ぼくは絵を描けば、本もつくります。日本に暮らしていますが、インドにも家を借りています。
中学1年生から学校に行かなくなり、14歳の頃から1年のうち半分以上をインドで暮らし、日本に帰ってきたときに描いた絵を売り、そのお金を持って、またインドに行っていました。
そんな10代を送っていたら、20歳のとき、突然自分の本を出すことになりました。本とのかかわりあいができて、デザインをするようになり、いつのまにか装丁家を名乗るようになりました。……
「就職しないで生きるには」というこの本の依頼があったとき、どうするかとても迷いました。最初はお断りすることも考えましたが、ちょうど不登校児やその親、就職活動中の学生たちに会う機会が重なって、ちょっと書いてみようと思うようになりました。彼らは自分らしく生きるために、自分で自分自身を生きづらくしているように見えたのです。
この本には、就職しないで生きるために、いかに個性的に、強いメッセージを持ち続けていくか、という話は書いてありません。
人と人の出会い、ささやかな言葉や体験が、つねに自分を変化させつづけ、いまの仕事につなぎとめてくれている。
学校に行かなかった、インドで暮らした、本をつくっている、というのは多くの人たちによって、特別で個性的な人生に映るかもしれないけれど、それらは単にいまの状況をつくり出すジグソーパズルの1ピースでしかないのです。
ほくは、就職してもしなくても、どんな仕事をしていても、目の前の仕事を真剣に楽しみ、ほがらかに生きていく方法は無限にあると信じています。
作中、たまらなく印象に残るエピソードがある。
「子どものころのことだ。ある夏の朝、目覚めると家に見知らぬ家族がゴロゴロと寝っ転がっていた」というのである。筆者が母に尋ねると、見ず知らずの半ばホームレス化した夜逃げ家族にひとまずの休息を与えているのだ、という。ここには家訓とも呼ぶべき、ひとりの先祖からの伝え聞かせが関わっている。
「『商売ってのは、水を差しだす、ということよ』
店の前に水がほしい人がいれば、一杯の水を差しだす。米がほしい人がいれば、米をあげる。雨宿りがしたい人がいれば、軒先に入れてあげる。目の前にいる人が必要なものを、さっと差しだすのが商いなのだ」。
そんな家系の徳が、めぐりめぐって筆者のもとに降り注ぐ。
不登校児が売れっ子の装丁家になるまでの一発逆転サクセスストーリー、履歴だけをたどれば確かにそう言えて言えないこともない。謙遜の猫をかぶっているだけの自己啓発本の類でしょ、と読んで読めないこともない。しかし本書からその地位を自力でつかみ取ったのだ、という自意識が滲み出ることはない。ここにあるのはひたすらに、「水を差しだ」された、その記憶なのだから。
小学4年にして不登校に陥るも、母は「学校に行きたくない、先生が嫌だ、と言うと、『そう、行かなくていいよ』と言ってくれた」。中学生にしてひきこもり化した際にも、家族はインドでともに暮らすという突拍子もない道を選択してくれた。
捨てる神あれば拾う神あり、担任との不和から不登校になった彼は、進級ののち別の教員から「水を差しだ」されることで救われる。ある日、再び登校するようになった筆者が遅刻して、忍び込むように着席すると、恩師は彼に向けて言った、「どんな時間に学校にきてもいい。だけど、教室にはいってくるとき、そんな風にコソコソしていたら、今日一日ずっとコソコソした気分ですごすことになる。遅刻をしても、バーンと扉をあけて、おはようと大きな声で挨拶して、堂々と席に座りなさい。そうしたら、一日を堂々とすごせる。ここから一緒に今日という日をはじめるんだ」。
たまたま出会ったミティラー画を、専門学校に通うでもなく誰に師事するでもなく、ほんの少しのワークショップからの見よう見まねで描きはじめたのも不登校のころだった。はじめは母の営むインド雑貨店で、間もなくスペースを借りて個展を開いて売るようになる。そうしてできた蓄えがインド逗留の原資に変わる。筆者は思う、「人は絵がほしくて絵を買うのではなく、絵のある居心地のいい場所がほしいんじゃないか、と」。時間と空間という「水を差しだ」したその恩義として、客もまた、絵の代金という「水を差しだ」していく。たぶんそのインタラクティヴを「商売」という。ホモ・エコノミクスは互いに「水を差しだ」し合うことをもって己を定義してみせる。
筆者はおそらく絵画というモノを売らない、「水を差しだ」されるその経験を売る、トポスを売る。この図式はそのまま、装丁という仕事においても転用される。テキストというのは単にタイプされた情報を交易する営みではない、積読なる語が象徴するように、自分の手許に所有するというトポスを売り買いする、そんな営みである。
奇しくも電子書籍の台頭はそんなトポス性を強調せずにいなかった。311というエネルギー政策がもたらしたクライシスのその後で、「人の手にそっと触れ、心に寄りそえたのは、ぴかぴかの電子書籍のディスプレイではなく、がさがさした紙の本だったんじゃないか。……/電源が失われればすぐに読めなくなってしまう、弱々しい電子書籍とは違う。紙の本は汚れ破れて、それでも本でいられる、先回りしてリスクを回避していくのではなく、リスクを受けいれていけば本はもっと自由になる。/それは本だけにかぎった話ではないはずだ」。
本書のアプローチが万人に適用可能だとはとても思えない。このニッチに咲いた一輪の花を無責任に他人様に勧めて回る気はしない。
しかしどうせ家でひとり塞ぎ込んでいるくらいならば、今やただ学習性無力感をインストールさせるためだけに存在している学校なる牢獄に通い続けるくらいならば、あるいはビジネスのためのビジネスという以上の意味を持たない世俗のホモ・エコノミクスを営むくらいならば、傍からはいかに無謀と映ろうとも、「晴れ晴れとした顔」になれる別のトポスを探した方がいい。
「絵は描いた側のものではなく、見る側のものだから」。
このフレーズは、そのまま社会にあてはめることができるのかもしれない。例えば不登校という現象は、当事者に起因するものなのだろうか、と。彼らは社会という関数が規定する確率論の反映に過ぎない。
そんないかなるコミットにも値しない、全焼を待ちわびるだけの-1.0の社会の中で、一読者にもせめて路傍で「水を差しだす」くらいのことはできるかもしれない。そうして「水を差しだ」されたトポスにおける一回性のその出来事が、もしかしたらまた他の誰かが「水を差しだす」、その呼び水になってくれるのかもしれない。
「何でもいいというわけではない。相手のからだに届くものをつくる努力を怠ってはいけない。頭のなかでコンセプトを練るのではなく、からだごとよびかけるように、あらゆる可能性を試す。それを怠けていくと、火花は飛ばず、精神を病むことになる。鬱病をはじめ、あらゆる精神の病みは、自己という閉じられた殻の内側で起きていることではなく、他者との接触不良から生まれていくものではないだろうか」。
情けは人の為ならず。「水を差しだす」その行為は、まず誰よりもその当人を救う。「水を差しだす」その手を失ったとき、「からだごとよびかける」トポスを失ったとき、ホモ・エコノミクスであることをやめたとき、「精神の病み」は既にはじまっているのかもしれない。