「似ていないが似ている」

 

 最盛期の《手紙を書く女》と晩年の《ギターを弾く女》を比べ、確かめてみよう。……

 二作品から読み取れるこうした相違は、おそらく、その時期のオランダ風俗画全般の成り行きと無関係ではない。その時期の風俗画は、一様に、様式の変化を露わにしており、フェルメールだけが例外だとは思えないからだ。……晩年の作品に見られる諸特徴は、彼が時代と向き合おうとする途上を示すのか、それとも、その試みの一つの到達点と見るべきなのか。自らに繰り返し問いかけてきたのが、「未完の軌跡」という言葉だった。……

 もう一つ、筆者には、いずれきちんと整理したいと思い続けてきた懸案の課題がある。

 フェルメール作品の多くは、周知のように、同時代の他のオランダ画家と同じようなテーマと構図で、あるいはテーマは異なるが酷似した構図で、描かれている。……他の画家たち、パトロンや愛好家や予想される買い手は、こうした作品相互の類似におそらく気づいたはずだ。それなのに、なぜ、風俗画家たちは敢えてそうした作品の制作に取り組んだのか。あるいは、なぜ、咎められることもなく取り組めたのか。

 

 何とはなしにフェルメールを三点並べてみる。

f:id:shutendaru:20220326115821j:plain

f:id:shutendaru:20220326115909j:plain

f:id:shutendaru:20220326115938j:plain

 誰に見せても構図の類似性はただちに了承されよう。明と暗のコントラスト、ただしレンブラントともカラヴァッジオとも異なり印象的なのはやはり影よりも光、そして決まって左から右へと照らされる。カメラ・オブスクーラが、とかそんな知った風な口を利くこともできてできないことはない。

 

 しかし現存30数点を一列に並べただけでは見えてこない線もある。

 試しに、ここに一枚の絵を加えてみたらどうなるだろう。

 ハーブリエル・メッツー《手紙を書く女》、1662‐64年。

f:id:shutendaru:20220326120022j:plain

 さらに一枚足してみよう。

 カスパル・ネッツェル《手紙を書く男》、1664年。

f:id:shutendaru:20220326120056j:plain

 あるいは、さらにその源流をたどってみると――

 レンブラント《机に向かう学者》、1631年。

f:id:shutendaru:20220326120125j:plain

 

 フェルメールのみを線で結んでみることで、あたかも彼の作家性であるかのように浮上してくる基本構図も、同時代性を取り込んで新たな線を作るとき、もはや彼固有のものとは決して断じがたいことに否応なしに気づかされよう。

 しかし本書の優れた点は、これらの参照関係を単に印象批評の域で終わらせようとはしない点にある。ここで用いられる最大の説明関数は、17世紀オランダの歴史状況、わけても経済である。

「手紙を書く」というモチーフひとつをとっても、単に画家サークルの内輪でのトレンドだったというだけで論じることなど到底できない。欲しがるクライアントがいたから、同じようなテーマが書かれたのである。

 そもそもにおいて、初期作品においては《ディアナとニンフたち》のような物語画、神話の王道を描いていた彼が、いつしか専ら風俗画へと舵を切る。作者の何かしらの内面的な変化によってすべてを説明しようとする試みも不毛とは一刀両断しがたい、がしかし、同時代のオランダ市民社会がもたらしたマーケットの変容ほどにはこの転向を上手に納得させてはくれない。バブルに沸いたのはチューリップだけではない、絵画だってそうだった。ごく一般的な家庭にも商店にも絵画の需要はあった、そして彼らが風俗画を欲した、だから画家たちはそのウォンツに応えた。需要は供給に先立つ、この原則をアートは決して逸脱しない。

 

 本書の第1章に、実のところ、フェルメールの名はほとんど出てくることがない。そこで筆者が取り組むのは、例えば「オランダ絵画の黄金時代と謳われる17世紀の100年の間に、一体、何点の絵が制作されたか」、あるいは、それらは何人の職業画家によって手がけられたか、といったトピック。少なからぬ読者がここで本書を閉じたきりにしてしまうことは想像に難くない。

 しかしこのセットアップが後々の本書にじわりじわりと効いてくる。

 バブルはやがて弾けて消える。奇しくもフェルメールはこのマーケットの浮沈の推移を見守るようにその43年の生涯を閉じた。景気の没落は、まず何よりも下層市民を襲う。彼らの可処分所得の減少が顕著に表れるのは、ある面ではあってもなくてもいいもの、典型的には絵画。荒波のアート市場でカルネアデスの板を掴まんとすれば、たとえ短絡的と謗られようとも、どうにも目先の売れ線を追わざるを得ないのがホモ・エコノミクスたるものの宿命、画家とて、フェルメールとて、その例外ではない。

 ほとんどのケースにおいて不況が既得権益者の一人勝ちをもたらすというのも古今東西同じこと、かくして市井の購買力を失った風俗画の退潮と入れ替わるように、一握りのカースト上位に好まれる古典主義、「礼節志向」が相対的に盛り返しを見せるのもまた必然。ただしフェルメールは除く、そんな脚注が彼にのみ許されたとはまさか考えられない。《信仰の寓意》をもって果たされた宗教画の返り咲きを説明するに、これ以上の関数が他にありうるだろうか。

 

 結論として、東京都美術館国立新美術館にはとりあえず行っとけ、と。そして必ずや気づくだろう、17世紀オランダの市民がそうあったように、たとえレプリカだとしても、取り残された貧しき日本を生きる我々にだってアートやカルチャーは不可欠なのだ、と。

f:id:shutendaru:20220326120251j:plain