バロック音楽の隆盛やバロック美術に対する関心の高まりを通じて、「バロック」という言葉は今では、少なくとも芸術愛好家のあいだでは、かなり身近なものとなっているといってよいであろう。その内容についても、細かな議論は別として、大筋においてはほぼ共通の理解が成立しているように思われる。すなわち、17世紀から18世紀の中頃にかけて、美術、建築、音楽、演劇など、時には文学をも含めて、さまざまの芸術分野において西欧世界全体を風靡した雄大壮麗な表現様式というのが、一般に通用している「バロック」の意味である。……
しかしながら、このような「バロック」観が登場するのは、決してそれほど古いことではない。端的にいってそれは、20世紀になってから、それも大方の承認を得るのは、第一次世界大戦後のことである。それ以前、特に19世紀においては、「バロック」はほとんどつねに、「価値の低い」、「劣った」というニュアンスをこめて用いられていた。……
もともと「バロック」という言葉には、はじめから否定的なニュアンスがつきまとっていたようである。……この単語がはじめてフランス語の辞書に取り上げられたのは17世紀末のことで、その意味は、「完全に球形ではない真珠についてのみ言われる宝石関係の単語」と規定されている。つまり「歪んだ」、あるいは「いびつな」真珠ということである。
見れば分かる。
本書が美術書として秀でた点は、つまるところこの一点に凝縮される。
抽象的な感覚論を持ち出されても、なるほど、そうかもしれませんね、くらいのコメントしか出しようがない。絵筆が、顔料が、といった技術史について説かれても、先行研究を知らないほとんどの門外漢にはついていきようがない。
ところが本書はそうしたアプローチとは一線を画する。すがすがしいほどに、その論理展開が一目瞭然なのである。
バロックという画期が何によって規定されたか、という主題についても誰しもが首肯せざるを得ないだろう最強の説明関数をもって明快に解き明かす。すなわち、絵の注文主、クライアントの存在である。
時は宗教改革期、プロテスタントに対抗する信徒獲得戦略としてカトリック陣営が目をつけたのが、いわば「コマーシャル・アート」としての美術だった。テーマにはとにかく「明快さ、単純さ、解り易さ」が求められた。「複雑な神学的議論を必要とするような主題、例えば『三位一体』や『聖体の議論』のようなものとは敬遠され、聖書や聖者伝のなかの印象深いエピソード、あるいはドラマティックな迫力に満ちた物語が選ばれた」。そして表現はあくまで「写実的」であらねばならない、「写実的であるということは、表現された図像内容を解り易く人々に伝えるために当然必要なことだが、それと同時に、画面の登場人物を身近なものと感じさせ、見る人の共感を得るための有効な手段でもあった」。「情動への訴え」を強化すべく、「大袈裟な表情や激しい身振りが求められたのである」。
しかもこの点が説得的なのは、マニエリスムがいわばその前座として構えていたことにある。その語源はマナーと同じくラテン語manaria、その意は手仕事。ルネサンスの古典主義を揺り返すように人工性を時にグロテスクなまでに引き延ばしたムーヴメントとしてのマニエリスムからのさらなる反動と来ているだから、その特性は振り子のごとく一層際立つ。こうして気づいてみれば、クリアな論理展開をもって、快刀乱麻を断つように西洋美術史の見取り図が与えられているのだから、つくづく本書は侮れない。
さらなる駄目押しに、旗手としてのカラヴァッジオが控える。見れば分かる、とはまさに彼のワークを指して言う。百聞は一見に如かず、このスペクタクルを前にいかなる説明が必要だろう。
宗教改革とアンチ・マニエリスムは、オランダにもうひとりの嫡子を落とした。
この貿易国家にあって、「芸術のパトロンとなったのは、もっぱら経済活動の担い手であった市民たちであり、絵画作品は、市民たちの住居を飾るために求められた。とすれば、堅実で現実感覚に富む市民階級の好みが、現実世界の種々相を映し出した風景画、静物画、風俗画などに向けられたのは、少しも驚くにはあたらないであろう」。
そして、この表題に配された「光と闇」なる語の多重性に改めて膝を打つ。
例えばラファエロにおいて見出されるのは、筆者の言うところの「間接照明」、すなわち神の恩寵を示唆するかのような「遍在する光であって、それ故に晴朗な理想の明るさを保っていた」。
対してカラヴァッジオが用いたのは「直接照明」、すなわち「そこに明確な方向性を持った光を導入することにより、天井の明澄さをいっきょに地上世界に引き下ろしたのである。光が一定方向から集中的に照射されるとすれば、当然そちらに面した部分は明るく輝き、陰の部分は闇の中に沈んで、明暗のドラマが生じる」。
どうしてここに多言を弄する要があろうか。