アンチ・クライマックス

 

 

 古関は単なる流行歌の作曲家ではない。昭和の戦前、戦中、戦後という激動の時代を生きた彼が生み出す曲には、時代性が反映されている。

 彼は福島県の呉服屋に生まれ、商業学校時代からクラシックの作曲家山田耕筰との交流が始まり、昭和モダニズムのなかで流行歌の作曲家としてデビューする。

 日中戦争からアジア・太平洋戦争にかけては、数多くの戦時歌謡を世に出し、戦後は国民に生きる活力となる楽曲を、ラジオや舞台、テレビを通して送り続けた。またスポーツの応援歌、校歌、社歌、市町村の自治体歌など、古関が生んだメロディーは5000曲に及ぶ。本書では、古関が歩んだ音楽人生を軸とし、古関メロディーの作詞家や歌手との関係を交えながら、昭和の歴史を振り返る。

 

 伊達に朝ドラのテーマに選ばれてはいない。古関裕而のその軌跡をたどれば、見せ場となるエピソードには事欠かない。顔すら知らぬ文通からやがて結婚へと至るその過程だけでも、一本のメロドラマを仕立てることはできるだろう。「流行歌づくりの天才」古賀政男との好対照なキャラクターが織りなすライバル関係として、相克の物語を盛り上げることもできただろう。戦時中の慰問が後の「モスラの歌」に大いなるインスピレーションをもたらした、そんな大河ロマンを書き上げることもできたかもしれない。ラジオドラマ「君の名は」一作のためだけに書き上げた曲数はなんと500にも上る、そんなワーカホリックの肖像をクローズアップすることもできただろう。

 しかし本書は、「闘志溌溂 起つや今 熱血既に 敵を討つ」とはいかない。いくらでもピークを用意することはできたはずだ、なのにそうはしなかった。極度なまでの抑制が本書を包む。

「オリンピック・マーチ」をはじめとした代表作にフォーカスを当てさえすれば、華やかなキャリアを演出することはたやすかっただろうに、むしろ一連のテリングから印象に残るのは、「ヒットはしなかった」、「好成績を残すことはできなかった」、「たいして話題にもならず、消えていった」というような総括をもって締められるその他の作品群なのである。

 筆が立たない、などと批判を加えたいわけではない。どころか、これはむしろ筆者が誠実に古関裕而の歩みと向き合った結果として賞賛を受けるべき点ですらある。

 書く曲書く曲がことごとくヒットを飛ばし後世に歌い継がれる、なんてことはまさか起きない、そして現実には、10打数1安打でも不世出の大作曲家として確固たる名声を築くには足る。歴史の相から見れば、曲調から逆算した世情とのスイングを傾向としてあぶり出すことはたやすい、しかしそんな答え合わせなど所詮、結果論に過ぎない。売り上げといういわば市場の気まぐれに付き合うことなく、各々のプロジェクトに応じた紙幅をあてがえば、必然的に空振りの方が目立つ羽目になる、ゆえに、アンチ・カタルシスとも呼ぶべきこの慎重な文体が導かれる。

 

 そして、この書き口は必ずや「謙譲という名の背広」をまとった古関と同期化する。古関の自己評価が引かれる。「私は雄々しいだけの軍歌は作れずに、どうしてもメロディーが哀調をおびてきちゃうんですよ」。

「雄々しい」ばかりのテキストだって作れただろう、しかしそこには「哀調」がなければならなかった。かつて例えばベートーヴェンが奏でただろう、全体主義への動員を逃れ行く何かがその曲に滲む。この文体こそが、古関の古関たる所以をあらわす。