2017年3月、小さな町で舞台が予定されていた。
出演するのは、オーディションで選ばれた少年少女たち。
しかしその舞台は、中止になった。
その映画の中で、「少年少女たち」の親が描かれることはない。劇中の戯曲に登場する危篤の「ママ」やiPhone7を買ってくれる「パパ」は、単にセリフの上での存在に過ぎない。
あるいはそれが松居大悟映画の作家性なのかもしれない、『私たちのハァハァ』にしても、『スイートプールサイド』にしても同じ、たとえキャストがはめ込まれていたとしても、親に割り振られた機能と言えばせいぜいが住居や生活費のサプライヤーでしかない。家計を説明するためのロールプレイとしての親はただし、成長の果てに「少年少女たち」がたどり着くだろうロールモデルを与えることはできない。「時間はすべてを解決してくれ」ない。「つうか、できてなかったじゃん」、不可能性の表象としての親、何もかもが「クソ」な軌跡しか持たないリアルの傍ら、演劇の中で束の間訪れる「できた……できた……できた」。
奇跡を焼きつけたその刹那、『アイスと雨音』は世界最高の映画に変わる。
映さないという仕方で逆説的に親を映し続けた松居大悟が、処女小説を上梓する、それも家族についての。奇しくも作中「僕」が言う、「この演劇は自分の家族と向き合ったものではない、向き合えなかったものの塊だ」、この小説もたぶんそうなってしまうのだろう、と思っていた。
一通のショートメールを受け取る。
「明日東京で会えませんか」。
父からのものだった。「上京してきて七年、父から連絡が来たのは初めてだ。演劇というか、僕のやっていることに全く興味を示さない父は、いま僕が下北沢で舞台をしていることも知らないのだろう。明日が千秋楽だということも、いまこの時間がもっとも苦痛な戦いだということも。もっとも苦痛な時に、もっとも苦痛な人から連絡が来て、マイナスとマイナスが掛け合わさってもプラスにならないかなと思って携帯を戻そうとしたら兄から着信が来た」。その電話で、父の肺がん、余命半年を知らされる。
中学生の頃の記憶、「その日の夜も、階下から、何かが割れる音がした。(中略)しかしその夜は、バシン、と手のひらで何かを打つ音がして、只事ではないと目が覚めてしまう。/(中略)父が無言で母を追いかけて、階段に向かう。僕らに気づくこともない。/暗がりの中、見たことのない父の横顔。何かにすがりたくて、兄の背中を掴む。/一階と二階の踊り場で、母は『もう出ていくから!』と叫ぶと、父は黙って母を踊り場から突き落とした。/(中略)父と母が一緒にいるのを見たのは、それが最後だ」。
時は流れて、とある女性に言われる。
「もらってももらっても足りなくて、知らない人からもとにかく愛を欲しがる。自分に自信がないからなのか、そういう免罪符でそうしてるのかわかんないけどさ。別にそれが悪いと言ってるわけじゃないよ? それはあなたの作る作品に、少なからず影響を与えているだろうし。ただ、その事実は認識してほしい。あなたは愛情乞食だよ」。
そんな「愛情乞食」が「余命僅かな親父の痛い所を背負」う、「家族には役割分担があって、科学特捜隊がいてウルトラマンがいるように、たまにきて厄を吸い取る、という役割分担ができるらしい。そういえば、父の家に来るたびに、体の調子が悪くなる」。
あえて「役割」を引き受ける、そのことで「家族」ができる、「またね」と言える「家族」ができる。母が「役割」を降りたことで一度の終焉を迎えた「家族」が再生される。散り際の桜の下で花見にふける、傍目にはごくありふれた、他と別段相違点のない「家族」をカメラが捉える。とてもシンプルな等式、かりそめの幸福は唯一、鏡写しのマイナスを引き受ける誰かの犠牲で成り立つ。変わりようがない、既定の「役割」、既定の「家族」。それはちょうど、ただひたすらに動員され続けるマスによって消費されるためだけの、スクリプト通りの商業演劇の「役割」を小劇団の座長があえて引き受ける行為に限りなく似ている。
「私たちってね、自意識を持った宇宙なんだよ」。
カメラの光は「自意識」など知る由もない。「あえて」があろうがなかろうが、コミットメントという一点のみに従って両者は機能的に等価、アイロニカルな没入を特権化すべき論拠を現実は決して持たない。フレームが映し出す現実の世界に、「みんな暗闇の中で輝く希望を欲しがるけれど、そんなものはない」。それは例えば『ライ麦畑でつかまえて』、何もかもが「インチキ」で埋められた世界の中で、ホールデンという「自意識」が、「つかまえるcatch」ことと「会うmeet」ことの違いに気づくまでの物語、いかなるシニフィアンを割り振られようとも、現実において指し示されるシニフィエは同じ、つまり不可能性の物語。
今日も世界は「自意識」など置き去りにして回り続ける、それでもなお、「私たちってね、自意識を持った宇宙なんだよ」。