不適切にもほどがある!

 

 キリスト教は性にたいして保守的で厳格だといわれる。その一方ではまた、宗派を問わず教会内部に性犯罪や性暴力がはびこってきたことも知られている。……

 とはいえ、中世からルネサンスに目を向けてみると、キリスト教は性をめぐって、わたしたちが思っているよりもはるかに多様で豊かな想像力を育んできたのではないか、そうした見通しのもとで小著は書き進められる。

 それが顕著にみられるのは、正統とされた教義や神学のなかというよりも、異端として排除され、民衆のなかで生きつづけてきた信仰とそれに関連する美術においてである。……

 本書は二部からなっていて、それぞれに三つの章が用意されている。第Ⅰ部「クィアなキリスト」では、キリストと三人の重要人物、順に使徒ヨハネと裏切り者とされたユダと母マリアとの「愛」の関係が、いかに語られ描かれてきたかに焦点が当てられる。

 つづく第Ⅱ部「交差するジェンダー」では、基本的に男性中心主義的なキリスト教において、それを攪乱させ揺るがせるような要素も欠いてはいなかったことが、言説と図像の両面からたどられる。順に、キリストのジェンダー、その身体に刻まれた傷、三位一体のひとつ「聖霊」をめぐって繰り広げられてきた、きわめて豊かな民衆的想像力の世界である。

 

 論より証拠、まずはこちらの絵をごらんいただきたい。

 例えばパブリック・スペースの広告物にこのグラフィックを掲げることが現代において認められるとは、なかなかに考えづらいものがある。しかし、これは紛れもなく、G.クールベ『世界の起源』にはるかさきがけて、時祷書という中世の修道院のオフィシャル文献に描き込まれた挿絵の一枚なのである。

 この一枚だけならば、猫も杓子もそういう風にしか見ることのできない、不届きなことこの上ないポルノ中毒者の典型症例でしかないのかもしれない。しかし他にも、同様のモチーフがつるべ打ちのように乱れ飛べば、それも筆致が明らかに違う、もう偶然とは呼べまい。美術の何がすばらしいといって、見れば分かる、というこの簡明さにある。

 もちろん、印象派以前の西洋絵画の世界において、アトリビュートやら聖書やらにかこつけさえすれば、ヌードを堂々と描くことができたのと同じ申し開きは、これらにも用意されている。そのテーマとはまさに、教義の核たるゲッセマネの受苦劇である。罪深き人の子に成り代わって神の子がすべてを背負い命をも差し出した、というあの出来事に際して負った傷を図像化したのが、一連の割れ目なのだという。

 これとは少し別のアプローチから同じモチーフを扱ってみせたのが、カラヴァッジオ《聖トマスの不信》である。傷によって倒れた後、復活を遂げたという師のことばを信じきれない不肖の弟子が、恐る恐る指を挿入している様子をとらえたこの絵画、もし仮に「イエスの傷口を女性器になぞらえる図像が流布していたとするならば、こうしたトマスの仕草は、性的な連想を誘わずにはいられなかっただろう」。

 

 ところが他方で、「ヨハネ福音書」による限り、ことマグダラのマリアに対しては、真っ先に目の前に再臨こそしつつも、同時に「すがりつくのはよしなさいnoli me tangere」(ヨハネ20:17)と突き放してもいる。これに従えば、傷に入れる‐入れられるというこの関係を、同性たちには促しておきながら、十二使徒唯一の異性にのみ認めなかった、ということになる。

 ひとりの相手を奪い合う同族嫌悪のジェラシーが、ほとんどミソジニーの色彩すら帯びて、たまらなく行間から滲み出る。一応はこの書き手ということになっている「イエスの愛しておられた弟子」は、ラブレターを転じて福音書と世界に認めさせることに性交あっとうっかり成功した。なにせ最後の晩餐に際して、「イエスの胸もとに寄りかかっ」(ヨハネ21:20)っていたことを堂々謳ってはばからない。ここにボーイズラブを読み解いてしまうのは現代人固有の性ではない。あのレオナルド・ダ・ヴィンチすらも、あの歴史的絵画の中でイエスの隣に座する彼に「他の11人の使徒とは違って、女性にも見紛うような甘い表情と出で立ちを」与えずにはいられなかった。ピエロ・ディ・コジモも、彼に「あどけない少年のようにも少女のようにも見える」表情を吹き込んでみせた。

 アガペーやらエロスやらといった用語をめぐる神学的、ギリシア語的解釈論なんてどうでもいい、ソドムとゴモラなんて知らないし、ただこの駄々漏れの愛を成就させてあげたい、誰だってそう思う、中世の人間すらもそう考えた。

 そんな推し活の、いわば二次創作最高峰といえるのが、この木製彫刻である(Mayer Van den Bergh美術館所蔵)。

 現代において挿れる‐挿れられるものとしての指とリングがそうあるように、当時においては「互いに右手を取り合うカップルを描いた……この仕草が結婚(もしくは婚約)」を暗示していた。

 頬を赤らめてふたりきりで寄り添う。「当時こうした祈念像を見る者――修道僧であれ、聖職者であれ、一般信者であれ――は、おそらく男女を問わず、ヨハネのうちに自分の姿を重ねていた」。

 いったい誰がこの幸福な時間を彼らから奪い取ることができるだろう。今日のLGBTQといった文脈がそう見せているわけではない、当時の人々だって必ずや似通った萌え、あるいはさらに激烈なるパッションに胸を打たれずにはいられなかった。留保なんていらない、そう言い切っていい、それが芸術の力なのだから。

 これらはあくまで「いわゆる正統とされてきたキリスト教とその美術にとって、たんなる『残余』にして『はみ出しもの』に過ぎないのかもしれない。だが、むしろそうした残余のなかにこそ、宗教本来の寛容性や遊戯性や想像力が宿っていたとしたら、果たしてどうだろうか」。

 

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