに作った曲輪が螺旋状につくられて、その見た目から法螺貝城と呼ばれている。……

 やっと這い出たところで、ぼくはその男に出会ったのだ。息を切らせたぼくを、本丸へ上っていく階段に立って見下ろしていた。……

「皆川城を研究対象にするかはわからない。個人研究用のテーマをさがしてるだけで」

「個人研究以外にも何かあるんかいな」

「部のみんなで、地誌編輯材料取調書の翻刻をしている」そこでぼくは、これまでの習慣からごく自然と説明を加えようとした。「翻刻っていうのは――」

「書物を原本の内容のまま活字で出版することや」と男は言った。……

 後々のことを考えると、こんな先回りは驚くにも値しない。でも、何も知らなかったこの時はびっくりしたものだ。

 

「ただの出張ついでの観光客」を自称する容貌魁偉な「男」のペースに高校生の「ぼく」は拒否権を発動させる間もなく巻き込まれる。高校時代にラグビー部と歴史研究部をかけ持ちしていたというその看板通りに固有名詞にも平然とついてくるは、雑にめくっているようにしか映らない初見の資料からもきちんと情報を拾い集めてくるは、誰がどう考えても、この「男」、何かある。

 果たして「採用試験」に合格した「ぼく」に「男」は狙いを打ち明ける。

 小津久足『皆のあらばしり』。

「男」から一方的に科されたミッションは、この幻のテキストの痕跡を辿ること。素数の日の木曜日、午後4時、皆川城址にてその中間経過を報告する。

 

「ぼく」についても、「男」についても、本書においてこのミーティングの外側が描き出されることはない。パーソナルな情報が現れようとも、あくまでそれは会話の中でのものでしかない。とりわけ「男」のことばが額面通りに受け取られるべきものでないことは誰の目にも分かる。

 雑な要約を与えれば、『皆のあらばしり』というマクガフィンを介して展開される、高度なデータベースを共有しあう、その場限りの疑似的ホモ・ソーシャルもの。

 果てしない既視感を覚える、つまり、筆者の過去作「本物の読書家」と。フォーマットは限りなく等しい、突然主人公の前に現れた怪人が、同好の士としてその溢れんばかりの知識を諳んじて圧倒することで主導権を握っていく。その先例に倣えば、不自然な、あまりに不自然な、その設定に対するネタばらしをもって締めくくられる。「未熟な同感者」の場合も同じ、情報が詰め込まれた箱庭世界の中で、何かしらの優位を持った人間がなぜにそのアドヴァンテージを保ち得るのか、というそのミステリーを種明かしまで露悪的に綴ってしまう。

 その構造は、作家性というよりはやはり、刑事や医療といったジャンル・ドラマの、一話完結型のフォーマットに近い。シチュエーションにマイナー・チェンジを加えているだけでプロットのスキームそのものはまるで同一、という定期連載的職人作家に活路を求めたのか、と思いつつ読んでいたら、

 ラスト数ページ、オセロの駒が覆る。

 

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