表紙詐欺

 

 2021年のある日、なじみの古書店からカタログが届いた。……

 今回は大きな買い物をしてしまった。郊外住宅地の売り出しチラシが大量に出品されていたのだ。写真を見ると、ほとんどが神奈川県のものだ。全部で40万円以上する。……

 しばらくすると商品が届いた。……パックを開くと、薄っぺらいザラ紙に赤や青のインクで印刷された、いかにも昭和30年代(1955~64年)のものと思われるチラシだ。……

 私は東京圏を中心に郊外の研究をながらく続けてきたが、東急多摩田園都市とか多摩ニュータウンといった大規模で有名な住宅地は研究したものの、個別の小さな住宅地まではまったく研究していない。資料がないからだ。だからこそ今回のチラシの発見は貴重なのだ。

 

 まずはこのいかにもいかがわしさ全開のパッケージである。

 中身をめくれば、いかにもそそる描写が早速展開される。「チラシには『東白楽駅前現地案内所』とか『反町駅前現地案内所』とか、『坪3000円』とか『商店街至近』といった文字が並んでいる。しかし、肝心の土地の所番地が書いていない。……/『○○駅前』『○○駅〇分』『現地案内所』という文字を見たら、その駅から〇分のところで土地が売られていると思うが、冷静に考えるとそうではない。まず〇〇駅前の現地案内所に集合し、そこから『○○駅〇分』の土地までクルマに乗せて連れて行くのだろうと推測された」。

 どうにもニヤニヤを禁じ得ない。今とは比べものにならないほどに不動産取引や誇大広告の法規制が緩かった時代に、折からの住宅供給不足から来る売り手市場が展開されているとなれば、後は野となれ山となれのデヴェロッパーによって繰り広げられた文字通り無法地帯の悲喜劇を期待せずにはいられないのが人情というものではないか。そこにはきっとバブル期の原野商法も裸足で逃げ出すような――私のYouTubeのリコメンドってそんなのばっか――荒み切った夢の跡が広がっているに違いない。

 

 巻末に付された売り文句からは今日のタワマンポエムも真っ青の壮麗さが漂わずにはいない。

「慶長以来四百年間土に生きてきた私達のたった一つの願い」

「一人の宝を万人の宝に!」

大自然を背景に四方の香りも高く夏は涼風、冬は温暖、皆様の御要望にピッタリマッチするオールデラックスの文化住宅地です」

「工事中より絶賛を浴び―始めて理想と現実の一致を見た」

 腹筋崩壊の準備は万端に整った。

 

 が、本書が訪ねて歩く光景は、思いのほか健全な住宅地のそれなのである。

 取り上げるエリアといえば、上大岡、戸塚、相模原に東大宮、検見川……と今改めて振り返れば、決してそう悪くはない顔ぶれ、掴まされたという印象は一向に浮かんではこない。

 確かに写真を見れば、少なからぬゾーンにおいて勾配がきつく、終の棲家とするにはかなりタフには思われるが、そもそも平野面積が20パーセントにも満たない国土に住宅地を求めていけば、丘陵地帯に手を広げざるを得ないのもまた事実。当時の開発業者に崖崩れや水害のリスクをマネジメントする技術があったとは思えないし、自治体によるライフラインの整備も未熟で、鉄道整備などにしても今日と異なるものであったことは想像に難くはない。

 しかし総じてみると、どこをどうつついても阿鼻叫喚の地獄絵図には程遠いのである。

 

「それぞれの家がそれぞれの事情に従って、たとえば子どもの成長に合わせ、一家の年収の増減にしたがって、増改築をしたりしなかったりして現在がある。……

 思えば歴史的に見て、こうした柔軟な住宅というものを庶民が買えて、増改築できた時代というのは、日本では昭和20年代後半から40年代末くらいまでの、ごく短い期間だけであろう。それはまさに高度経済成長期であり、多くの人が自分の家を買うことができた時代だからこそあり得た住宅の形、住み方の形であろう。

 ところが昭和50年代以降くらいから、住宅は完成品を買うものになった。最初から容積率一杯に建てられた二階建ての家を買うようになったのだ。それは、家を買って住みこなしていくというよりも、家が自動車や家電のようにただ買うだけの商品になってしまったように思える。家に人が合わせていく時代になったとも言える。そこには成長とか変化とか可変性とか柔軟性とか、あるいは個性といったものがあまり感じられない」。

 限られた所得の中で人々は郊外に家を求めた。しかし昭和30年代をクローズアップした本書から広がるのは、アメリカをモデルとしたスプロール化とは似て非なる光景だった。というのは、この時代の日本における郊外が、モータリゼーションを自明の前提とはしていなかったこととおそらくは深く関係している。

 例えば筆者は船橋の夏見台に「団地を単なる『住宅地』ではなく、『町』としてつくろうとしていたことの表れ」を見る。当時の住宅地図を見れば「団地といっても商店がたくさん含まれて」おり、「商店の業種は肉屋、魚屋、八百屋、食品店、米屋、パン屋、揚げ物屋、乾物屋、ふとん屋、電器店、燃料店、畳屋、印刷所、クリーニング屋、床屋、美容室、牛乳店など。飲食店ではそば屋、天ぷら屋があったようだ」。そこから浮上するのは、ファスト風土ならざる、歩いていける、顔の見える「町」の姿、つまりは自動車によって失われた何か。

 あるいは埼玉の三和町から読み取れるのは、移り住んだ「この住宅を“故郷”と思い定めた住民たち」の姿。自治会で金を出し合って水路沿いに250本ものサクラを植樹して並木道を整備し、緑地もやはり自治会によって広場化されて町内運動会や盆踊り大会が催され、これまた同じく自治会の世話で希望者が秩父に墓地を買い、シーズンになればチャーターしたバスで墓参りする。同調圧力隣組紙一重、しかしここには、“故郷”のことは“故郷”で決める、わたしたちのことはわたしたちが決める、そんなタウンシップの萌芽が確かにある。

 かつて欧米人にウサギ小屋などと揶揄された狭小な住宅であっても、庭先に配された植物は歩行者に季節の華やぎを刷り込まずにはいなかっただろう。翻って、マンションのベランダにゼラニウムシクラメンの鉢植えを飾ってみたところで、壁によって隔てられた他の住人はそんなものがあることにすら気づきようがない。仕切りの中で完結して外部を持たない。裏しかないからおもてなし、私たちはこの表紙の邪悪さをむしろ現代のすべての商取引にこそ疑わずにはいられない。顔すら見えない互いを騙すのに、誰が良心の呵責とやらを覚えるだろう。

 ストリートはただ通り過ぎるための場所じゃない、この足で立ち踏みしめるための大地なのだ。

 

shutendaru.hatenablog.com

 shutendaru.hatenablog.com

shutendaru.hatenablog.com