“わが家がいちばん。女の城は台所”――いま、まさにそんな現象が起きている。といっても、そういうことを誰もが言いだしたのは、これがはじめてではない。1950年代には“幸せな専業主婦”ということばがはやったし、80年代には“巣ごもりするキャリアウーマン”とメディアが書きたてたこともあった。
けれど、現代の家事マニアはそれとはだいぶようすがちがっている。第一に、家事に熱中しているのは、高学歴で進歩的な女性だ。大企業が作ったものを拒否して、環境のことを考え、家族を大切にして、なんでも自分でやろうとしている。アメリカの社会を一変させてしまいそうなほど勢いがある。
もちろん、景気が悪いからそうしていると言えなくもない。出口の見えない不況のせいで、ほしいものを買っては捨てるなんで悠長なことをしている場合ではなくなったのだ。けれど、もうひとつの理由は、これまでの生活に嫌気がさしている人が大勢いるせいだ。アメリカンドリームなんて、よくよく考えてみれば、余計なものをたんまり溜めこんで、環境を壊しているだけじゃないか、そんなふうに感じる人が増えている。そういう人は政府も企業も信じない。さらには、生活に直接関わってくる病院や公立学校にも疑念を抱いている。おまけに、このご時世では、かつての野心ある若者が目指した、社会的に意義もあって大金を稼げる仕事は、まず見つからない。たとえ見つかったとしても、問題は山積みで、しかもなぜか女性ばかりに難問が突きつけられる。週に60時間働けと言われて、産休もろくに取れず、子供がいるだけで給料が減らされるのだ。
こんなふうに外の世界が不安と不満だらけとなれば、20、30代の女性が、もっとシンプルで環境にやさしくて、やりがいのある生活を求めて、家庭にこもって家事にいそしみたくなるのももっともだ。
動機づけは多々あれど、実際にやっていることを傍から見ればまるで同じ。本書が暗黙裡に伝えるのは、分断が家族像をも侵食するアメリカの風景。
伝統と教義に則ってアーミッシュが自給自足を志向する、それは昨日今日にはじまったことではない。現代的な意識高い系ハウスワイフ2.0のアプローチが彼らと重なってくるというのは分からないことではない。しかし、「“おれの自由を邪魔するな”と書いてあるステッカーを車に貼っている人や、赤ちゃんに迷彩柄のロンパースを着せる親、角刈りのお父さん、ズボンのウエストに銃を差している人」、全米屈指の赤い州、サウス・カロライナの男性たちまでもが、このトレンドを構成しているとなれば何やら少し話が変わってくる。
もっとも、政治的なスタンスの如何を問わず、彼らにはある共通項が存在する。「保守的な人も革新的な人も、社会はみんなで変えていくものとはもう思っていないらしい。政府の仕事も、子供の教育も、医療行為も、すべて家の中で自力でやっていくつもりなのだ」。
信頼可能な社会など既に崩れ落ちた、ならばDo It Yourselfするしかない、この一点において、そして結果形成されるライフ・スタイルにおいて、彼らはいかなる差異をも持たない。
確かに、ITがハウスワイフのアップデートに寄与した点は事実ではあるのだろう。
自給自足とは言ってもいくばくかは必要な現金を調達するために、お手製のアイテムを売りさばいて生活の糧に回す、そんなチャンネルをウェブは開いてくれた。現に工業的な規格品に抗ったハンドメイド志向の波に乗って、一夜にしてカリスマの地位へと上り詰めた2.0だっていないことはない。しかし、そんな夢物語は、バスケットボールを嗜む者ならば誰しもがマイケル・ジョーダンになれる可能性がある、と宣うようなものでしかない。かつてネットが描いて見せたロングテールの希望の未来は、ドラゴンヘッドが完膚なきまでに焼き尽くした。かくして現実に起きるのは、「都会に住む売り手が、田舎の売り手、さらには、インドのような発展途上国の売り手と露骨な価格競争をくり広げる」その風景。本人の自意識としては「起業家」、ただし傍から見れば、昔ながらの内職の請負、しかも報酬といえば、引き取り手の見込みすらない出来高払いの雀の涙。
「1950年代の主婦が孤独のせいで心を病んだ。都会の生活から切り離されて、学生時代の友人や職場の同僚と疎遠になった50年代の主婦は、ストレスを溜めこんで、憂鬱になり、薬をもらいに精神科に駆けこんだ」。
しかしここにもITの恩恵が注ぐ、何と言っても彼らにはSNSやブログがある。「ブログはまちがいなく昔のコミュニティの役目を果たしているのだ」、一見。
「いま、わたしたちは友人の家の中よりも、会ったこともないブロガーの家の中をしょっちゅう覗いている。そういえば、わたしも親友のクローゼットの中をじっくり眺めたことなんてないような……。けれど、大人気ブロガーのクローゼットの中ならば、けっこう知っている」。もっとも「主婦ブログはたいてい、巧妙に脚色されている。手作りのアップルパイやきれいな手縫いのカーテンの写真を撮るのは、意外に簡単だ。そのすぐそばにあるもの、たとえば、シンクにあふれる汚れた食器や、少し匂いはじめた使用済みのおむつは、けっして映さない」。
「脚色」の巧みなど、皮肉にも、熱心なフォロワーであればあるほど、最もよく知るところとなる。そして液晶画面の外側に広がる実生活と言えば、隣人の素性すらもろくに見えない孤立の日々、ただし現代の彼らには「薬をもらいに精神科に駆けこ」めるような保険パッケージすら存在しない。
リアリティ・ショーへの熱狂はすなわち、直視に堪えないリアルの鏡写しに過ぎない。