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沖縄アンダーグラウンド 売春街を生きた者たち

沖縄アンダーグラウンド 売春街を生きた者たち

  • 作者:藤井 誠二
  • 発売日: 2018/09/06
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 初めての沖縄は清新な感動に溢れていた。しかし今から考えるとそれは、私の中に根づいていた「平和と反戦の島、沖縄」というイメージを自分で再確認する旅でもあった。そのころ私は、高校生時代にはじめた管理教育批判などの社会運動の延長線上で、駆け出しの「社会派ライター」として週刊誌などで仕事をするようになっていた。私はタクシードライバーの質問に対して、知ったかぶりの、優等生的な物言いをしたように思う。

「じゃあ、沖縄の別な顔も見せてあげましょうか」

 タクシードライバーはバックミラーごしに私の顔を見ながら少し挑発的な調子でそう言った。私はその提案に乗り、宿泊先のホテルに向かう予定を変えることにした。おそらくは距離を稼ぐためにちがいないのだろうが、「沖縄の別な顔」という言葉には魅力があった。降ろされたのが宜野湾市の「真栄原新町」というその街だったのである。……

 私が降ろされた場所は、「ちょんの間」と呼ばれる性風俗店が密集した街だった。……女性たちが体を売る値段は15分で5000円。「本番行為」まで含んだ値段だという。夜だけでなく、ほぼ24時間営業の不夜城の街だとも教えられた。私は魅入られたように一人で街の中を歩いた。

  そして2010年、「浄化運動」が真栄原新町をゴーストタウンに変えた。

 

戦争に負けて、沖縄の人たちは、女房を売春させて、姉妹を働かせて生活してきた。売春はまともじゃないっていうけど、そうやって現実をぎりぎり生き抜いてきたんだよ。沖縄には2万人くらい売春女性がいたと思うけど、一人が4~5人の家族を養っていたとしたら、10万人近くの人が売春に頼って生きてきたということになる。きれいごとじゃない。何にもないないづくしの中で、飢え死にしそうな中で、自己犠牲で家族のなかのオンナが体を売って、家族の命を支えてきた。アメリカの生き血を吸って、アメリカの物資で生きてきた。そういうことを僕らは経験してきた。売春を批判するなら、うちらのこの目の前で、売春は汚いとか、反対だとか、言ってほしい

「浄化運動」に賛同するものは、さてこの肉声が訴える過去とどう折り合いをつけるだろう。

 

「刺青ね。イラっとすると入れるのよ」とはさる元売春婦、続けて曰く、

リストカットすると(傷痕を気持ち悪がって)客がつかないし、髪の毛をざくざくとハサミで切ったりしてストレス発散してたもんだよ。だからさ、刺青を入れてる子は多いよ。背中全体に入れている子もいる。それを見て勃たなくなってしまうお客もけっこういたよね

 売春の容認派やユーザーに彼女たちの自傷行為を直視できる者が果たしてどれだけいるだろう。

 

 ある女性は闇金にはめられて大阪から沖縄へ売り飛ばされた。

トータルで日掛けで300万組まされて、金利50万円ついて、350万円の返済になってた。本番は15分で5000円。最初は経営者と折半だった。だから客を一人取って2500円。1日の返済額は2回に分けて取り立てにくる金融業者に払うんだけど、利息分だけでも1日に1万円以上払わないといけない。それだけでも最低でも4人取らないとダメ。それに足りないと、不足分にまた利息が付いたりして借金が増えるわけ。それに借金を支払ったら、生活費がないから、さらに客を取らなきゃなんなかった。携帯もなにもかも没収されるし、財布の中身も常にチェックされるし、チップとかもらってもそのまま売り上げで持っていかれるし、ほとんど監禁だね

 皮肉にも「レイプの軍隊」が浮き上がらせた沖縄の宿痾、「内側のまとまりが強すぎて、少しでもそこから外れた女の子は逆に強くはじき出されてしまうんです」。

売春をやめたあと、ふつうに故郷に帰ればいいのですが、さきほど言ったように、現実にそうもいかない。売春して稼いだカネを故郷の家族に送っていた側からすると、自分が歳を取って島に帰れば、今度は世話をしてくれるんじゃないかと思っていたのが、「ごくろうさん」とだけ言われて、あとは逆に差別的な目で見られてみじめな思いをした女性のことをたくさん聞きました。それで精神を病んで死んでしまったり

 

 倫理的な是非を論じる前に、まずファクトを知る、本書を通じて、「沖縄アンダーグラウンド」の声に耳を傾ける。ことばをなくす。現実に圧倒されて立ち尽くすこの経験、これこそがはじまりなのだ、と教えされる。