私は2008年に帰郷し、富山市内の実家の薬局で働きながらライター活動を始めた。遠きにありて思うものだった故郷が、暮らしの基盤になってからもうずいぶん経つ。東京で何者かになろうとあがくフリにも限界が訪れ、29歳になる年に私は“都落ち”した。……
そしてすっかり“中の人”になった気でいる私は、外から眺める“寂しい富山”をもう味わうことができなくなっていた。だがそれは、富山自体にも大きな変化があったからだ。その変化は、富山市が全国に先駆けて推進してきたコンパクトシティ計画と、2015年3月の北陸新幹線開業によってもたらされたものだった。……
街が洗練されていくたびに私は、壊れたから作るのか、作るために壊しているのかがわからなくなった。アクの強いものを手っ取り早く撤去し、大量生産された白いハコを街に放り投げる。それが、よそから広く人を招き入れることなのかと疑問が湧いた。ヒアルロン酸を注入した顔がだいたいのっぺらぼう化するのと同じく、ここは、どこにでもある、しかしなんだか得体の知れないどこかになっていく。
アメリカの一般家庭が当たり前のように自動車を所有できるようになった時代のこと、郊外の新興住宅地に庭付きの一戸建てを買い、そして彼らは旅に出た。モータリゼーションはそれぞれの地域の風土に根ざした多様な景色を約束してくれる、はずだった。しかし現実は逆方向に作用した。
ケンタコナルドの一人勝ちだった。彼らは見知らぬ土地の正体不明な個人経営の店でローカルフードを口にするよりも、どこにでもある、つまりは限りなく同じ味を保証されたフライドチキン、タコス、ハンバーガーを選んだ。同様に彼らはショッピング・モールやコストコを愛し、かくしてロードサイドは「どこにでもあるどこか」になり、その道は間もなく国境の外側へと伸びていった。
情報化社会においても、消費者たちは全く同じ選択へと動員された。インスタグラムやティックトックで各人が己に似合う十人十色のファッションに出会い、あるいは発信する、なんてことは起きなかったし、これからも起きない。ロングテール神話も遠い昔、現実はドラゴンヘッドの寡占で終わった。グッチにヴィトンにエルメスと、バカでも分かる、というかバカにしか分からない罰ゲームのようなロゴ丸出しがラグジュアリーの規格と化して、そして日常においては、ファストファッションのアースカラーをひたすらまとう。
めでたく世界は液晶画面よりももっとずっと平板なその姿をあられもなく暴かれて、もはや「どこか」である必要すらもなくなった。
筆者が戻った郷里の景色もその現象に限りなく似る。
東京での編集経験を生かして、地元のフリーペーパーで郷土の魅力を再発見して発信する。そう意気込んではみたものの、いきなり壁にぶち当たる。
つまり、そんなものは道の駅という名のステレオタイプ記号性のごった煮に限りなく似て、「『田舎ってこうでしょ』という紋切り型のイメージ、『地方はこうあってほしい』という願望」の焼き直しにしかならないのだから、当然に地元の人間を惹きつけられるはずもない。あくまで彼らが欲していたのは、「美味しいランチが食べられるお店とか、子供を連れていけるカフェとかの情報」、それもまた、要するに都市型消費モデルの縮小再生産に過ぎない。
そのいずれでもない第三の道に筆者はやがて気づく。
「薪を組んだ暖炉の前で、マフラーを手編みするおばあちゃん。その皺だらけの手元だけではなく、ばあさんの服装が全身ユニクロだという全体像も私は見たい。ピカ一の目利きで知られる人気寿司店の大将。『あんた! 母ちゃんに怒られっから帰られ!』と見事に泥酔客をさばく様子もリポートしたい。土地に根ざして日々を営むことは、“ていねい”なだけでも、“ほっこり”なだけでもやっていけない。そこからあぶれたもの、なかったことにされてきたものにこそ、ここでしか紡げない物語が隠されているのではないだろうか」。
このテキストがそうした突飛な人々を単に紹介していくだけならば、それこそそんな代物は「どこにでもある」。他とは圧倒的に異なるものがこの一冊にあるとすればそれは、結果的に何者かになってしまった彼らに触発されるように、「私」が何者かへと変わっていく成長物語を描き出していく点にある。
奇しくも筆者はそうした何者かのひとりからこんなことばを引き出してみせる。
「私は自分で自分のことを信じてるわよ。だって、信じるしかないじゃない」
何者かであるとはつまり「自分」であること、「信じ」られる「自分」であること。“何者でもなかった”筆者がミニコミ誌を起こし、イベントを企画することで、「自分」を作る、「自分」に出会う。
ふと気づいてみれば、その格好のロール・モデルがごく身近にいた。
母だった。
「真面目に働けば働くほど、律義に借金をこさえるような」夫を諦めて、35歳にして薬局を開業。売り上げがふるわないので化粧品や衣料品に手を広げ、それでも売れなければ自ら一軒一軒を訪問販売して回るようになる。「当時のオカン版“黒革の手帖”には、女性客の趣味嗜好、洋服サイズのデータが事細かくメモしてあった。営業経験もなく、ましてや経営なんてはるか縁遠かった主婦が、二人の子供を育てながら未知の地に飛び込」んで、さらには介護施設も新規で立ち上げ、そうして彼女は「自分」になった。
その母に「恥をかけ!」と尻を叩かれ背中を押され、サブカル系ボンクラ毒女が少しずつ「自分」になっていく。
すべて「自分」は生まれるのでなく作られる。
「どこにでもあるどこか」とは、「自分」のいない街をいう。
装丁においても、このテキストは秀逸。
カバーからして、めくるな、めくるなよ、とダチョウ俱楽部ばりの煽りを入れてくる。そしてうっかり剥がしてみたら――
章のトーンに呼応するように紙には色調の濃淡が配されて、とりわけ東京時代をめぐる第1章には、ツルツルなつまりは指に引っかかりのない質感の純白が宛がわれている。
テキストとは単に筆者が打ち込んだ文字の情報によってのみ成り立つものではない。例えばこうした紙を通じて、他者を通じて、藤井聡子という「自分」が作られていることを、モノとしてのこの本のあり方が証している。