鏡の国のA

 

A3 上 (集英社文庫)

A3 上 (集英社文庫)

 
A3 下 (集英社文庫)

A3 下 (集英社文庫)

 

 

 この〔『月刊PLAYBOY』上での〕連載を始めてから二年半が過ぎた。当初はこれほどに長く続くことになるとは思っていなかった。そもそもは20042月の麻原法廷一審の判決を傍聴して、被告人席に座った麻原彰晃の精神の状態に強い衝撃と疑問を持ったことが、この連載のきっかけだ。ただし僕が衝撃を受けたのは、被告席で同じ動作を反復し続ける麻原の姿に対してだけではない。そんな彼の様子を長く目のあたりにしながら、それまでに一度も精神鑑定の実施を発想すらしなかった司法と、この経過を傍聴席で観察しながら、「見苦しい」とか「反省の色なし」などの語彙しか使ってこなかったほとんどのメディアに対しても、同様の衝撃を感じていた。……

 サリン事件以降、狂暴で邪悪な存在への不安と恐怖に煽られた日本社会は、セキュリティ意識と応報感情を急激に高揚させた。

 つまり罪と罰の座標軸が変わった。その帰結として警察や検察などの捜査権力は背中を押され、司法は厳罰化の傾向を加速させ、市場原理に埋没したメディアは、さらに不安と恐怖を煽り続けた。

 つまり公の場で少しずつ精神が瓦解する過程を放置した主体の本質は、司法やメディアではなく、僕も含めてのこの日本社会そのものの中に存在する。だからこそ20069月、高裁や最高裁の審理を経ることなく麻原の死刑判決が確定するという異常な事態に対しても、この国の民意は当然のこととして強い支持を表明した。

 

 日本国憲法の保障する「裁判を受ける権利」の表れだろう、刑事訴訟法3141項は以下の通り定められている。

被告人が心神喪失の状態に在るときは、検察官及び弁護人の意見を聴き、決定で、その状態の続いている間公判手続を停止しなければならない。

 筆者が繰り返し訴えるように、犯行時における責任能力をめぐる刑法第39条の規定と訴訟能力に関わるこの条文は、それぞれにまるで異なるフェーズを論じている。しかし、その程度のことすらも会話として通じない。

 

 ある時期までの不規則発言はすっかり鳴りを潜めた。といって、問いに応じるようになったわけではない。むしろ「質量」はコミュニケーション不能な彼方へ行った。

 公判を担当した裁判長が自ら拘置所へと出向き、面会を交わす。白紙心証主義や証拠主義といった刑事訴訟の基本原則を揺るがすこのエピソードひとつを取っても、「異例」だった。自身の目で改めて確認しなければならない、法からの逸脱だと知悉した上でなおそう思わせるだけの何かが被告人席のその「質量」に起きていたことは自明だった。顔の痙攣は止まらない。自力歩行もできない。糞尿は垂れ流し。実子を前にしてすら自慰にふける。にもかかわらず、精神鑑定にすら踏み切ろうとはしない。弁護人から依頼を受けた複数の医師が面談の上、訴訟能力の欠如とただし治療を通じた回復の可能性を訴えようとも、法廷は黙殺を貫いた。一転、不意打ちのような鑑定が実施されるも、用意されたのは御用学者、弁護人の立ち合いすらも許されない。

 何よりもこの訴訟能力なきがため法廷に、ひいては社会に引き起こされた最大の失敗は、事件の真相を検証する機会が奪い去られた点にある。「大多数の信者は(拘置所にいる元幹部信者も含めて)優しい。善良で純粋だ。邪悪や狂暴という言葉からは、最も縁遠いところにいる人たちだ。だからこそこの社会は、彼らの排除や断罪を叫ぶだけではなく、なぜこれほどに善良で優しい人たちがこれほどに狂暴で凶悪な事件を起こしたのかを、考えるべきだった」。

 だからこそ、逆説的に各々が自分の読み解きたいものを好き勝手に投影する他ない、いきおい恐怖のインフレーションに身を委ねる他ない。本作が執筆された段階で既に、本人が口を開かない、もしくは開けない、ゆえに本書は結局のところ、麻原を論じることに失敗する、それは奇しくも裁判所がそうあったように。当人を語り得ない、だからこそ、翻ってその周辺を捉える他ない。「時おり思う。まるで鏡のような男だと。信者は麻原の正体を見ていたのではなく、麻原という鏡に映る自分自身を見ていたかのようだ」。そこに坐するは焦点を持たない空虚な中心、それゆえに「質量」は反転して、各人の自画像、社会のありさまを映し出す「ミラーボール」へと変わる。

 判決の確定を受けて、地下鉄サリン事件以前からオウムを追っていた、さる著名ジャーナリストはコメントを寄せた。

「これ以上裁判を続ける意味はないと思っていた」。

 既に「意味」の外側へ旅立っていた「質量」を主語に置けば、あるいはこの発言は間違ってはいないのかもしれない。しかし、相手がまともでないということは、まともさを欠いた処遇を国家が行使しても構わない、ということを帰結しない。否むしろ、相手がまともでないからこそ、自らのまともさ、すなわち「意味」を示さねばならなかった。デュー・プロセスをはじめ、国家を国家たらしめる法の支配に服さねばならなかった。ところが現実には、何もかもが法体系に刻まれていたはずのまともさを逸脱した「例外」として遂行された。

 

 そもそもが「機関」に過ぎなかった存在の人間宣言をもって神の玉座は長きに渡って空席となった。代替物をあえて探せば金、しかしバブル崩壊をもってその金さえも消え去り、挙げ句、阪神大震災に見舞われた地獄の季節、1995年春、「空っぽ」な人々を満たす救世主がようやく見つかる。神は死んだ、ただし悪魔の姿がそこにあった。新たなる福音が台頭する、その名を被害者感情、あるいは例えば危機管理と言う。魔女裁判のエクスタシーに誰しもが魅せられた。ありふれた平和を持て余した人々は今日も、たかが不倫、たかがリアリティ・ショーに正義の鉄槌を下さずにはいられない。

「『善人だから殺さないのではない。また人を殺すつもりなどなくても、縁がもよおせば百人でも千人でも殺すことができるのだ』……/親鸞のこの言葉における縁を正義や自衛意識に置き換えれば、まさしく戦争や虐殺を説明する論理になる。……/罪悪人を救済するためには殺戮することも時には必要である。この論理はそのまま、一連のオウム犯罪における最重要な因子とされるポアの思想とぴたりと重複する」、そしてもちろん、今日の世界に遍く排除型社会の論理とも。

 

 かつて麻原は「グルのクローン化」を説いた。「あなた方、私の弟子は激しい修行によって自己を空っぽにし、グルだけを意識することによって、グルの神聖なエネルギーをあなた方に注入される」。いみじくも、テロリズムの恐怖という「激しい修行」を通じて、信ずべき理想や未来像を持てない「空っぽ」な人々は、打倒すべき、排除すべき悪「だけを意識することによって」、燃えたぎる「エネルギー」を注ぎ込まれた。

 にくいしくつうなうつくしいくに。

 かくして、オウムという鏡を通じて反転した社会の中で、麻原が本当に願っていたのかも杳として知れない国家転覆は見事成就して、「グルのクローン化」、すなわち日本のオウム化は達成された。