星のかけら

 

  米国で広がる科学不信に迫る取材では、地球温暖化懐疑論を広める保守系シンクタンクを訪れたり、……創造博物館で創造論を信じる人たちの話に耳を傾けたりしました。科学不信の背景を知るために、学会に参加して研究者の講演を聞き、インタビューをしました。

 取材を繰り返すうちに、人は科学的に考えることがもともと苦手なのではないか、と考えるようになりました。人類が進化の末に獲得した「生きる知恵」と、科学が発達した現代社会に求められる「生きる知恵」には、根本的なずれがあるのではないか、と考えるようになりました。

 数百万年にわたる長い人類の進化を考えれば、「ごく最近」といえる時期に誕生した科学に、私たち人類はまだ適応できていないのかもしれません。

 

 本書内にあってもとりわけ興味深い調査結果が引かれる。

「高校の生物学教師の約13%が『創造論』など神が進化に関与したとする説を積極的に授業で取り上げていることがわかった。……進化論をきちんと教える先生は約28%にとどまった。/……残り約60%の先生はどんな教育をしているのだろうか。研究チームが最も問題が大きいと考えているのは、実はこの約60%だ」。

 ある面、「13%」に関しては楽観的に構えていてもそう問題はないのかもしれない。放射性年代測定や博物学等によるエビデンスを黙殺して、論拠なき聖書無謬主義へと没入できるカルト信者の数など、多少の伸び縮みこそあれどんな時代においても、マイノリティの座を脱することはほぼないのだから。

 むしろ本書が指摘する通り、本当に根深いのはこの「用心深い60%」の存在に違いない。ポスト・トゥルースへと突き抜けた「13%」はそもそも会話が通じない物体としてたやすく捨象できよう。しかし、この「60%」を説得するための技法を考えるとなると、これはかえって困難を極める。いかに論拠を羅列して創造論的なるものに対する優位を示そうとも柳に風とやり過ごし、あまつさえ両者を並列的に扱う自身をフェアネスの体現者と信じて疑おうとすらしないのだから。

60%」の作り出すこの光景、進化論が論争の種になるわけでもない日本においてさえもどこかデジャヴュを覚えるものがある。説得的な根拠すら持たないものを「論」として甘やかし両論併記、公平中立などとのたまってはばからない、「用心深い」といえば聞こえはいいが、つまりは論理的であることを自ら放棄した存在としての、そう、メディア、そして国民である。

 Science not Silence. この世界にあって、沈黙は追認以上の意味を持たない。その態度を日和見主義などとは言わない、単に共犯関係と言う。

「『知識が増えると共通の理解に到達してわかり合える』という素朴な教育観の限界」とやらを筆者は軽々に口にしてみせる。なるほど確かに、正論で追い詰めれば追い詰めるほどに反発を誘う、という事象は世間知としてしばしば観察されるものには違いない。しかし、そこには一点根本的な誤謬が潜む、つまり、理論ですらない稚拙な自己正当化にあたかも「知識」の一片を認めようとするその徒労の限りにおいて。

 主意主義か、主知主義か。前者への相対的なバイアスを指して言っていただろう語は、いつしかその字義通りの意味しか持たなくなって久しい。その語の名を、反知性主義anti-intellectualismという。

 

「頑なな心を解かすのは、データではなく、共感なのだ」。

 コミュニケーションを通じて聞く耳を引き出そう、その科学版、いかにも聞こえはいい、そして決して欺瞞を超えない。欺瞞でしかあれない根拠は二つある。

 ひとつ、ありとあらゆる修正主義、陰謀論においてそうあるように、聞くに堪えない戯言にいかに耳を貸してみたところで、相手方からの譲歩は決して引き出されない。マイノリティ差別を考えてみれば分かるだろう、苦しみを訴える声が足りていないとはまさか思えない、にもかかわらず問題の解決は前進どころか隙あらば後退の兆候を示す、この現象において一方当事者の「共感」なき愚昧の他にいかなる理由を求めることができようか。

 ふたつ、「心を解か」し得ない根本的な要因として、科学に限らず、そもそも彼らにはコミュニケーションが足りていない。そのファクトは先の大統領選において改めて示された。レッド・ステートにおいてすら都市部は青く染まり、逆にブルー・ステートにあっても地方部は赤く染まる、人口密度や帰属可能なコミュニティの有無に従って投票行動、思考のベクトルは規定される。気候変動にも進化論にも耳を貸さない彼らには基本的な接触さえも欠けているのに、ことさら科学コミュニケーションの重要性を説いたところで、そのラインにすら立てていない実情を何ら癒すことはできない。

 

 本書のハイライトのようなやりとりが紹介される。

 ある会合でのこと、気候変動をめぐるスピーチの終わりに、男が立ち上がって口を開く。

「あなたの言っていることはわかるけど、私にとっての問題は、政府からエアコンの設定温度について指示なんてされたくない、ということだ」。

 エピソードを披露した教授はこの事象を「煙幕」と命名した。「『規制が嫌いだから』とそのまま言うと、わがままなだけだと思われるので、『地球温暖化の科学は疑わしい』という『煙幕』を使っているという構図だ」。

 

「科学の話をしていたのに、いつのまにか話題は米国の歴史だった」。

 このフレーズほどにテキストを見事に要約する術を私は知らない。反知性主義アメリカ史、世界史の到達点を本書は伝える。