「親切なイラン人」

 

 24年ぶりにイランを旅した。

 イランを再訪する気になったことに深い意味はない。1990年に旅をしたイランと、現在のイランがどれほど変わったかに強い興味があったわけでも実はない。イランがどれほど変わったかではなく、僕自身のイランに対する見方が変わってしまったのだ。だからもう一度イランに行く気になった。……

 心に引っかかることがあった。

 それはイランのどこだったか正確には覚えていないのだが、バスの窓からちらりと見かけた女性の姿だ。イランはすべての女性がヘジャブを着用しなければならない。地方によって異なるが、その多くは黒いヘジャブだ。だが、僕が見かけた女性はカラフルなスカーフを被り、スカーフの前には金属の飾りがいくつもぶらさがっていた。まるでインドの西部に住む少数民族のような雰囲気であった。

 なぜ、そのような人がそこにいるのか、当時はまったく理解できなかった。……

 イランはペルシャ人の国だと単純に思いこんでいた僕に、それまで知らなかったイランの姿がじょじょに浮かび上がってきた。24年前のイラン旅行では、知るすべもなく、見ることもできなかったイランがまだまだ広がっている。

 

 筆者が行く先々で出会うのは、次から次へと現れる「親切なイラン人」。

 通常、世界各地において旅の華といえばタクシーのぼったくり。ことばも不十分で、土地勘もゼロと圧倒的な売り手市場において、迷い込んだカモにできることといえばひたすら泣き寝入ることだけ。

 ところがここイランでは一味違う。なんとドライバー・サイドが筆者の打診した金額を遠慮して、ディスカウントを申し出てきた、というのである。

 長距離バスに乗ろうとチケット売り場を探していれば、係員でもない通りがかりの青年が、自らその案内を買って出る。郊外のターミナルまで出向かなければ手に入らないことが分かれば、タクシーをチャーターするどころか、同伴を志願して、挙げ句にはその移動代金すらも払ってしまう。もちろんこの彼、オイルダラーのご子息などではない。

 バスを待っていても、日本人が珍しいのか度々写真を求められるは、代わる代わる話しかけられるはで、「このようにイランでは、ホスピタリティーのない街を探すほうが大変なのだ(と思う)」。

 

 ある街では、バスターミナルで「アナタ、ニッポンジン?」と声をかけられる。聞けば、かつてごく短期間だが高田馬場で仕事をしていた、という。例に漏れず、この「親切なイラン人」もホテルの手配に自ら率先して動いてくれる。案内された街一番のホテルはガイドブックによれば一泊122ドル、とても手が出ないと固辞するも、彼はフロントに乗り込んで交渉を重ね、なんと50ドルにまで減額することに成功する。

 このエピソードをイラン人の配偶者を持つ日本人女性に話すと、返して曰く、「その人はあなた方のホテル代を払わなかったのですか?」と。

 

 しばしば英語で話し込む。教育課程で叩き込まれたでもない彼らが、ホメイニ革命のロジックに則れば敵性言語ともいえる英語を使ってコミュニケーションを求めてくるのだ。

 概して政府に対して批判的な彼らはただし、オリエンタリズムのアプローチから自らを断罪しにかかる欧米に同調を示すこともない、さりとてISへの共感を表したりもしない。「僕がこれまで聞いてきた批判や不満のほとんどは、……イスラームそのものではなく、イスラームといいながらイスラームの理念と相容れない社会しかつくれない現体制への不満であるように感じられた」。

 他方で、あるイラン人は筆者に尋ねた。

「日本人は宗教を信じているのか?」

 結婚式は教会で挙げ、クリスマスやハロウィンやバレンタインともなればもはや本国顔負けのガラパゴス進化を遂げ、他方で葬儀となれば仏教スタイルを取り、初詣には神社を参拝する、そんな日常の一コマを取り上げると、彼は頷いて曰く、

「それは“ヒューマニティ”で生活が営まれているということだな。それはすばらしいことだよ」。

 

 単にフォトジェニックな建造物が見たければ、そんなものはネットにいくらでも転がっている。グリーク・ゴッド顔負けの彫りの深い佇まいを拝みたければ、何なら日本の街中でも会える。

 でもしかし、“ヒューマニティ”の様式は、実際に訪れることでしか分からない。

 

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