女性の地位向上をもとめる人たちだって、そういう約束をおもんじている。よりよい社会を想定し、それにちかづくこと。いま男とかわしている約束は不平等だ。それを改善しましょう、男との政治的、経済的平等をはかりましょう、女の、主婦の役割をもっと尊重してもらいましょうと。……この社会で、女が男よりも低い立場におかれているのは、それぞれの性の本質によるものではない。社会的にそうさせられてきたからである、約束のつみかさねによって、そうさせられてきたからである。だから、あたらしい約束をかわすことによって、それを改善することができるのだと。
でも、野枝にそんな発想はありはしない。かの女は、素で約束そのものを破棄しようとしていた。ああしなきゃいけない、こうしなきゃいけないというきまりごとなんて存在しない。それはどんなに良心的にかわされたものであったとしても、ひとの生きかたを固定化し、生きづらさを増すことにしかならないからだ。……約束をかわして生きるということは、なにかのために生かされているのとおなじことだ。やりたいことだけやって生きていきたい。ただ本がよみたい、ただ文章がかきたい、ただ恋がしたい、ただセックスがしたい。もっとたのしく、もっとわがままに。ぜんぶひっくるめて、もっともっとそうさせてくれる男がいるならば、うばって抱いていっしょに生きる。不倫上等、淫乱好し。それが人間らしくないといわれるならば、妖怪にでもなんにでもなってやる。欲望全開だ。宣言しよう。もはやジェンダーはない、あるのはセックスそれだけだ。これから野枝とともに、あたらしいフェミニズムの思想をつむいでいきたいとおもっている。
「やりたいことだけやって生きていきたい。ただ本がよみたい、ただ文章がかきたい、ただ恋がしたい、ただセックスがしたい。もっとたのしく、もっとわがままに」。
このくだりだけでも困惑を誘われることだろう。果たしてこれは伊藤野枝の代弁なのか、はたまた筆者個人のほとばしりなのか、と。この箇所に特徴的な話ではない、ランダムにページをめくればその数だけ、この曖昧模糊たるボーダーにかならずや出くわすこととなる。「いくぜ、大杉」。「そうだ、かましたれ」(p.108)。「そうだ、野枝のご飯はとってもおいしい」(p.139)。「ヤギ、最高」(p.150)。
「わたし」は「わたし」、「かの女」は「かの女」、一人称か、三人称か、およそライティングなるものにおける基本的な「約束のつみかさね」が溶けている。決して万人に受け入れられる文体ではない。この一連のエフェクトを単に悪ふざけのノイズとしか感じられないまま本を伏せる読者がいたとして、そのレスポンスを批判される筋合いはなかろう。しかしこの書き口、好悪のいずれを惹き起こすにしても、何かしらの陰影を読み手に植えつけずにはいない。
そしてその執拗さは、ひらがなの多用をもってさらに強調される。
「ゆるせることと、ゆるせないことがある。そして、ゆるしちゃいけないことがある。チキショウ、チキショウ。いつかみていろ。社会の番犬はかならず撃たれる」。
例えばこの文章をこう変換し直してみる。
「許せることと、許せないことがある。そして、許しちゃいけないことがある。畜生、畜生。いつか見ていろ。社会の番犬は必ず撃たれる」。
漢字の持つソリッドな輪郭を配することで、あるいは失われたやも知れぬ肉声がある、怨嗟がある。緩やかな余白を持った表音文字の曲線をちりばめることで、得も言われぬ粘り気が紙面全体に与えられる。ガチすぎる、笑ってはいけない、だから笑える。塗りに塗る、ほつれにほつれる、絵画における表現主義を地で行くこの文体技法、それは限りなく磁石に似る。弾かれるか、吸い寄せられるか、干渉を受けずに済ますことはできない。
さりとてこのタッチが安直に筆者と野枝の同化をほのめかすわけではない。
「愛するふたりは、けっしてひとつになれやしない。どんなに好きでもとめあい、抱きあってセックスをしても、ふたりはぜったいにひとつになれやしない。なぜかというと、ふたりはまったくの別人であるからだ。そんなことをいったら、身もふたもないかもしれないが、いいかえれば、それは異なる個性をもったかけがいのない存在だということでもある」。
筆者が「野枝の恋愛論の核心」として指摘するこの点が、いみじくも自身の本書におけるアプローチを宣誓する。「ただ文章がかきたい」、ただしピグマリオンにはならない、銅像には決して憑依し得ないことを知る。他者を他者として愛する、「約束」の枠へと回収しない、その比類なき雄弁なマニフェストがほかならぬ文体を通じて告げられる。
そうして気づいてみれば、筆者と野枝の時空を超えた「恋愛論」にいつしか読者も三角関係として巻き込まれる。「約束」なんてしばし忘れて没入する。「ただセックスがしたい」、セックスなんてこまっしゃくれたカタカナをまんこと素直に置き換えて、その叫びに身を委ねる。実のところ、本書のメッセージにそれ以上のものはない。