万歳突撃

 

 大阪の女興行師で、こんにちの吉本興業の基礎をつくった吉本せいの生涯は、山崎豊子氏が『花のれん』なる小説に仕立ててからというもの、数々の舞台化、テレビドラマ化がなされており、ひろく知られるところとなっている。そんな吉本せいの生涯を、私なりの目でもってもう一度追ってみたいと考えたのは、「女だてらに」と「女ならでは」という両面をたくみに使いこなして、大阪の演藝界を席巻してみせた偉大なるプロデューサーの内側に、冷厳なくらいの孤独の影を見たからである。

 

 この原著が出版されたのは、1987年のことだという。

 かつてはこれがノンフィクションとして広く読まれていたのだな、というそのスタイルの違いに、どうにも時の流れを感じずにはいられない。

 評‐伝という言い回しが、ある面ではひどく正鵠を射る。例えば以下のようなくだりである。

「夫の吉兵衛に急死された吉本せいの頭にあったのは、なんとしても夫の残した寄席を失うことがあってはならないということだけであった。/……せいにとって、夫の吉兵衛は、無能で、なにもしない遊び人といった評価が望ましいので、そんな夫の残してくれた寄席を手放して、吉兵衛以上に無能であるというレッテルをはられることにはたえられなかったのである。……だから、夫の死後8年間に見せた吉本せいのはたらきは、積極的なものではなく、むしろ残された寄席をなんとか維持していかなくてはといった、守りの姿勢に終始したものであった。そうした、消極的な安全策にもとづいてせいの打った手のことごとくが成功して、逆に事業を発展させていったのだから、吉本せいにはまれに見る強い運がついていたのかもしれない」。

 今日新たに書かれる伝記作品において、この文体にお目にかかれることはまずない。筆者が憶測する「なんとしても夫の残した寄席を失うことがあってはならない」というこの吉本せいの主観には、日記なり、過去の発言なり、関係者の証言なりといったソースがこれといって引用されることもない。一応、周辺人物からの雑談とも取材ともつかないコメントは取ってはいるようだが、断言調を貫き通すこのテキストの様子から窺い知る限り、この記述はあくまで筆者個人の独善的な見立てにすぎない。

 そしてこのイタコ芸では、むしろ夫の死後において事業が伸長したというファクトとの整合性がまるで取れない。「まれに見る強い運」に恵まれた彼女の取った「安全策」がなぜか拡大路線へと展開していった、とするのだが、どこがどうつながったらそうなるのか、少なくとも私のインストールする論理システムで合理的に解読することはできない。

 なんとも驚くべきは、この破綻がわずか4ページそこそこの間で発生していることである。そしてもちろん、この手の断定に由来するほつれにはテキスト全体を通じて枚挙に暇がない。

 

 そんなことを延々とあげつらっても仕方ない。もはや筆者によってもたらされたバイアスについてはさておいて、しかし改めて吉本興業黎明期のクロニクルをひもとくとき、今日のこの国策企業が、まるで歴史の呪縛がごとき様相を呈していることにやはり驚愕の念を禁じ得ない。

 大正から昭和へ、そんな時代の変わり目にあって、「新しく擡頭してきたサラリーマン階層が、思いきりよくこれまでの和服を脱ぎ捨てて、洋服に靴という出勤している」ように、笑いの世界にあっても、「それまでの落語に描かれている暮しと、それを語っている落語家自身の生活、さらにお金を払ってそれを客席できいて楽しむ階層とが、風俗的にまったく同じ平面にあった時代は音たてて崩れ」はじめていた。

 そうして落語の玉座を瞬く間に射止めてみせたのが、万歳だった。万歳と書いてまんざいと読む。あくまで寄席の色物にすぎなかったこの脇役が、新たな時代の大衆を前に、一躍時代の寵児へと躍り出た。わけても、「張扇を手にした太夫が、才蔵の頭をぴしゃりとたたくのが流行した。……しかも、この『なぐり漫才』だが、人気が高まるにつれエスカレートする一方で、はじめのうちは芯に骨のない張扇を用いていたのに、骨のはいった張扇になり、ついには拍子木で相手の頭をなぐるまでに至った」。

 いじめがいじりと呼び換えられて、拍手喝采が送られる。この体験が、昭和中期においても寸分たがわずリピートされる。

 寄席からテレビへ、そんなメディア空間の変遷が漫才ブームを呼び起こしたのは、必然だった。見栄えのしないおっさんがひとり座布団に腰かけて話を聞かせる、茶の間でながら見している視聴者にとってこの動きの乏しさはいかにも致命的だった。かつてエンタツアチャコの漫才に同時代のラジオリスナーが「自分たちが職場や、電車のなかや、会社帰りの一杯のみ屋で交す言葉と少しも変らない」ものを見たように、確固たる名人芸よりも漫才師のフリースタイルにこそ、人々は吸い寄せられていった。桂米朝のたおやかな船場ことばよりも、ブロークンで下衆で粗雑な吉本弁を大衆は紛れもなく選び取った。

 その頂にダウンタウンが君臨する、しかしこの現象を吉本せいの呪縛と呼ぶにはあたらない。時流が「女太閤」をつくる、「女太閤」が時流をつくることはない。いつの世も同じ、ポピュリズムの選好原理がここにおいても正常に作動したというにすぎないのだから。

 クズなのに支持されるのではない、クズだから支持されるのだ。

 狂気とはすなわち、同じ行動を繰り返しながら、ただし別なる結果を望むこと。そう、彼らはこれまでも、これからも、同じ道をたどり続ける。

 

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