ビッグボス

 

 中央公論社は昨年、創業八十周年を迎えるに当たって、その社史を編纂することを、私に委嘱した。……

 この本の中で、私がもっとも力を入れて書いたのは、滝田樗陰に関する部分であった。それは必ずしも、彼が『中央公論』の発展に寄与した功績の大きさの故ばかりではなかった。むしろそれは、彼の矛盾に満ちた、欠陥も多少ある、しかし情熱的で生一本な性格に、私が興味を持ったからであった。

 ふつう社史というものは、いろいろの配慮から一人の人物の性癖や言行の叙述に深入りしないものであるが、私は樗陰に関するかぎり、ついその常則を破って、他との均衡を失するほど、彼のことを語りすぎたきらいがある。しかしそれは、樗陰がそれに値するほど面白い人物だったからである。……

 本書はこの『中央公論社の八十年』の中から、樗陰に関する項だけを抜き出して、独立の読み物としたものである。もと市販されることを予定して書かれたものではないので、叙述や描写の適当でなかったところはこの際改めたし、中央公論社全体の歴史の一部分として書かれたため、前著では省かれた樗陰の個人的な挿話や、家庭生活の裏面なども、新しく書き加えた。

 

「滝田君ほど熱烈に生活した人は日本には滅多にいないのかも知れない」。

 本書所収、樗陰の死に際して寄せられた芥川龍之介による文の結びの辞である。

 本書を一読した誰しもが、この評に首を縦に振らざるを得ないことだろう。

 読んだ、編んだ、食べた。

 まこと伝記のメインキャストを張るにふさわしい、よく言えばヴァイタリティ、悪く言えば脂ぎった、そんな稀代の豪傑像が、死して間もなく百年が経とうというのに、ド迫力をもって浮き上がらずにはいない。

 

「この雑誌に一生を託する気などなく、大学を卒業するまでの学資かせぎに、ちょっと腰かけているだけのつもりであった」。

 それはまだ『中央公論』が本願寺傘下の零細雑誌に過ぎなかった時代のこと、部数を伸ばすその秘策について一介の学生バイトが熱弁をふるう。秘策とはすなわち、小説を掲載することだった。おそらくは筆者の観察の通り、「樗陰が骨の髄まで文学青年だからから」という以上の理由などそこにはなかった。しかしこの提言が事実、当たった。今様に言う炎上マーケティングなのか、時に発売禁止命令が下るも、その度にむしろ部数は伸びた。

 彼は「必ずしも雑誌に執筆させようという功利的な動機でのみ文学者に接近したのではなかった。彼はまず人に惚れ込んでしまうのである。……惚れ込んだとなると、利害得失を忘れて、その人に接近し、ただ奉仕することだけを喜びとするのであった。原稿獲得はその副産物にすぎなかった。すくなくとも彼は、自分自身そう信じ、相手にもそう信じさせた」。

 いいと思えばとにかく書かせる、続けて書かせる。その押しの強さが時に例えば漱石の癇癪を誘ったりもしたが、傍ら谷崎や犀星をスターダムへと引き上げた。

 彼自身の好みと言えば、いかにも朗唱に似つかわしい美文調、既に自然主義の台頭により時代遅れと見なされて久しい。さりとて編集者として自然主義への露骨な反発や黙殺を示すこともない。

 文壇への献身もさることながら、現代においてその名声の源泉となる要素といえば専ら、吉野作造をフックアップして、大正デモクラシーの火を灯したことだった。しかもこと吉野に関しては、自ら口述筆記さえも担い、臆することなく侃々諤々の議論を闘わせた。

 もっともここで筆者は極めて冷静な見立てを示す。「読者の大部分が、政治評論や社会評論をそれほど歓迎しないという点にあった。……一般の政治的社会的関心はきわめて乏しく、知識階級の多くは、現実の利害を超越した学問や芸術のほうを高尚なものと考えていたのであった」。

 

「君も大いに勉強して、滝田樗陰のような立派な編集者になりたまえ」

 中央公論社への入社を知ると、知人はこぞって筆者をこう激励したという。

 昭和14年の筆者には既に、たとえそれが神格化を極めた実像なきパブリック・イメージに過ぎなかったとしても、樗陰というロールモデルが存在した。

 しかし当の樗陰には無論、編集者として自らが仰ぐべきロールモデルなどなかった。導き手として、恩人として、確かに彼には徳富蘇峰があったとはいえ、やがて空中分解を余儀なくされた。ヘッドハンティングから間もなく、蘇峰率いる『国民新聞』に寄せた渾身の記事が、見る影もなく上司によって添削されたためだった。報道における相場の文体の確立すらままならぬ時代のこと、彼は書きたい通りに書いて、そして砕け散った。翻って雑誌では、数多の軋轢を振り切って、思った通りを作家に伝え、載せたいものを載せて、そして不世出の栄誉をほしいままにした。

 過度の文体的な装飾が見られるでもない、むしろ抑制的ですらあるこのテキストが、華やぐばかりの生命力でみなぎる。それは偏に樗陰の軌跡に由来する。

 前人未踏のフロンティアに投げ出されたら――好きなことをすればいい。

 暴れまっせ、ホンマに。