「わたくし……必ず……生れかわるから、この世界の何処かに。探して……わたくしを見つけて……約束よ、約束よ」
その男にとってのきっかけは妻の死だった。もとより転生など信じてはいない、「信じてはいないが妻の最後の言葉は彼にとって他人には漏らせない大事な秘密でもあった。妻が自分にくれた大切な遺品のようなものだった」。前世をめぐる証言を集めた研究書にすがり問い合わせの手紙を寄せ、後日返信を受け取る。すわ妻の生まれ変わりか、日本に暮らした前世の記憶を語る少女が住まうのは、遠くガンジスのほとりだった。
別の男にとってのきっかけは結核により自らさまよった死線。また別の男にとってのきっかけはビルマ戦線でのある体験と死せる朋輩の弔い。あるいは新婚カップルの場合、タブーをカメラに収め報道写真家のスターダムに躍り出る、そんな夫の名誉欲。
それぞれがそれぞれの動機に突き動かされてツアーに集う。そして、ゴーダマ・シッダルタが生を享けた遠くインドの地で、彼らはある歴史的な事件と遭遇する。
そして、その女にとってのきっかけは大学時代の記憶だった。冴えない神学部生を酒の席に連れ出して、「愛の真似事」しかできない女が挑発する。
「本当に神なんか棄てたら。(中略)棄てるんだったら、これ以上、飲むのを許してあげます」。
飲めない酒を無理にあおり、そして嘔吐する。彼は言った。
「ぼくが神を棄てようとしても……神はぼくを棄てないのです」。
時を経て、女は噂を耳にする。卒業後、神父を目指してフランスへと渡った彼は、やがてインドのスラムに流れついた――
女は「信徒たちに踏絵を踏ませることを強制した切支丹時代の役人の話を不意に思いだした。一人の人間から彼の信じている神を棄てさせた時、その役人はどんな快感を味わっただろう」。
この明白な一文をもって、誰しもが『沈黙』の記憶へと導かれる。
ただし、改めて「日本人の心にあう基督教を考え」るこの旅、言い換えれば、他なる岸を媒介に日本を考えるこの旅は、後退と見なさざるを得ない。
インドがテーマとして選択された理由が、ツアコンの口を通じて語られる。「ヨーロッパや日本とまったく違った、まったく次元を異にした別世界に入ってください。いや、違いました。言いなおします。我々は忘れていた別の世界に今から入っていくんです」。
インドの地、つまり東洋と西洋の地勢的な中間地帯にして「別世界」、ただしそこは東洋的なものの形成に寄与する仏教のルーツでもあり、かつその信仰がヒンドゥーやイスラーム、シク教によって片隅へと追いやられた地でもある。
「日本」ならざる対立軸としての「ヨーロッパ」は以下のように定義される。なお、観察の是非についてはあえて問わない。
「ヨーロッパの考え方はあまりに明晰で論理的だと、感服せざるをえませんでしたが、そのあまりに明晰で、あまりに論理的なために、東洋人のぼく[修道士]には何かが見落とされているように思え、従いていけなかったのです」。
対して「印度」は「聖母マリアのように清純でも優雅でもない」チャームンダーによって象徴される。
「彼女は……印度人の苦しみのすべてを表しているんです。長い間、印度人が味わわねばならなかった病苦や死や飢えがこの像に出てます。長い間、彼等が苦しんできたすべての病気にこの女神はかかっています。コブラや蠍の毒にも耐えています。それなのに彼女は……喘ぎながら、萎びた乳房で乳を人間に与えている。これが印度です」。
そしてこの両者は『イザヤ書』を通じて調停される。
彼は醜く、威厳もない。みじめで、みすぼらしい
人は彼を蔑み、見すてた
忌み嫌われる者のように、彼は手で顔を覆って人々に侮られる
まことに彼は我々の病を負い
我々の悲しみを担った
愛を通じて、「玉ねぎ」を通じて、「深い河」を通じて、「ヨーロッパ」と「印度」は合流を見る。そして「日本」は未規定のまま放り出される。この双方の傍観者として据え置かれた自らの眼差しの特殊性について何らの定義をも与えられることがない。聖と穢の読解を日本人に可能にする所与をめぐってはついぞ説かれることがない。
ツーリストの属性が暗示するだろう、太平洋戦争の加害者にして被害者としての日本人か、あるいは戦後社会のエコノミック・アニマルとしての日本人か、あるいは家庭の外に社会を持てない、それどころか実のところ家庭すら形成できない、「孤立」する日本人か。
それならそれで構わない、ただし、そのカメラでは「信じられるのは、それぞれの人が、それぞれの辛さを背負って、深い河で祈っているこの光景です」というフレーズに説得力を持たせることなどできない。
カメラが構えられるというその事態が既に客観性を否定する。「印度」の客であること、客でしかあれないことは、眼差しそれ自体が必然として孕む主観性を何ら排除しない。