集まる場所が必要だ

 

「コリアンタウンと聞いていたんだけど……」

 新大久保を歩くほどに、そんな思いが湧いてくる。

 確かに韓国の店は多い。レストラン、化粧品やアイドルグッズ、雑貨……どこも日本人の女の子たちでいっぱいだ。韓流ブームの熱気があふれている。

 しかしその賑わいから少し離れると、空気がいくらか変わるのだ。自転車で行きかうのはベトナム人だろうか、ミャンマー人だろうか。浅黒く彫りの深い顔立ちはどうもネパール人のようだ。中国語も聞こえてくる。イスラム教徒の好む真っ白で裾の長い服を着こんだおじさんもいる。スパイスを売る食材店の前では、アフリカ系の人とインド系の人が、なにやら日本語で値段交渉をしている。どう見たって単なるコリアンタウンではない。でも、面白いと思った。ごちゃごちゃな様子に惹かれて、ひまさえれば新大久保にやってきて、歩き回った。(中略)

 これはもう、実際に暮らしてみるしかないと思った。たぶん新大久保は、日本で最も人種の混在が進んだ街だ。ここはいまや日本で300万人近くにまで膨れ上がった「移民」たちの社会と、日本人社会との、コミュニケーションの最前線なのだ。融和も対立も、きっと日本でいちばんよく見えてくる。そこでいったいなにが起きているのか、生活者として、外国人たちを隣人として体験したい。

 そんなことを考えて、僕は新大久保に引っ越してみた。

 

 新大久保の歴史とはすなわち「よそもの」の歴史、紐解けばはるか江戸の世に遡る。百人町なる地域名の由来は、遠く伊賀より寄せ集められた「鉄砲百人隊」。田園地帯であったその場所に、乏しい俸給しか与えられない彼ら「よそもの」の居住地が割り振られたところから、その数奇な運命ははじまる。

 昔も今も変わらない、大都会のインフラは安月給でこき使われる名もなき人々の汗と涙で維持される。ゆえにそのごく近場にはしばしば、彼らの住まうエアポケットのような後背地が持たれる。この性質は、400年の時を隔て21世紀にまで繰り越された。

「よそもの」が流れ着くのは、歴史の必然だった、のかもしれない。

 

 なぜに新大久保が熱いのか、本書のハイライトのようなシーンにたまらなく胸を打たれる。それは地域コミュニティのハブとして機能する図書館のスタッフの証言。

「牛丼屋のチラシを持った中国人のお母さんと娘さんが話しかけてきたこともあります。明日うちの子がこの店の面接なんです、メニューを日本語で覚えたいから手伝ってほしいなんて言われて。牛皿がいくら、並みがいくらで、なんてみんなで説明して、がんばって! と送り出したりね」。

 おそらくは現代の若年層日本人が似たようなシチュエーションに置かれたとして、彼らはこんな風に誰かを頼ったりはしない。親にさえも相談しない。Google is your friend。まず間違いなくネット上の面接マニュアルをひたすら漁る。そして彼らは担当者を前に判で押したように、同じ受け答えに終始するだろう。実際の接客業務においても彼らが真っ先に尋ねるのは決まってスマホ

 確かにその検索は、今この瞬間の最適化解と思われている何かを導いてくれはするかもしれない。しかしその行為は、現実をデータセットのコピペへと置換するものでしかない。その日その場の限られたリソースの中で互いの知恵を寄せ集め何となくひねり出されたブリコラージュが、無知で無能な経営工学のはるか先を行くソリューションだった、などというミラクルは決して起きない。

 分からないことがあったら、スマホの御託宣を仰ぐ前に、まずは目の前の誰かと話してみる。そんな当たり前の光景がある、だから新大久保は強い。

 フェスの責任者は言う。

「外国人はみんな頼もしいのよ。意見はどんどん出すし、すぐに動くし。それに比べると、日本の商店街の理事会はなんだかしーんとしちゃって、誰もなにも言わないことだってある。無理かもしれないんだけどね、若くても50歳とかだし」。

 紛れもない、日本という名の焼け野原の縮図がここにある。

 彼らはもはや声を持たない。

 

 地域でのミーティング後の懇親会に筆者も参加する。その会場は、「ベトナム人が経営する韓国料理屋なわけだが、そこで日本人とベトナム人とネパール人と韓国人が日本語で語り合い、ともにサムギョプサルをつつく」。

 異なる文化背景を持つ者が集うこうした場の何気ない一言や思いつきから、あるいは次なるタピオカやチーズダッカルビは生まれる。市場調査に高い金をかける必要などない、その場で皆がうまいと認め分かち合う、念のために別の日にも改めて別の顔ぶれと食してみる、これ以上の実証実験が他にあるだろうか。バズる? バズらない? いいよ、うまけりゃ。

 テーブルの温もりを知ることのない者にできるのは、スマホ越しに覗き見て一消費者としておめおめと行列に並ぶことだけ。売り手に回ってみたところで、差別化も何もない劣化コピーの末席に連なる以外に彼らには何もできやしない。食べ物だけではない、メイクも髪型もファッションも、何もかも。

 エサしか食えない、エサしか売れない。

 みっともない。

 

shutendaru.hatenablog.com

shutendaru.hatenablog.com

shutendaru.hatenablog.com